東大寺炎上。大勧進職・重源の再興と能「安宅」。弁慶の勧進帳

こんにちは。


東大寺。

正式名称は、「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」。


《ざっくり歴史》

神亀5年(728)11月。「金鍾山寺」建立。
一歳に満たず夭折した基親王の菩提追修のため、聖武天皇により建立。

天平13年(741)。「大和金光明寺」へ昇格。
国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔。
金鍾山寺が昇格し、「大和金光明寺」となる。

これが東大寺の前身。

天平勝宝4年(752)4月。「大仏開眼供養会」

講堂・東西両塔・三面僧房などの諸堂造営。

延暦八年(789)3月。造東大寺司を廃止。整備に区切り。


以降、東大寺は鎮護国家の寺院として歴代天皇の崇敬を受け続け。


鎮護です。

斉衡2年(855)の大地震で大仏様の頭が落っこちたり、失火等で焼失したり、なかなかシュールな繰り返し。

燃えては造り、壊れては造り。

そんな中迎えた、治承4年12月28日(1181年1月15日)。


平重衡ら平氏軍による南都焼討。

東大寺(←歴代天皇)、興福寺(←摂関家)は各々独自に僧兵を持ち、既得権威を侵す清盛に対抗しており、


やっちまったな、平家の諸君っ。

東大寺は、法華堂と二月堂・転害門・正倉院以外を焼失。

清盛は、東大寺・興福寺の荘園・所領を没収、伽藍再建を認めず。



しかし、清盛死去後、平宗盛は全て撤回。

大勧進職に任命された俊乗房重源、復興事業に着手。

この時既に還暦越え。おじいちゃま、ふぁいとっ。


まずは先立つものから。

勧進聖や勧進僧を組織し、資金集め。


突然ですが、ここで、能「安宅」

頼朝から追われた義経一行。

安宅の関で正体がばれそうになった時。
とっさに弁慶が名乗ったのは、


勧進の山伏一行ですよーっと。


能「安宅」より『勧進帳』(難しいので先生の許可が必要な部分)

もとより勧進帳はあらばこそ。
笈の中より往来の巻物一巻取り出だし。勧進帳と名づけつつ。
高らかにこそ読み上げけれ。

それつらつら惟(おもんみ)れば大恩教主の秋の月は。
涅槃の雲に隠れ。生死長夜の長き夢。驚かすべき人もなし。

ここに中頃。帝おわします。
御名をば。聖武皇帝と名づけ奉り最愛の。夫人に別れ恋慕やみ難く。
涕泣眼(ていきゅうまなこ)に荒く。
涙玉を貫く思いを。善途に翻して。廬遮那仏を建立す。

かほどの霊場の。絶えなんことを悲しみて。
俊乗坊重源、諸国を勧進す。

一紙半銭の奉財の輩(ともがら)は。
この世にては無比の楽に誇り当来にては。数千蓮華の上に坐せん。
帰命稽首(きみょうけいしゅ)。敬って白(もう)すと天も。響けと読み上げたり。



弁慶が読んだ巻物に本当は勧進帳は書かれておらず。

とっさに作文してみせるところがこの曲の眼目です。



みんなが頑張る一方、重源だって必死。


重源自身も後白河法皇や九条兼実、源頼朝などに浄財寄付を依頼。

結果、特に頼朝の支援を取り付け。


文治元年(1185)「大仏開眼供養」(導師:後白河法皇)

文治2年より、周防国が東大寺造営料所に当てられ再建に弾み。

建久6年(1195)「大仏殿落慶供養」

建久7年(1196)には、


南宋の石工「伊行末」(いぎょうまつ)作の石獅子が完成。


石獅子が住む南大門は、

正治元年(1199)上棟、建仁3年(1203)竣工。


中国から取り入れた当時最新の建築様式「大仏様」で建造。


天井を張らず、ずぼーんっと抜けた構造。


同年完成の運慶・快慶ら慶派仏師集団の造像になる仁王像。


ところが。

永禄十年(1567)三好・松永の乱。

二月堂や法華堂、西大門や転害門、正倉院や鐘楼など僅かな建物を残して、

大仏殿・廻廊・講堂・三面僧房・食堂・八幡宮・東塔・戒壇院・大湯屋・上院閼伽井屋・東南院・尊勝院・真言院など中心伽藍の殆どが焼失。


えらいこっちゃ。


いつも応援いただきありがとうございます。
重源の再興によるもので現存するのは、南大門、開山堂、法華堂礼堂(法華堂の前面部分)。木造は焼けてしまうので残るのが難しいんだなーっとつくづく思います。「安宅」での勧進帳の読み上げは、能を題材に歌舞伎にもなりました。それぞれを見比べてみるのも楽しいですよー。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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初めまして

コメントは初めまして。
いつもFC2のIDで覗かせてもらっています!
画像にかわいいイラストでとても見やすく楽しく読ませてもらっています。

ライブドアで神社ブログもしてるのですが
そのブログでリンクを貼らせてもらってもいいですか?

東大寺と勧進帳!

