真田丸第27回「不信」(1)秀次の能「源氏供養」と吉野の花見
役者さんへ能の指導と監修、能場面でのシテの中の人は、金春流シテ方山井綱雄先生でした。

主将は、宇喜多秀家。

先輩の言うことはさっぱりわからなくて、

動けないのは、お稽古あるある。
この足の運びを「運足(うんそく)」と言います。

ずーっと踏み込む足、「踏足(ふんそく)」だと思ってました。へへ。
嬉しかったのは、鏡の間での「お調べ」場面。
「お調べ」とは、能が始まる直前に行うチューニングのようなもの。

左から、大鼓(おおかわ)、小鼓(こつづみ)、能管。
かーんかーんって音を鳴らすために、皮の張りが大切なのでぎゅっぎゅっと締める大鼓。
反対に皮の湿り具合が大切なので、皮に息をあてている小鼓。

使用された面は、300年前の「天下一河内作の小面」。
http://ameblo.jp/yamaitsunao/entry-12178834390.html

お庭に作られた能舞台で演じられたのは、
「源氏供養」でした。
耳の穴かっぽじって聞き取りました。
「源氏供養」
作者は不明
素材 『源氏供養草子』
場所 近江 石山寺
季節 春
分類 三番目物
石山寺を参詣に訪れた安居院の法印に声をかけた女は実は、自分が書いた『源氏物語』の主人公光源氏を供養しなかったために成仏できずにいる紫式部。
式部は光源氏の供養と、自分を弔うことを法印に頼み、巻物を渡した、というお話。
根底にあるのは、この曲ができた時代の思想。
物語は狂言綺語(きょうげんきぎょ:道理に合わず、大げさに飾り立てられた言葉)を描いており、これは仏法の教えに反する。
よって、その作者は地獄に堕ちる、というもの。
こわーっ。
この曲は、詞章のあちこちに〈桐壷〉〈夕顔〉など、『源氏物語』の巻名が出てくる点が特徴。
ドラマの場面は、こんな感じ。

シテ「恥ずかしや。色に出づるか紫の」
地謡「色に出づるか紫の。
(ここから)
雲も其方(そなた)か夕日影さしてそれとも名のり得ず
かき消すやうに。失せにけり。かき消すやうに失せにけり」

謡の言葉に合わせたかのような、夕日。
女は夕日の中、名乗らずに姿を消しました。(前半終わり)
法印は、女の依頼に応じて光源氏の供養をして紫式部の菩提を弔おうと思うものの、女の言葉が本当とも思えず、いぶかしく思い、供養を躊躇。
これが、

信繁君が頑張った箇所。
ワキ「とは思えども徒し(あだし)世の。とは思えども徒し世の。
夢に移ろふ紫の。色ある花も一時の。あだにも消えし古の。
光源氏の物語。聞くにつけてもその誠(まこと)頼み少なき。
心かな頼み少なき心かな」
シテ「松風も。散れば形見となるものを。思ひし山の下紅葉」
地謡「名も紫の色に出でて」
シテ「見えん姿は。恥かしや」
次はいきなり最後の場面(キリ、といいます)。

地謡「よくよく物を案ずるに。よくよく物を案ずるに。
紫式部と申すは。
かの石山の観世音。仮にこの世に現れて。かゝる源氏の物語。
これも思へば夢の世と。人に知らせん御方便(ほうべん)
(ここから)
げにありがたき誓ひかな。
思へば夢の浮橋も。夢の間の言葉なり夢の間の言葉なり」
さて。演能があったのは、
文禄3年(1594年)2月27日(新暦4月17日)。
秀吉の生母、天瑞院の三回忌法要を執り行う高野山への参詣途上で催された、
吉野の花見。

「豊公吉野花見図屏風」(重文、細見美術館蔵)
徳川家康や伊達政宗、前田利家等の重臣、公家や茶人など約5千人が参加。
ちなみに秀吉最晩年の「醍醐の花見」は、約1千3百人。
修験道場の吉野山は、源義経が追っ手から逃れ、後醍醐天皇が落ちのびて南朝を開いた土地。
そんな吉野で。
秀吉は、5日間にわたって、中千本の吉水神社を拠点に歌会や茶会。
吉野の花見で秀吉が詠んだ歌。

「とし月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな」
この吉野の花見で、秀吉は自ら、「吉野詣」「源氏供養」「関寺小町」を舞います(『駒井日記』)。
最初に演じたのは、「吉野詣」。

吉野を詣でた秀吉を蔵王権現が迎え、吉野の天女の舞(宮中大嘗祭の五節舞の起源)と共に秀吉の治める天下を言祝ぐ内容。
秀吉が、吉野の花見のために創作したおニューの曲(新作能)です。
謡作詞は、法橋と大村由己(秀吉御伽衆)。
節割り・型付けは、金春大夫安照(金春流六十二世宗家)。

秀吉が能に没頭したのは晩年の10年程ですが、
既存の作品を演じるだけでは飽き足りず、10番に及ぶ新作能を創作。
それが「豊公能」「太閤能」と呼ばれる作品群。

秀吉の贔屓は、金春座。

(金春流の5つの丸紋が描かれた「五星」の扇)
今回の能楽場面で、金春流シテ方山井綱雄先生が中の人となり、役者さんに芸能指導をしたのは、なるほどなるほどです。
ピンチ極まりない豊臣秀次も、
文禄4年(1595 )に金春流の102番を対象曲とし、五山の僧らに『謡之抄』の編纂を命じています。
参考文献
観世流大成版『源氏供養』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)
『能楽談叢』(横井春野著/サイレン社/昭和11)
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257024
『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)
『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』(天野文雄著/講談社)
いつも応援いただきありがとうございます。
先週の予告で能装束の秀次を見て、ずーっと楽しみにしてました。お稽古場面に爆笑し、演能場面ではがっつりポイントをおさえた映像の連続で、うはうはです。私は観世流をお稽古しているので金春流の謡が聞き取りにくく、信繁君の大きなお声でやっとわかりました。えへへ。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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