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サバを運んで鯖街道。浅野長政作成の熊川宿。

こんにちは。


ふふふ…。夏に見る紅葉は暑さ百倍。本日のプレゼント。


あまりの蒸し暑さに昨日はぐでんぐでんでした。


さて。海の幸豊かな若狭。(唐突ですが)

古代より朝廷に魚介類を献上する「御食国(みけつくに)」のひとつでした。

お魚が豊かに捕れる若狭から京都へ大急ぎで運ぶ必要があり、若狭街道が古来より使われてきました。

特に大量の鯖が江戸から明治にかけて運ばれ、幾筋ものルートが発展。
それを総称して「鯖街道」と呼称します。

「京は遠ても十八里(72キロ)」と豪語して運ぶ鯖。

与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか
「夏山や 通ひなれたる 若狭人」と詠んでいます。



地図の赤丸が鯖街道の熊川宿。

お値段も高騰するだー。

秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政が、天正17(1589)年に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。

かつては40戸ほどの寒村が200戸を超えるような町となりました。


防災上から近年に道幅を拡げたのかと思うほど、広いです。

道端には前川という用水路が流れてます。


復元された番所。


中に入るには100円。


熊川宿から西へ進むと

瓜割の滝。

さらに西へ進み、地図の黄色い四角地域には

こんな涼しげな川の


こんなところがあります。





いつも応援いただきありがとうございます。小浜と敦賀間の高速が今月開通したので東からも行きやすくなりました。丸ごと焼き上げた鯖、美味しいです。庶民の味方の鯖ですが、京都の鯖寿司は目ん玉が飛び出て転げ落ちるお値段に。美味しいんですけど。くすん。
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二頭身狛犬の待つ神社。若狭の天徳寺境内・岩上神社。

こんにちは。
午後1時に、お外が41度を指した大阪の自宅を見捨てて京都府亀岡市に避暑に来ました。38度です。あれ?

はー。

では、今日も若狭町の天徳寺境内ご案内。


さわやかな空気です。
天徳寺観音堂に向かって右側。階段を上がれば四国八十八箇所の石仏様。
今日は、手前の神社さんにお参りに行きます。


一の鳥居さん。


二の鳥居さん。


とても味がある鳥居さんです。

舞殿の背後にまわると、どっしりした狛犬を侍らせたご本殿あり。

岩上神社です。

天徳寺境内に鎮座する神社。

和歌森太郎編『若狭の民俗』の天徳寺の項目。

「この湧き水(瓜割の滝)を中心に寺が出来、ムラが出来た」
「天徳寺の所在地が、村氏神の岩上神社発祥の地、水の森に近く、集落を足下に控える渓口に位置し、かつその寺名を集落の名称としているところから、この寺が集落成立の草分け的役割を担った」(Wikipediaより)

福井県神社庁にも住所以外の説明がありません。
そんな奥ゆかしい神社。


確かに。




集落が眼下に見えます。若狭町天徳寺よいとこ一度はおいで♪

こんなものが飾ってありました。

屋根を葺き替えたときの昔の瓦しら。寄付者芳名録が社務所に掛けられていました。


懐かし過ぎる・・・。


さ、わんわんに会おう!


どっしり。


踏ん張ってる手足のどっしり感がたまりません。


垂れ耳、かわいいです。立ち上がったしっぽに抱きついていいかしら。


獅子舞の獅子頭のような顔、がっちりした体、惚れます。


闘犬のごときたくましさです!
いぼいぼしてるのは、筋肉の実か?


そんな強がりを言わなくても。しっぽが。


あかん。かわいい。きゅっ。


いつも応援いただきありがとうございます。亀岡は夜になって、涼しくなりました。大阪と比べると、ですが。これならエアコンなしでもよさそうだなあ。いいなあ。
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天徳寺は苔むす石積と馬頭観音様。

