貞真寺(2)阿波徳島藩筆頭家老の稲田植元墓所

こんにちは。


ぴっかぴか狛ちゃんがお屋根の上で踊るのは


住職さんはじめ皆様の尽力により、本堂再建が叶った貞真寺。

文禄4年(1595)、阿波徳島藩筆頭家老の稲田植元が母・貞真尼を弔うため建立。

さ。

いよいよです。


違う。狛ちゃんじゃない。


稲田家墓所へ。


稲田氏ご一行様。


春の心遣い。いいなぁ。






稲田植元は、父・貞祐が讒言により切腹した後、9歳で父の友人である蜂須賀正勝に預けられ、後に義兄弟の契りを交わした事から「阿波徳島藩の祖・蜂須賀小六正勝の盟友」と言われます。

蜂須賀家家臣の中で、別格。

豊臣秀吉の四国征伐の際は正勝と共に功を立てますが、
秀吉によるおなじみ《口先》「大名になりゃあー」/《腹の中》「分断するなも」を辞退。

1585年の蜂須賀家政の阿波徳島入封後、稲田植元は脇城へ。

与えられた知行地は美馬郡の脇・猪尻・拝原・矢倉・重清・半田・岩倉、三好郡の加茂、板野郡の広島など北方に集中。三好氏の旧拠点と重なります。



白人神社のうさぎさん。

大阪の陣の折りにうさぎさんに助けられた二代・稲田示植の時。

稲田氏は淡路島由良城代(後に洲本城代)となり脇町を離れますが、
知行地は阿波淡路両国にまたがり、最終的には阿波と淡路で合計1万4千石に。


1万石以上が大名の江戸時代。びっくりです。


ここにも「丸に矢筈」紋。


縦5.5m・横10m・高さ1.6mの土塀に囲まれた和泉砂岩製の4基の五輪塔。

植元夫妻の五輪塔の間に、植元の両親。
奥が植元の二人の兄の墓。


向かって左から、稲田植元、両親、妻。



昭和21年の南海大地震で風輪・空輪が崩落し(注。現在は復元)、現高2m。
地輪は剥落しているが「○○○○宗心居士」と刻まれており、脇城主稲田植元の墓である。


(美馬市HP「稲田墓所」より)
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/shishitei1/0009.html


整備前の木々に囲まれた墓所の画像があります。



墓所前に並ぶ五輪塔など。


左は一石五輪塔(高さ64cm)、右は五輪塔(高さ73cm)。

どちらかが、貞真尼の墓。


再び植元。「地輪」は一番下の四角い石。

植元の五輪塔は、


徳島市南部の丈六寺にもありました。


観音堂周囲には、蜂須賀家の重臣達の墓所が並びます。


上から「空・風・火・水・地」の文字が見える五輪塔。

この中に、阿波徳島入封の際「阿波九城」に入った家臣の供養塔があります。


脇城(稲田植元)、川島城(林道感)。


植元の十三回忌に建てられた供養塔です。


貞真寺に戻りまして。


実は秋葉神社からここへ来るのにだいぶ迷子。こんなに近いのに。

というのも、事前に見たここの画像が木々に囲まれていたもので。

美馬市HP「稲田墓所」
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/shishitei1/0009.html

本堂が再建された際に整備されたのかと思います。
きっと、もっと月日が流れたら馴染んでいくのでしょうね。


帰りに通るから、車に乗る?


淡路島洲本へ移った二代・稲田示植以降の墓所はここにはありません。


ここにいるのは、植元は妻と父の貞祐と母・貞真尼、兄二人。


ここは静かでお花もいっぱい咲いて、とても穏やかで素敵なところ。


植元は城番でありながら、楽市楽座を行い城下町の発展に尽力。


長宗我部軍が焼き払った脇町ですが、植元の政策により蜂須賀家内で嫉妬されるほど発展。


手塩にかけた脇町を眺めながら、植元はここで静かに眠っています。


お墓参りができて、よかったです。


貞真寺
《住所》 徳島県美馬市脇町脇町1162ー2




いつも応援いただきありがとうございます。
あっけらかーんっとした墓所に多少びっくりしましたが、復興の会の皆様の尽力に頭が下がります。淡路島の洲本で稲田氏を知り、稲田家主従がちび狛犬と共に入植した北海道の静内まで「どんなとこ?」と追いかけた稲田さんち。植元のお墓参りでひとつの区切りとしま・・・あっ、しまった。洲本のお墓参りしてない。あらやだ。

