東大寺再興。幕府主導の国家事業。ついに落慶法要

東大寺、江戸時代の再興話続き。

大仏殿の再建に必要な莫大な費用。

諸大名からも集金することで、何とか調達。
次に困難を極めたのは、材木確保。
いくら縮小したとはいえ、あの大仏殿に用いる材木です。
特に、大仏殿の大屋根を支える2本の大虹梁用松材が、ない。
元禄初年より探し続け、薩摩の請負人により、霧島山系白鳥山で発見。
・・・白鳥神社の境内。
薩摩藩と奈良奉行を通して公慶に報告があり、

公慶は現場へ飛んで、確認。
元禄17年(宝永元年/1704)正月に切り出し。
鹿児島津(鹿児島港)を出港し、兵庫津(神戸港)まで7日間。

船頭も驚く順風満帆、でした。(『興隆日記』)
鹿児島から兵庫までは船に乗せた虹梁材は、
兵庫津で下ろし、以降は船で引きます。
大阪の伝法川口で幕府の見分。
淀川と木津川を上り、8月10日木津で上陸。

8月19日より、台車にのせた虹梁材は陸路を東大寺へ。
9月2日と5日にようやく東大寺普請所へ搬入。
これが、「大仏殿虹梁木曳」。
8月19日から9月5日までの木曳には、
地元奈良町から延べ1万7963名、
奈良周辺からは、木津村1400名を筆頭に延べ2601名が参加(『大仏殿再建記』)。
この間、幕府役人もそれぞれの地でそれぞれの役目の人間が警固。
公慶は、鹿児島から東大寺までずっと付き添っていました。

棟梁・塀内満政(正利)の指揮により大綱で上げられたのは、宝永2年(1705)3月。
宝永2年(1705)閏4月10日。「大仏殿上棟式」
大仏殿の棟札中央には
「卍奉再造東大寺大仏殿 大勧進沙門龍松院上人公慶敬阿弥陀仏」
南大門前で能六番、狂言五番が催されるなど、盛大に行われました。
上棟式を済ませた公慶はすぐに江戸へ。
宝永2年(1705)6月22日。
大仏殿再興を支えた桂昌院、逝去。
続いて。
宝永2年(1705)7月12日。
公慶上人、逝去。享年58。

大仏殿の完成を見ることなく、江戸の地で。
・・・。
遺骸は幕府の特別許可を得て箱根の関所を越え、東大寺まで運ばれ、近在の五劫院に埋葬。
翌年、遺弟公盛は勧進所内に御影堂を建立し、仏師性慶と公慶の弟子即念が製作した御影像を安置。
現在の公慶堂と公慶上人坐像です。
大仏殿再興は、次の大勧進・公盛が引き継ぎ、いよいよかんせ・・・
宝永6年(1709)1月10日。
五代将軍綱吉、逝去。

大仏殿再興に尽力した公慶、桂昌院、綱吉が皆この世を去り。
ようやく。
宝永6年(1709)3月21日から18日間、「落慶法要」。

初日(3/21)華厳会。導師道恕前大僧正/勅使万里小路尚房
2日目(3/22)仏餉。公盛上人
3日目(3/23)三論宗論義(東大寺)
4日目(3/24)東本願寺派
5日目(3/25)鴎1霊 山正法寺
6日目(3/26)西本願寺派・南都三か寺・丸山安養寺・東山長楽寺・南都郡山四か寺并末寺14人出仕
以降、河内太子無量寿院、 梵網会/唐招提寺、薬師寺、拈香/智積院ほか、知恩院代如来寺、法隆寺、知恩院派大坂衆僧、百万遍知恩寺派、西大寺、融通念仏宗河州平野大通上人、黒谷金戒光明寺
18日目(4/8)東大寺最勝会
この時の受斎僧は9500名、受斎俗は1万1200名。
盛大な法会でした。(『大仏殿再建記』)
しかしこの場に、公慶の姿はなく。

一目でいいから、見て欲しかったですね。
以降も細かな復興は続き、
18世紀後半までには、中門・東西廻廊・東西楽門・両脇侍などの巨像も造立され、現存の寺観が整います。

永禄10年(1567)三好・松永の乱で焼失してから
宝永6年(1709)大仏殿落慶法要まで、
実に142年もの月日を要したのでした。

現在は費用も木材も集まらないでしょうから、火気厳禁。

勧進所付近から見た大仏殿。
公慶が最後に見たのは上棟の頃。まだ骨組み。

貞享3年(1686)。公慶が復興の拠点とした勧進所。
勧進所内には、同年建立の阿弥陀堂のほか、国宝僧形八幡神像を祀り、八幡殿や公慶上人を祀る公慶堂があります。
通常は中には入れませんが、10月5日の転害会の折には、国宝僧形八幡神像が開扉され、五刧思惟阿弥陀如来像、公慶堂公慶上人像と共に、拝観することができるそうです。
以上、江戸時代の東大寺大仏殿の再興話でした。
いつも応援いただきありがとうございます。
資金調達に目処が着いた後は、用材探し。鹿児島まで飛んでいって、一緒に奈良まで帰ってきた公慶。ほんとに嬉しかったのでしょうね。戦禍による焼失はとても残念なことですが、重源(鎌倉時代)と公慶(江戸時代)の尽力による再興の過程もまた、東大寺の長い歴史のひとつなのでしょうね。



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