こんにちは。
本日の大阪は38度になりました。気象情報より、実測は2度も高いようです。


またここへ行きたいわ。

さて天徳寺の境内散策続きます。まだご本尊様にお会いしてません。


こんにちは。


馬頭観音道です。


この門のお向かいにある、瓜割の滝から流れる小川を渡ります。


かんのんばし、ね。


おんまさんじゃなくて、馬頭観音様です。

隆盛を極めた天徳寺が、南北朝の争乱や自然災害で衰退しても無事だったのが本尊・馬頭観音様。

養老年間、天徳寺の開基、泰澄大師が宝篋ヶ山で彫ったと伝えられています。その後、天徳年間にここへ移されました。17年ごとに御開帳を行っています。

1615年ここに安置されました。
本堂の観音堂は明治に焼失・再建。


ふと右を見ると延々と続く石段があります。
あの上には、弘法大師が命じて、佐渡の石で作らせた四国八十八箇所の石仏が並んでいます。

今日はパス。


観音堂ですってば。ほら、さっさと。


はやくー。


はよー。


う、うん。素敵な自然石ね。


上を見れば・・・


「宝篋山 天徳寺」です。


ね。


造りが細かいのです。


床下の基礎を覗きこむのが、好き。柱の形とか、礎石のいろいろとか。


鐘楼は別にあるし、鐘、ぶら下がってたし。あ、これ、コンクリート製みたいです。記念碑かなー?


ほら、鐘楼ね。


観音堂の石積の下には、繭の形の池がありました。その畔にあったこれ。

ラピュタにいた兵隊さんみたいです。
頭に生えた草を見ると、歌いたくなります。からんころんころーん♪



いつも応援いただきありがとうございます。森の中のあちこちに、昔のお堂の跡地らしきところが見えます。瓜割の滝を中心に、とても爽やかな境内です。ああー、大阪にもっと近ければいいのになあ。殺人レベルの高温。夜に気温が下がらないのがきついです。まだ34度もありまする。
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瓜割の滝は天徳寺境内なので。庭園拝見。あら素敵。

こんにちは。只今23時過ぎ。なんと、まだ32度もありまする。ひい。

こんな時は、瓜割の滝に浸りたいです。


ちょっと休憩しましょ。


何を突然に。


ですねえ。


いいこと探してうろちょろしてるんだよー。(ポリアンナか…古っ)


昨日の記事で右足どぼん、したとこはここです。おすすめです。


ぶつくさ言いながら、てくてく歩き出しました。


同じ種類の岩っぽいですけど…


足元にも子供がしがみついてます。


馬鹿にされたのか、抱っこされて楽しいのか、微妙です。


瓜割の滝からの水なので、紅藻類がここでも生息してます。赤い。


岩に生えてた大文字の形のお花。なんだろう?


楽しそうで、なによりです。

さてここ瓜割の滝は天徳寺境内なので。


本坊にご挨拶していきましょう。

天徳寺は、高野山真言宗のお寺。
723年(養老年間)、ここ宝篋ケ嶽に上った泰澄大師が、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て開基としています。

平安時代に村上天皇の勅願寺となり、その時の年号「天徳」が「天徳寺」の名前の由来と伝えられています。

「村上天皇は宣旨を下して堂宇の建立に着手。
天徳元年、七間四面の観音堂が成り、遅れて食堂、鐘楼、大門等が竣工し七堂伽藍を具備。次いで村上天皇より斎田二十町歩が寄進され、正治2年北条政子が源頼朝の菩提を祈る法華堂を建立寄進した等々と伝えている。爾来、本尊馬頭観音所在に約して山号を宝篋山とし、村上天皇治世の元号になぞらえて天徳寺と称すようになったという。」(Wikipediaより)

さて。門から中を拝見。おおおー。

名勝「天徳寺方丈庭園」


枯滝式池泉庭園。江戸初期天和年間の作庭。作者不詳。

方丈の縁側(?)側から眺めてみましょ。

ぽけー


時間を忘れて眺めて幸せ。いいこと、ありました。


遠くから瓜割の滝の音が聞こえてきそうな静けさです。


違うわよ。運ばないわよ。


それにしても、


皆様、お気をつけあそばして。


いつも応援いただきありがとうございます。枯山水の庭園は難解ですが、こういう自然がいっぱいのお庭はひたすら「ぽけー」っとするのに絶好です。こんなに見事な庭園なのに、気付かずに皆さん通りすぎてました。もったいないオバケが出るぞぉー。
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瓜割の滝で涼しくなろう。若狭へ行こう。

こんにちは。んもう、暑い。毎晩たいへん。皆様お元気ですか?

