川島城(2)城山から川島銅鐸。加茂岩倉遺跡の兄弟銅鐸なの

こんにちは。


上桜城から見た旧麻植(おえ)郡。

東禅寺の縄文遺跡(石器、縄文土器が出土)、東禅寺山古墳群。
川島城南西に大日寺跡(出土した古瓦の文様より奈良時代の創建か)。

特に古墳は、鴨島町に31基、川島町に19基(横穴式/盗掘)。

古くから人が集まっていたと推測される地域です。


城山の西側が当時の本丸付近。

この城山。

実は銅鐸が出土(石碑あり←←撮影忘れたー(T_T))。

旧麻植郡川島町神後から出土した「川島銅鐸」は、高さ45.6cm。

姿は、「流水紋銅鐸」。

(『阿波国の銅鐸発見地に就いて』田所市太/1917、他)

同じ旧麻植郡から、

森藤銅鐸(旧麻植郡鴨島町森藤)/高さ21cm
牛島銅鐸(旧麻植郡鴨島町上浦)/高さ34.7cm

等が出土しています。


◎銅鐸ニュース◎

平成8年(1996)。

島根県雲南市加茂町の「加茂岩倉遺跡」から大量の「銅鐸」群が発見されました。

その数、39。全国最多。平成20年7月に国宝。

内訳は、流水文銅鐸が9個、袈裟襷文銅鐸が20個。


出土状況の復元。銅鐸in銅鐸の「入れ子」(wikipediaより)

この発見で

「『兄弟銅鐸』とも呼ぶ同じ鋳型で作った『同笵銅鐸』が加茂岩倉出土品の中だけでなく、近畿・四国などひろく西日本に広がっていることが分かりました。」(島根県立古代出雲歴史博物館「加茂岩倉遺跡出土銅鐸」より引用)

https://www.izm.ed.jp/db/index.php


このうちの「11号銅鐸」が、「川島銅鐸」と同じ「流水紋銅鐸」。


同じ鋳型で作った兄弟くん。


同じ鋳型で作った銅鐸、『同笵銅鐸』であることが判明しています。

画像はこちら⇒⇒島根県立古代出雲歴史博物館「11号銅鐸」

※銅鐸、で検索→「加茂岩倉11号銅鐸」の画像をクリック→詳細画面

http://www.izm.ed.jp/db/keyword.php

「入れ子」になっており、中にあるのは「12号銅鐸」。

弥生時代のもの。


川島城周辺を見回すと


善入寺島(粟島)には、

創建が、白鳳二酉年(673)と伝わる浮島八幡宮。

「麻植郡宮島村浮島八幡宮、当社は古くから忌部神社と申して来た所、天正中(1573―91年)に八幡と改め」ました。
(『阿波国神社改帳』寛保年中(1741―43)に編纂)


お隣の高越山麓の山川町山崎にも忌部神社が鎮座。

阿波忌部氏の足跡が残ります。


それよりはるか昔。弥生時代。

ここには既に、銅鐸を持つことが出来る人々がいたのですね。


不思議な土地です。


参考文献

阿波学会研究紀要/郷土研究発表会紀要第17号「麻植パイロット開拓地区埋蔵文化財の調査」(徳島県立図書館)

http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/17/1718.htm


川島城と川島神社
《住所》徳島県吉野川市川島町字城山195




いつも応援いただきありがとうございます。
川島城をお散歩するはずが、ついつい銅鐸のお話中心になってしまいました。画像の通り、吉野川沿岸の小山はどちらかというと古墳等の存在がぷんぷんする気がします。それにしても、いったいこの地域には何があったんでしょう。掘り下げる程に興味津々です。

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No title

こんにちは~

弥生時代から集落があるって凄い土地ですね。
豊かな土地だったんだろうな^^
兄弟銅鐸、なんだか可愛い。
鋳型が親になるのかしらん^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

No title

わおー
銅鐸ゴロゴロ
こんなに発見されたんだ。
≪同じ鋳型で作った≫
これ、当たり前のことなのに、鋳型で作ったという感覚が今の今まで無かったわ。
≪創建が、白鳳二酉年(673)と伝わる浮島八幡宮≫
もうね、古さが半端ないわね。
古い古い土地柄なのね。
気候も温暖だし、住みやすい土地だったのね。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

島根の銅鐸出土ニュースは、まー、すごいことだわ!な感じでした。

実際に島根県立出雲歴史博物館の展示を見ると、ぞわぞわします。
話がそれますが、出雲の郡部、特に雲南市はよろしゅうございます。

私が習った内容とは大きく異なる事が判明しつつある弥生時代、これもまた、実に興味津々。

銅鐸&銅剣、素晴らしい細工が施されていて、いいですよー。

鋳型のぱかっとする二つがとーちゃんかーちゃん、同じ顔の兄弟ばかりを生み出して。

この分布もまた、面白いです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そぉぉぉおなんですっ。これ、衝撃のニュースでしたのよっ。

農道工事の折りに銅鐸がわさわさと出てきて、うきゃー!っとなったニュース、がっぷりとかじりつきました。

鋳型があるので、同一形の銅鐸があるわけで。
どのように拡散したのか、が分かる事はとても重要です。

長野県では、昭和35年の柴宮銅鐸(塩尻市)の発見(県のお宝になってます)により、銅鐸分布外と思われてきた長野県が、そうじゃないのよーっとわかり。

平成19年に中野市の「柳沢遺跡」の銅戈・銅鐸が発見によりさらに、日本列島の弥生時代を大きく見直さなくちゃー!になってます。

古い古い土地柄なのは、案外全国区よね?と思います。

住めば都、とはよく言ったものですね。
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