東大寺講堂跡。延喜元年「解除会」と夏越の祓

大仏殿の北側、です。

土塁と堀かよっとぶうぶうしつつよじ登る。

まぁ、素敵な日本庭園ねー。

今は礎石だけが残る、東大寺の講堂跡です。
講堂跡を、東から西へ移動しまーす。

「大仏殿北方地区の調査現地説明会資料」より(奈良市教育委員会/2011)
かつて、大仏殿(東大寺金堂)の北側は、講堂を中心に東西・北を僧房(三面僧房)が囲んでいました。
《講堂の履歴》
講堂は、僧侶たちが集まり説法や講義を行う場所。
延喜17年(917) 失火で焼失→再建
治承4年(1180)平重衡の兵火(南都焼討)で焼失→再建
永正5年(1508)焼失→再建されず

現在は講堂の礎石のみ露出。
僧房は、平成23年7月に公共下水道築造工事の事前調査で初めて遺構を確認。
その際に
「大仏殿と講堂の間には東大寺造営以前からある深い谷が平安時代まで残っていたことも確認できました。
この谷の底には、奈良時代の大仏鋳造時の遺物を含む層が堆積しており、木炭、鞴(ふいご)の羽口、溶銅、銅滴、銅滓、木簡、檜扇・転用 硯などが出土しました。出土木簡には(表面)「 □守 受韊侖 一口 」・(裏面)「九月九日」 と記された大仏の銅を溶かす鞴(ふいご)に関わるものもあります。」(「大仏殿北方地区の調査報告」奈良市教育委員会/2011)

今は車道が通り平地になっていますが、谷があったとはびっくり。

礎石の大きさは、鹿さんと比較下さい。
ずっと「ぽー」と言ってます。ふふ。

つん、しないでー(T_T)
ところで。

六月晦日は「夏越の祓」があちこちの神社で行われますね。
夏越の祓、即ち「大祓」の初見は、『古事記』仲哀天皇の段。
延喜式に定められた「天つ罪」「国つ罪」を祓う宮中の年中行事でした。
応仁の乱による都の退廃で400年以上中断しましたが、明治4年(1871)、明治天皇が宮中三殿賢所の前庭にて大祓を復活。
翌年の太政官布告により「大宝律令」以来の旧儀の再興を命じます。
一方、東大寺で行われる「解除会(けじょえ)」。

かつては、講堂で行われた仏会です。
【東大寺「解除会」と夏越の祓】
(以下、東大寺HP「解除会」より引用)
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/07kezyoe.html)
「解除会」は、わが国で古来より行われていた六月の晦(みそか)の「夏越の祓」や「水無月祓」と深い閑係がある仏会。
延喜元年(901)3月。
東大寺別当律師道義が秋の始めに毎年流行する疫病を防ぐため、奈良の諸大寺に呼びかけ
同年6月28日より法会開始。
七大寺(※南都七大寺/興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)の僧240~50人、楽人60余人を講堂に集めて行われたと伝えられる。
当初は観音の画像を新写して除疫を祈願し、解除と大書した御幣を二本作って講堂の前庭に立てたといわれる。

東大寺の講堂が焼失してからは、一時は食堂(じきどう)で、或いは大仏殿内の如意輪観音を本尊として勤められてきた。
この解除会は、応仁・文明の乱以後一時中絶したものの、江戸時代に再興。
今日では毎年7月28日、大仏殿で盧舎那仏(大仏さま)を本尊として勤められている。
(以上引用終わり)

ここ、講堂で行われた「解除会」。
大祓と表裏一体のような仏会ですね。

ぽっちん、したらどうなるかしら。ふふふふふ。

礎石の大きさ、どうでしょう。

気を付けないと、落ちます。

大仏殿へは向かわず、お散歩続行。
いつも応援いただきありがとうございます。
神社で行われる茅の輪くぐりを見慣れているので、お坊さんが茅の輪くぐりをしている光景にちょいとびっくり。しかし、東大寺において綿々と受け継がれてきた仏会です。講堂の礎石、この辺りでランチをした青春時代が懐かしいです。きれいな芝生ですが、鹿さんの落とし物がてんてんてんてん。要注意です。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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