今日は少し涼しくなる画像をお届けします。

それは、瓜割の滝。じゃーん。

あれ?

これは、鯖街道の熊川宿で食べたざるそば。関西のざるそばは、たっぷん、っとつけてもいいように、おつゆがたっぷりです。

うずらの卵は、ついてなかったの。ざんねん。
(うずらの卵を切るはさみ、あれは名古屋ローカルなんだろうか。)


熊川宿から西へてろてろ走ってたどり着く天徳寺の参道。
瓜割の滝は、この天徳寺の境内奥にあります。


じゃーん。


くだらんこと言ってないで、はやく行きなさいよ。


境内の森の中はさわやかです。


泳げるもんなら。


気持ちよく散歩してると、ほどなく到着。瓜割の滝。

「泰澄大師(天徳寺の開基)の昔から神泉と尊ばれたこの瓜割の清水は、五穀成熟諸病退散の効あり。また水中の石には珍しい紅藻類が生育している」(現地説明書)


鳥居の向こう側の柵の足元からぼっこぼっことわき、だーだーと流れていきます。

山あいの岩間から湧き出る清泉は、一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、「瓜割の滝」の名前がつけられました。(反対に冬はぬくくて幸せ?)


手は、割れないかな。でも3秒もつけていられません。ちべたー。


水中の赤い石には、この水質水温でのみ生育する、珍しい紅藻類が繁殖。


☆ヒルデンブリンチアリブラリス☆
若狭町ホームページの現地説明の紅藻類の名前がこの表記なのでなんのことだか。これで検索しても瓜割の滝の記事しか出てこないです。

学名「Hildenbrandia ribularis ヒルデンブランディア リブラリス」

これは、紅藻類の「淡水ベニマダラ」のこと。

緑色のもとになるクロロフィルの他に、紅色の色素フィコエリトリンを含んでいるので、紅色や紫色をしてます。
「ベニマダラ」で検索すれば全国各地の生息地が確認できます。

淡水産は少なく、冷水・清水のところや木洩れ日環境の指標生物として位置付けられています。
生息地としては岐阜県の養老公園の菊水泉が有名。
日本では、準絶滅危惧種に指定されています。

こんなおもしろ生物が着生している赤い石、実はここ瓜割名水公園の隠れ名物。



幸せいっぱい。


ちと、無理があろう。


右足、おちた。


あまりの冷たさに、足がちぎれました。


落ちる気まんまん、よくありません。


この瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水。
保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされてるとのこと。

【名水認定】
昭和60年 環境庁 「名水百選」選定
平成8年   国土交通省「水の郷」認定
平成18年 福井県「ふくいのおいしい水」認定


「瓜割名水公園」
住所 福井県三方上中郡若狭町天徳寺38-3
国道27号線に案内あります。


参考文献
現地説明書
若狭町HP「瓜割名水公園」
栃木県HP「レッドデータブックとちぎ」


いつも応援いただきありがとうございます。瓜割の滝で遊んではいけません。私はずるんっと足が滑っただけです。ここのお水は有料です。駐車場側に、くみ取る(?)場所があります。ペットボトルなどを持参した場合は売店でラベルを購入して貼り付けましょう。
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敦賀探訪・新内節

こんばんは。

敦賀の気比神宮の大鳥居を出て信号を渡ると、こんな石碑があります。



「新内節」って、ご存じですか?

新内節は、豊後系の浄瑠璃で、宝暦(1751-64)頃、鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)(1717-86)によって曲風が確立されたものです。

吉原遊廓の町を粋に三味線をつまびきながら艶やかに歌いつつ歩く二人一組の姿が時代劇でちょくちょく出ていたので、なんとなーくお分かりいただけるかしら、と。

あれが、新内節を演奏ながら歩く、「新内流し」です。

時代劇の中だけでなく、ごく最近の吉原、神楽坂、深川などの花柳界でも、二人一組(一枚一挺といいます)で歩きながら演奏する姿がよく見られたといいます。



「新内流し」では、太夫は地の部分の三味線を、三味線弾きは上調子(高い調子の三味線)を受け持ちます。(ゆずをご想像ください)