東大寺の再三の炎上!にもかかわらず勧進帳を持って再建を計画して実行した大勧進職に任命された俊乗房重源は覚えていますが、三好・松永一党の焼き討ち後の大勧進職は誰がなったのでしょうか?覚えていません!

No title

こんばんは~
昨日は来れなくてすいません。
疲れて爆睡してしまいました。お肌に疲れが残る年齢に・・(;´・ω・)

>天井を張らず、ずぼーんっと抜けた構造。

この時代に抜きぬけの発想があったのがビックリ。
建築の歴史も基本は変わらないのかもしれませんね^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

以心伝心その2

twitterで速報申し上げました通り、信濃国分寺の史跡後へ生まれて初めて訪問しました。
地元に暮らしていながらそのような恥ずかしい事、自慢できる事ではありませんが、密かにほくそえんでおりまするw

国分寺の総本山である東大寺に貴殿が「シカの糞を訪ねて三千里」の道中にあったとは奇遇でございます(笑)

信濃国分寺は尼寺を含めた完成までの年月は約40年かかったといい、墾田永年私財法の発布をはるかに超えてしまったようです。
平安時代には廃寺同然の扱いで、善光寺詣での折に源頼朝さんが哀れに思ったらしく「八日堂国分寺」としてようやく再興されたと伝わります。

「天平の甍」・・・その世界観は史跡からも伝わりますね。是非お出かけください・・・アテンドしますよ。

ゆー様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問ありがとうございます。
コメントでは、はじめまして。

自分が楽しむための落書きに、あたたかいお言葉、ありがとうございます。嬉しいです。

あ、では、ゆー様の神社ブログへお邪魔しますねー。

しましたー。

優しい記事ですね。ほっこり。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

四方様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

お暑うございます~(T_T)

鎌倉時代の重源の勧進時と同様に、三好・松永の戦以降の再興にも、幕府が出資します。

こちらは記録文書が豊富に残り、その苦労の程がとてもよくわかります。

えーっと、只今作成中につき、次記事でアップ致します。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

疲れたときは、寝るのが一番!

この構造、どこかで見たことありませんか?

柱と多くの梁(貫)を用いるので耐震性があり、現在のビルの構造と同じです。

壁の内部に埋まる芯だけでなく、外側からも骨組みが見られるのが面白いですよー。

No title

つねまるさん、こんばんわー♪

東大寺さんも災難が多かったのですねー。

わたしが判るのは松永さんの乱だけですけど、いずれの戦い
でも文化財が破壊され、その損失ははかり知れないものが
あります。
困ったものです。

奈良はホテルがないから素通り、観光客が少ないからホテルが
少ない。
つねまるさんは、どちらだと思われますかー。

らんまるせんせ

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

不思議なご縁でございます♪

私が「ふんふんふーん♪しっかのふん~♪」の時に、信濃国分寺。

まー。40年もかかったのですか。
突然の勅命にあたふたしたのでしょうね。

信濃国分寺も頼朝の再興ですか。
おや。善光寺へ行った折りに、自らとは。素晴らしい。

東大寺は、お願いされるまで放置です。
僧兵が元気いっぱいなので、躊躇したのかなー。

現存建物の多くは鎌倉や江戸時代の再興ですが、残る遺構や配置から伝わる当時の感覚は面白いです。

そしてこれが全国にあるかと思うと、なおのこと。

信濃、行きたいですねぇ。
らんまるせんせのアテンドで、山の上まで林道を走ってもらうんだー♪

No title

おはようございます。

大仏殿の後ろの礎石群私も気になっていました。
戦禍による焼失が無ければと思う寺社が数多いのが残念です。

宝物が盗まれたりしている場合も有ったりしますよね~残念です。

奈良がもう少し身近にあればと思う毎日です。

No title

おはようございます、kotodayoriです。

今年、若草山の山焼きのときに、転害門方向から大仏池を通って、東大寺に行きました。観光客も少なく、落ち着いた奈良の雰囲気を感じることができたことを思い出しました。
東大寺の歴史も知らなかったことが多く、今度奈良に行くときに、またじっくり見てみることにします。ありがとうございました。

また、よろしくお願いいたします。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうですねぇ、災難と復活の繰り返しが東大寺の歴史そのものなので、ここではなんとも言いがたいものがあります。

できればそのまま残って欲しかったですね。

奈良といっても広いですからねー。
私の好きな奥吉野などは、混んでいることが多いです。

市良右衛門様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

戦禍による焼失はとても残念ですが、
明治の方があからさまに意図的で悪質な被害があるように思います。

それまで数百年以上も大切にしてきたものを破壊した事は、
許されるものではないと感じています。

奈良は近くて遠いですね。

これからの季節は、おうちでおとなしく本を読むのが一番かなー。

kotodayori様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

天害門から大仏池、東大寺コースは落ち着いた雰囲気で、大好きです。
観光客が少ないのが何より何より。

講堂跡で、のーんびりすると時間が経つのを忘れてしまいます。

東大寺の歴史は、国分寺の創設から始まりますが、焼失と再興の繰り返しなんだなーっと思いました。

仏像をゆっくり拝見に、また行きたいです。

こちらこそ、いつもあたたかいお言葉をありがとうございます。
またよろしくお願い申し上げます。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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