《随願寺》官兵衛の孫娘がかかわる姫路藩主の墓所にお参り

姫路藩では、江戸時代の初期と中期の2回、榊原家が藩主になりました。
第1期…榊原忠次・政房(1649-1667)
第2期…榊原政邦・政祐・政岑・政永(1704-1741)
ここ随願寺には、忠次と政邦の二人の墓所があります。
政房・政祐の墓所は書写山圓教寺。
本堂横には、榊原忠次の墓所があります。
☆榊原忠次(1605ー1665)☆
徳川四天王の榊原康政の孫。
父は大須賀忠政(榊原康政の嫡男だが、母方の祖父・徳川二十将の大須賀康高に跡継ぎなくて養子に)。27歳で逝去。
母は家康の姪。忠次一代に限り「松平」を名乗る事が許されてます。
妻は、官兵衛の孫娘♪(黒田長政の娘)
忠次は、始めに大須賀家の家督を継ぎ、今度は榊原家に跡継ぎがいなくなったので榊原家の家督を継ぎます。
遠江横須賀藩主(大須賀)→上野館林藩主(以降、榊原)→陸奥白河藩主→播磨姫路藩主。
1663年、井伊直孝の後に大老となります。
加古川に堤を作って二つの川をひとつにしたり、新田開発したり、和歌等もたしなんだり、文武両道な人。
随願寺を榊原家の菩提寺と定めたのも忠次です。
そんな、榊原忠次の墓所。



次に榊原が姫路藩主になるのは、政邦の時代から。
榊原政邦の墓所

この上に…

一枚だけ半開き…

ひいっ



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