三味線は中棹(棹の太さと胴の大きさが中程度のもの。種類が多く、義太夫節を除く各種浄瑠璃や地歌などで各様のものを用いる)を用います。

新内節は抒情豊かな語りが特徴で、題材には、駆け落ち、心中など男女の恋に関係する人情劇が描かれています。
それは創設の由来を見るとよくわかりますので、おつきあいくださいませ。


「新内節」の初代・鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)の出身地が、ここ、敦賀。

本名は高井庄兵衛。敦賀の紙屋町(現・元町)の両替商若狭屋に生誕。若い頃に江戸へ上り、名古屋や江戸で歌舞伎に出て大評判となった心中物を得意とする「豊後節」の宮古路豊後掾の弟子の富士松薩摩掾(ふじまつさつまのじょう)の弟子となりました。

江戸幕府が心中物を禁止したことから、豊後節は浄瑠璃へと変化し、分派。
富士松薩摩掾は、富士松派を創設。
弟子となった鶴賀若狭掾は、鶴賀節(鶴賀派)を立てます。

そして、鶴賀若狭掾は、実際に起きた心中事件をもとに作曲。
記憶に新しい事件を題材とした作品は江戸で大当たり。

非常に人気が出て清元節に移され、『明烏花濡衣(あけがらすはなのぬれぎぬ)』という題名で歌舞伎にもなり、これも話題をよびました。

鶴賀若狭掾が作詞・作曲したものは現在にも多く伝わっています。
『二重衣恋占(ふたえぎぬこいのうらかた)』
『帰咲名残命毛(かえりざきなごりのいのちげ)』
『蘭蝶(らんちょう)』本名題《若木仇名草(わかぎのあだなぐさ)》


「新内」の名は、美声で人気のあった若狭掾の弟子の2代目・鶴賀新内(つるがしんない)の名前から名付けられたといわれています。


このような経緯で創設された「新内節」なので、情緒豊かな語りと歌、遊女の心情をきめこまかに描いた曲の内容を併せ持ち、江戸情緒を代表する庶民的な音楽(浄瑠璃)として人気を博したのです。

「新内節」の名称は、富士松・鶴賀両派を包摂するかたちで現在に至っています。

そして、現在は、1999年に11代目鶴賀流家元を継承し、2000年に3代目鶴賀若狭掾を襲名、2001年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された鶴賀若狭掾先生が、新内節の普及に尽力されています。


ちょっと大人の芸能ですが、とても情緒ある面白い古典芸能ですので、ぜひ一度機会を作ってご覧くださいませ。



皆様の応援のおかげで更新頑張れます。たまには粋な江戸情緒もいかがでしょう?初世鶴賀若狭掾直筆の掛軸に曰く「自然の中の音にも 皆音律を得たる徳があるが今の人はそれがわからない。この門に入門したる者はよく花鳥風月に学び 愈々精を出すべし」。ふむ。ふむ。むーん。難しゅうござる。
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名神大社・気比神宮。仰天の狛犬。わんわん。

こんにちは。




【祭神】
主祭神・伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
筍飯大神(けひのおおかみ)・御食津大神(みけつおおかみ)とも称す。天筒山に現れ、境内の聖地・土公に降臨。

食物を司り、また古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められてきました。

702年、文武天皇詔により、社殿を修営。下記六柱が加えられます。

「本宮」
仲哀天皇・神功皇后を合祀  
  
「四社乃宮」
応神天皇(総社宮)・日本武尊(東殿宮)・玉姫命(平殿宮)・武内宿禰命(西殿宮)

延喜式神名帳に「越前國敦賀郡気比神社七座並名神大社」と記載あり。


1336年、南北朝争乱。気比神宮大宮司氏治は後醍醐天皇を奉じて金ヶ崎城を築城。



足利軍を迎え撃つが、敗北。一門は討死し、社領減封。


1570年、信長の朝倉攻め。大宮司憲直等一族は越前国主朝倉氏側に。
神兵社僧を発して信長軍に立ち向かい、天筒山城に立て籠り抗戦。



敗北。社領没収、社殿焼失、一族郎党離散。

1614年、福井藩主結城秀康により、社殿造営、社家復興、社領寄進。
以降、明治まで続き本殿は国宝に指定されます。



しかし、空襲により社殿では大鳥居だけが焼け残りました。

では、今の境内、お散歩しましょ。


灯台みたいで、かわいい。



本宮と関係の深い神々。伊佐々別・天利劔・天伊弉奈姫・天伊弉奈彦・擬領・劔・金・林・鏡の9社。



祭神:豊受大神(外宮)、天照皇大神(内宮)


そして、大鳥居へ戻りまして。



猿田彦神社に立ち寄ります。



天孫降臨の際に邇邇芸尊を、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らし道案内した神、猿田彦。

ここでも、気比大神の道案内として鎮座しています。(鎮座は1775年)
「サル」の音から、庚申さんと結びつけられることが多いです。



さあて。おーい、遊ぼー!



