下天野の八幡神社。彩飾豊かな社殿と神社合祀

白黒わんこは、
密教の根本道場の地を求めていた空海の前に狩人に化身して現れ、案内した「高野御子大神」の飼い犬。

丹生都比売神社の祭神・丹生都比売大神の御子で祭神の一柱。

拝殿足元の石に、

これでもかっと穿たれた穴ぼこぼこ。
盃状穴です。

幾何学模様のように穴と穴を結ぶ溝が。
さて。
ここへ向かう道中で見かけたのが、

八幡神社です。

正面は渋い。

割拝殿の通路に、盃状穴の穿たれた石。

【由緒】
当神社の創立年月日は詳らかでないが『紀伊続風土記』の下天野に
「村中にあり、一荘の産土神にて、社壮麗なり、按ずるに天野社(丹生都比売神社)は大社にして、一荘の氏神となすべからざるにより、当神社を荘の氏神となす」と記されている。
文政6年(1833)遷宮が行われた記録がある。
なるほど、丹生都比売神社は大社で氏神とすることは出来ないので、この八幡神社を氏神とした、と。

文化12巳亥年は、1815年。

明治6年、村社。
明治41年、村内無格社5社を、当神社に合祀。
そして、やはり、神社合祀。ここは和歌山県。
これを念頭において見れば
【祭神】
(主祭神)誉田別命
(配祀神)須佐之命 八王子命 美津波女命 市杵島姫命 丹生都比賣命
境内社 妙見神社・戎神社
【神社合祀に関する勅令】
「府県社以下神社神饌幣帛料供進ニ関スル件 (明治39年4月30日勅令第96号)」
⇒府県社、郷社、村社に対して公費で幣帛料を出す。
「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年8月10日勅令第220号)」
⇒一村一社にまとめた残りの神社の財産は、神林を含めて処分。
その利益を以て神職の給与の原資とする。
結果、「しょーばいしょーばい!」な怪しげな者達により神社は簒奪されることとなり、
大阪毎日の記事による、明治44年6月25日現在の状況。(「神社合祀に関する意見」南方熊楠)
和歌山県では現存神社790、滅却神社2923。1/4.7に減少。
三重県では現存神社942、滅却神社5547。1/6.8に減少。
長野県では、1/1.2、埼玉県では1/2.1。
・・・。
悪口雑言が噴出しそうなので、おうすをたてて、一息ついて、っと。

暑いわ見えないわ。

ずーむっ。
明治年間に台風が度々あり大被害を受け、大修理を行っています。
大正15年、銅板屋根に葺き替え、
昭和62年、本殿の修理彩色、社務所の屋根替大修理。

きれいねきれいねー。

素朴な鳥居が素敵。

帰宅して気付いた怪しげな石。しまった。
そして、妙見神社の祭神「天ノ御中主神」に、今度は神仏分離のアレかよっとイラッと。

あちこちに配慮したら意味不明な由緒書になってしまったのであろう氏子の皆様のことを思うと、涙が出ちゃう。

境内地は、3,715,000㎡、境内山林は5,107,000㎡。
ひろっ。
現実的な話として、地域でおまもりしていくのは、大変だと思います。
そんな、八幡神社なのでした。
由緒・祭神等は和歌山県神社庁HPを引用しました。
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=4036
いつも応援いただきありがとうございます。
和歌山県の神社巡りをするたびに神社合祀の事を言っていたらキリがありませんが、事実は事実。数としては少ない方ですが、合祀された側の氏子の方々の心中やいかに。また、今となっては合祀された側にはそれを残していく責任があり、それが大きな負担になっているのではなかろうかと思ってしまいます。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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