丹生都比売神社(3)神仏分離①法令

こんにちは。

【明治の神仏分離概要】

政治背景として、幕末より「神社の復興・廃仏」を唱えた後期国学者や復古神道家の台頭があり、彼等は性急に諸法令を布告させ、実行に移します。

神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われます。

祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などを急激に実施したために大混乱。

当初は「神道と仏教の分離」が目的で、仏教排斥を意図したものではなかったものの、結果的に廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいます。

明治4年(1871)ごろ終熄したものの、あまりにも影響は大き過ぎたのです。


各法令を見てみましょう。


「王政復古の太政官布告」

【太政官布告】慶応四年三月十三日

「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、先ハ第一、神祇官御再興御造立ノ上、追追諸祭奠モ可被為興儀、被仰出候 、依テ此旨 五畿七道諸国ニ布告シ、往古ニ立帰リ、諸家執奏配下之儀ハ被止、普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡間 、官位ヲ初、諸事万端、同官ヘ願立候様可相心得候事
但尚追追諸社御取調、并諸祭奠ノ儀モ可被仰出候得共、差向急務ノ儀有之候者ハ、可訴出候事」


まず、「王政復古・祭政一致」を宣言し、「神祇官」の再興が「太政官布告」の形で示されます。

明治政府は「古代の律令制に基づく官制」を目指し、太政官制を採用。
明治2年(1869年)6月には、神祇官は太政官から独立して、行政機関の筆頭に置かれます。

太政官布告により、全ての神社は、この神祇官に属することを定められます。

「王政復古・祭政一致」の宣言された新政府の下での神祇官は「太政官から独立した行政機関の筆頭」という存在として登場するのです。


「神祇事務局から諸社に対し、別当・社僧の復飾の達」

【神祇事務局ヨリ諸社ヘ達】 慶応四年三月十七日

今般王政復古、旧弊御一洗被為在候ニ付、諸国大小ノ神社ニ於テ、僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ、復飾被仰出候、若シ復飾ノ儀無余儀差支有之分ハ、可申出候、仍此段可相心得候事 、但別当社僧ノ輩復飾ノ上ハ、是迄ノ僧位僧官返上勿論ニ候、官位ノ儀ハ追テ御沙汰可被為在候間、当今ノ処、衣服ハ淨衣ニテ勤仕可致候事、右ノ通相心得、致復飾候面面ハ 、当局ヘ届出可申者也


復飾とは、僧侶が還俗すること。

神社に於ける僧職の復飾の命令が発せられます。


【神祇官事務局達】 慶応四年三月二十八日

一、中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事、但勅祭之神社 御宸翰 勅額等有之候向ハ、是又可伺出、其上ニテ、御沙汰可有之候、其余之社ハ、裁判、鎮台、領主、支配頭等ヘ可申出候事、
一、仏像ヲ以神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事、附、本地抔と唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等之類差置候分ハ、早々取除キ可申事、右之通被仰出候事



神祇事務局から命じた事は

一、権現号あるいは牛頭天王号(共に仏教語)の廃止(仏教語を神号とすることの禁止)
二、仏像を神体とすることの停止(禁止)
三、本地仏・鰐口・梵鐘・仏器などを取除くこと(禁止)


これに便乗して、滋賀県の日吉山王社のような過激な神仏分離が多発したため、
「【太政官布告】慶応四年四月十日」において、再度「神仏分離・神仏判然」の主旨を述べ、神仏分離の実施に当っては「穏ニ取扱べし」と命じています。


【丹生都比売神社の神仏分離】


母が地主で息子が案内人の、丹生都比売神社。

高野山の鎮守として崇敬を集めているお社です。

明治の神仏分離までは、天野社。あるいは、四社明神。


その名の通り、本殿は、第一殿から第四殿。


楼門と共に重文。


江戸時代。

多宝塔等の寺院建築が並びます。

ポイントは、ソフト面でもハード面でも、当時は当たり前であった神仏習合の姿であったこと。


紀伊国名所図絵より、天野社舞楽の図。

楼門(本殿前)に僧達が並び、神前に舞楽を奉納しています。


《近世(神仏分離前)の天野社の職掌》

第一殿から第四殿に対応した4人の祝と高野山からの下向僧である社務・院主・天野供僧・両壇行法師・郷供僧および神社側の社家・宮仕・神楽男などで構成。

これ等の関係者は社の周囲に屋敷を構えていました。

祝家:惣神主(一の祝)、ニの祝、三の祝、四の祝
宮仕:杉本坊、安養坊、花之坊、上之坊、三宝院?、里之坊
郷(さと)供僧:桜本坊、奥之坊、玉本坊、澤之坊、幣之坊、柳之坊
社家:森山など12家

このように、神職とそれより多数の僧達が奉仕していました。(※1)



楼門の東側に、木々の生い茂る所。


こちら側に、今は破却された建物群がありました。


紀伊国名所図会(三編巻之4/天野社)

左下の部分、御影堂・多宝塔・護摩堂・山王社等が並びます。



明治の神仏分離の波は丹生都比売神社にも及びます。


「丹生都比売神社の神仏分離につき達」(明治5年)

「是月、伊都郡天野村丹生都比売神社ノ両部混祭ヲ改正シ、・・・・・
其祀ル所ノ仏像ヲ悉ク之ヲ廃シ、・・・・其摂祀スル所ノ山王堂ヲ日枝神社ト改称シ、其他仏観規画ニ係ル祀殿、十二社王子ニ社・百二十蕃神一社、荒神社一社、堂御影堂、不動堂、塔多宝塔、経蔵等数宇ヲ毀撤シ、以テ社境ヲ一新セリ、・・・・ 」