ごきげんさんです。


しかし、お背中、シュールです。


ふむ!


後ろから、きゅっ、としたいけど、シュールです。














耳なし芳一…いや、耳なし狛一。お経じゃないけど、なんか怖い。


しっぽーーー!!



仲良きことは美しき哉。


気比神宮の猿田彦神社は、楽しいところ。うふふふ。


いつも応援いただきありがとうございます。気比神宮はまだまだ他にも楽しい仲間がいるんですよー。でも、今回はこれにておひらき。またの機会をお楽しみに…f(^_^;
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気比神宮をちょろっと歩く。越前国一乃宮。

こんにちは。

さて、疋田からのたのたと北へ走って、敦賀へ。


福井県って、すごく西にも伸びてますの。京都府とも接してますのよ。

そんな敦賀の一ノ宮。気比神宮。

国の重要文化財の大鳥居。

福井県敦賀市は、昭和20(1945)年7月12日に日本海側初の空襲を受けました。軍需工場が存在し、港湾拠点であったため、計3回も。
気比神宮も罹災。焼け残ったのがこの鳥居。



式内社(名神大社)、越前国一宮。
旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。


大きさ比較。私、あと3センチでいいから、身長が欲しいです。


飲まなくては!簑亀さん、いただきまっ…


うーんっと…。も、いっかな。長生きよりも充実した人生を目指すよ。





空襲で焼けたので昭和の再建。
祭神とか由緒とかは、大変膨大なので省略。

ぜひこちらの、気比神宮様の公式HPをご覧下さい→→→
「北陸道総鎮守越前国一乃宮 気比神宮」





ぴかー。


「旗掲松(はたあげのまつ)」

社伝では、延元元(1336)年に宮司・気比氏治が南朝方として挙兵する時に、気比神の神旗を掲げたという松。


昭和11(1936)年、陸軍関係者から寄贈のユーカリの樹。
敦賀市指定天然記念物。フトモモ科ユーカリ属。


なんか面白そうな気配がします。


絵馬って、好き。


もおー、といえば、カモシカは牛の仲間なので、もおーっと言うそうで。


こつこつ貯めて作ったのかな。


ポーランド孤児やユダヤの人々はこういう船で敦賀まで逃げてきたのかな。

南門の鳥居のそばには、こちらの狛犬さん。

お口からなんぞ流れ出しておりますが…。


するわっ


犬なのに、猫手。んにゃーお。


ぷりちーなおちりで、ぷりっちり。

朝イチの神社お散歩は気持ちいいです。
ぴきーっとした空気が好きです。気比神宮、続きます…。



【ここでちょっとご紹介】
朝イチの空気のような空気を醸し出す日本の古武道。
そのひとつ、居合道というものをご存じですか?

「鞘の内の理念のもと、刀を抜かずして天地万物を和するにある」とは、居合道の極致とか。日本人として忘れてはいけない武士道精神を今の世に伝えようと日々精進されている徳平先生をご紹介。

こちらが徳平先生のブログ。記事の中で居合道の動画が見れます→→→
「かさい」居合道教室

地元の神社の神事に携わったり、国際交流や居合道の普及に真摯に尽力されています。先生の穏やかな人柄が伝わる優しいブログ様です。


いつも応援いただきありがとうございます。気比神宮の大鳥居にぽけーっとしていたら、側溝にはまりました。皆様も足元にはご注意を。
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ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。

狛犬がお迎えする疋田の日吉神社。

こんにちは。重いお話が続いたので、今日はさくっと。


好きな風景。

位置は疋壇城址の北側になる、この神社。


えっほえっほ。階段嫌い。


日吉神社。

祭神:大山咋命・菅原道眞
由緒:延暦2(783)年正月十六日勧請。
社格:村社

安政6(1859)年、大火のため、 古記録等一切焼失。
明治11(1878)年 、末社天満宮、祭神菅原道眞公を合祀。



まいど。


朝、4時半に起きてきた。


かりかりかり。


何でございましょうか?