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No title

こんばんは~

>一番左の塔

火が抜けてるような・・・・^^;

こうして由来や一族の行く末などなど、お話を聞いてから見てるので感慨深い・・・
なんというか心がホンワカ温かくなるような・・沁みます^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あ。ほんとだ。抜けてる。すみません。修正しときます。
・・・別の画像を加えました。ありがとうございます。

蜂須賀家の家老の稲田さんちって、延々と続けてますね、私。

人を追いかけていく時、墓所をお参りするのはひとつの区切りな気がします。
あ、高野山奥の院は別ね。区切りだらけになっちゃう。

なんだろうなー。静内も見てきたから余計に、感慨深いのかなー。
ほんと、しみじみしました。

でも、ぬくぬくなのは、きっと、節目節目にかわいい狛犬さんがいるからかしら。うふふふ。

こんばんは!

>縦5.5m・横10m・高さ1.6mの土塀に囲まれた和泉砂岩製の4基の五輪塔。

この土塀の高さは、他と比べると低い感じがします。

土塀の外からも、五輪塔の頭がひょっこりのぞいているのですね。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

高さ1.6mの土塀、高く感じましたが、低いのかぁ。

修復で往時から周囲の様子が変わっているようで、裏側は見下ろす形になってしまっており、少しだけお気の毒な気がしました。

五輪塔はかなり大きく、ああここは稲田植元の脇町なんだなぁとしみじみしました。

大切に守られていることがとても印象的でしたのよ。

No title

おはようございます。

このうさぎさん、コロコロしていて、好みの子です。

四国はまだ足を踏み入れた事がないので、いつか行ってみたいですねぇ。

たっつん様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

こちらの白うさぎさん、コロコロでとってもかわいいですよね。
顔もお茶目で、いつまでも愛でていたくなりました。

徳島も狛犬さんがとても豊かな印象です。
実に様々な表情を見せてくれますよー。ぜひぜひ。

No title

こんばんは。

稲田家関係のお写真を拝見してると、いかにも四国らしい本当に穏やかで長閑な自然がいっぱいな感じ。
それが静内にねぇ。
どうにも、運命の不可思議さを感じますね。
静内には、稲田家の墓所は無いのでしょうか。
戻ってしまったのかな。
そういう風に考えると、今、稲田家士の子孫の方は住んでいるのかな?とか、色々思ってしまいますよね。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんですよね。穏やかでのどかだけど、豊かな土地なんです。
淡路島の洲本も同じで、穏やかな海と豊かな土地。

それが、静内なんですよねぇ。

極寒だと事前に知っていたから用意したお布団も服も、嵐で和歌山県の周参見沖で船が遭難。

もう、お気の毒で。

稲田家の静内の史跡のメインは御殿山公園なんですが、行きは川湯温泉まで爆走しなくちゃならず、帰りは帯広から襟裳岬経由で移動したんでタイムアウト。

御殿山公園には、メナチャシ跡、縄文からアイヌ文化期の墳墓、そして稲田家屋敷跡と墓所があるんです。

ここは日高を拠点にしてまた来ようと思って、目的のちいちゃい狛犬さんにゆっくり会ってきました。

静内の開拓に従事した稲田邦植は、明治28年に静内の土地建物を弟の邦衛に譲って徳島県に戻ります。墓所は、洲本市の江国寺。

稲田邦衛は、引き続き静内に居住したようですが、ちょっと調査不足ですみません。

徳島の国瑞彦(くにたまひこ)神社より御分霊を勧請した洲本八幡神社境内の国瑞彦神社の祭神として、国端彦大神(蜂須賀家政)や最後の藩主・蜂須賀茂韶と共に稲田氏一族が合祀されています。

http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-596.html
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