悉く「毀撤シ、以テ社境ヲ一新セリ」された結果、


現在。すかっと。

それでも、何となく雰囲気が残っている場所はあるので、



つづく。


※1
「中世高野山における神仏関係-天野社・御社の造営を通じて-」太田直之(「『日本文化と神道3』」国学院大学/平成18年所収)
引用は「がらくた置場」minaga様より
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/sos_amanosya.htm

参考サイト
「がらくた置場」minaga様
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/sos_amanosya.htm


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No title

こんばんは。

≪祝家:惣神主(一の祝)、ニの祝、三の祝、四の祝
宮仕:杉本坊、安養坊、花之坊、上之坊、三宝院?、里之坊
郷(さと)供僧:桜本坊、奥之坊、玉本坊、澤之坊、幣之坊、柳之坊
社家:森山など12家≫

すごい勢いだったんでしょうねぇ。
祝家、これ諏訪大社で初めて知ったんだけど、すべての神社でそう呼ばれていたのかしら。

こんなに数々の社が並び素晴らしかったのが、「すかっと」しちゃったのね。
あーあ、もったいなぁーい!!
破却された建物群が、まだ残っているの?
そこに、残された神様がまだいらっしゃるかもね。

こんばんは

前々から、明治政府の暴挙は疑問でした。
これ等神仏分離政策のトップは、桂小五郎。

江戸の人間である小生は、徳川政権でよかったのにと。
原田伊織著「明治維新という過ち」に続き「官賊と幕臣たち」
が最近読んだ本で、妙に共感を呼びました。

つねまるさんの、勉強には頭が下がります。
常々、明治政権の横暴さ、その前の武力革命ですが、
新選組や会津国など贔屓にならざるを得ないのです。

三鷹の「八幡大神社」と森鴎外・太宰治の墓で有名な「禅林寺」は、
真っ二つに分けられていて、両方の参拝は、
一度外の道路に出なければ行けなかった。
たぶん、これなど明治の愚挙の所為かと。

近所の寺・神社もほとんどが分けられています。
気になるのは、昔の石仏の頭を切断されて、
後にコンクリートの頭を乗せられた仏や、
未だに顔をそがれたままの石仏を見ると、
チャイナの文革・ISとタリバンを想像します。

まあ、今は明治政権の流れが続いているので、
何を言っても愚痴に聞こえてしまいますが。

長々と、偏見の記述でごめんなさい。
ついつい、今飲んでいるのでいじけたな?


No title

こんばんは~

明治初期だと古文書を読んでるみたいなもんですね^^
自分も暫く勉強さぼってたから脳が酸欠に^^;

中学校くらいかな~歴史の勉強で明治維新・王政復古って聞いて中身を知らないまま丸暗記したのを思い出しました。
スカスカになった絵図を見てると切ない~~

自分は神仏習合が好きです。
一つ一つの宗派の教義から言えば「違う」のかもしれないけど、そういうのを超えちゃってる神仏習合の世界が好きですね。

記事から脱線してすいません。
ぽちぽちぽちーーー☆彡

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万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

祝(はふり→ほうり)は、古代の下級神職さんをいいますが、
祝部は大社では神主・禰宜の下、神戸のいない小社では、公戸から臨時に決められた祝部が1人だけいたようです。

祝家は、諏訪大社ではそれぞれ階級も定められたものだったようですね。謂れはちょっとはばかられますので、ご検索下さいね。

本殿は現行四殿ですが、以前は多数鎮座。整理されています。

クラッシュされた建物群は寺院のものが多いです。
仏様は多くは高野山へ匿われますが、行方知れずになったものも。

数百年も大切に守られてきたものを、いとも容易く破壊し、なーんにもないってのに、世界遺産。

紹介文で「寺院の名残を色濃く残し」などとシラッと言っております。
おかしな話があったもんだーっと、つくづく思います。

one0522様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

神仏が分離されるだけでなく、これに続いて起きた廃仏毀釈により無数の貴重な財産が失われましたね。

奈良の内山永久寺など、跡形もないです。

教義的には異国のものとは違うと思いますが、誰が得をしたのかを考えるとほんとに愚かなことです。

丹生都比売神社はまだ正直に「神仏分離」について言及しているだけマシな方だと思います。

由緒の辻褄が合わなかったり、どう見ても寺院建築だったり、神社巡りをしておいて言うのもおかしいですが、まずは疑ってかかる必要を感じております。

ストレス発散のドライブ&神社巡りですが、イラッとすることは多いですね。

私は尾張で生まれ育ったので、いろいろと思うところはあります。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

明治維新以降は、受験があるから覚えましたが、嫌でしたねぇ。

神社巡りをしていても、明治以降の作法や祭神をぐいぐいと押してくるところは、あまりいい気はしないです。

現状を見るに、神社も寺院も今後続いていくことが困難な所は非常に多いです。
僧侶がまもる神社とか、実際にあるのではないかしら。
もう一回くっついたらいいのに。

鍵コメ様

遅くなりまして。

そう、やらかしたことには、もやーんっとしますね。
京都や奈良には数多くの神社仏閣は、皆様がわくわくするほどの数がありますが、その実失われたものの数の多さには愕然とします。
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