はい。


んー?


ぎゃー!なんじゃこらー!?さよならー!


無理です。イモムシくんなら、触れますけど。体が硬いのはダメです。


ここもお城の中かと思ってしまいます。




その前に…。


おはよございますっ!


あら、素敵なお腹のくびれでございます。


びみょー。


どしたの?


うん。


おフランスの女王の如き縦ロールですねぇ。


本殿は、覆屋の中にあります。冬はどんな風になるのかな。

さて、うろちょろ。


ごろごろぉー。


こちらは、


はてな。


はてな。


過疎化がとまらないこの土地でも、地域の方々が大切にされてます。

これからも日吉神社の狛犬さんたちは時の移り変わりを見つめていくんだろうな。

疋田、いいところでした。


いつも応援いただきありがとうございます。疋田で起きた戦闘も、疋田舟川の繁盛も、黙って見てきた日吉神社。お喋りできたら楽しいのにな。ざんねん。
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ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。

敦賀港は人道の港。命のビザとポーランド孤児。

敦賀港。



敦賀には、様々な時代の史跡がありますが、ご紹介はこちら。



なにかというと。



お写真の男性は杉原千畝さん。皆様ご存じ。「命のビザ」をユダヤの人々に発行した方です。

「人道の港 敦賀ムゼウム」についてお話する前にまず、敦賀港の歴史ざっくり。

1899(明治32)年に開港場(外国貿易港)の指定を受ける。
1902年 敦賀とウラジオストク間に直通航路が開設。
1910年 駐日ロシア領事館が開庁。
1912年 東京の新橋駅と敦賀の金ヶ崎駅の間に欧亜連絡列車が運行される。敦賀からウラジオストク間は航路、さらにシベリア鉄道を利用してヨーロッパ各都市と日本が結ばれることとなった。敦賀は拠点港となり「東洋の波止場」として繁栄した。


手前にロシア領事館。


往時の敦賀港。

1920年から1922年にかけて合計763人のポーランド孤児が日本赤十字社の救助により日本へ渡航。敦賀港に上陸。

シベリア動乱により家族を失ったポーランド孤児の受け入れのため、敦賀上陸委員が大阪までの運賃の優遇措置を鉄道省に申請する等、奔走。
敦賀町や住民は菓子・果物・文具を差し入れ、宿泊場所を提供。



1940年7月18日。
杉原千畝さんが勤務するリトアニア領事館にユダヤ人難民が日本通過のビザを求め押し寄せました。

領事代理の彼は、外務省に背いてビザを発給。

道中のシベリア鉄道でも強制連行・略奪という憂き目にあい、ようやくユダヤの人々が「命のビザ」を握り締めて初めて踏んだ日本の地がここ、敦賀なのです。その数、6000人。

彼等の証言が残ります。

「山に雪が積もっていて、敦賀は悪夢から覚めた楽園のようだった」

「戦争も差別もない。人々は親切で自由に街を歩くことができた。天国です」


港から欧亜連絡列車という名の列車が発着する敦賀駅までの間に、敦賀の人々が差し出したリンゴ。

それをユダヤの人々は、一口かじっては横の人に回し、皆で分かち合いました。


敦賀港の近くの朝日湯さんは、ユダヤの人々に銭湯を無料開放。

「温かい湯は気持ちがよくて、本当に嬉しかった」




「人道の港 敦賀ムゼウム」
命のビザにより救われた人々の証言、当時の情勢、杉原千畝さんの肉声、等、多数の映像や展示があります。


目の前に困っている人がいればごく自然に助ける心遣いをする。
それが本来誇りにすべき日本の姿ではなかったか…。

金ヶ崎城等の史跡が多い敦賀港周辺ですが、こんな歴史もあることを心に残しておくことも大事ね…と、思いました。


いつも応援いただきありがとうございます。こちら、無料休憩所兼用なのですが、寸志を納めるポストがあります。ぜひ一度お立ち寄りください…。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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