郡里廃寺跡(1)白鳳時代建立の寺院跡。塔基壇跡の心礎

こんにちは。


寺町から程近く。


ここは、銀杏農道。

×ぎんなん
○いちょう


確かに。


銀杏農道を通って、大きな銀杏の古木がたたずむ、


原っぱへ来ました。

いいお天気だから、ここでおにぎりでも♪

ではなく。


案内表示がいっぱいあるこちら。


郡里廃寺(こうざとはいじ)跡です。


所在地:美馬市美馬町字銀杏木・願勝寺
昭和51年3月22日 国指定
平成9年3月6日,平成18年7月28日追加指定

郡里廃寺跡は、白鳳時代に建立された県内最古期の寺院跡です。
これまでの発掘調査によって、塔(一辺約12m)、金堂(南北約12m、東西約16m)と塀によって区画された寺域(南北約120m、東西約100m)が明らかとなり、これによって法起寺式の伽藍配置であることが判明しています。


(美馬市HP「史跡観光案内」より引用)
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/kunishitei/0002.html


早くから立光寺跡として知られていた所を調査した結果、「法起寺式伽藍配置」をとるものであることが判明。


塔と金堂を左右に並べた「法起寺式伽藍配置」

これを左右ひっくり返したのが、法隆寺式伽藍配置。


塔基壇跡。

「塔跡基壇は各辺12mをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3m、両脇間はそれぞれ2.08mと復原することができる。

塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13cm、深さ6.5cmの舎利孔が穿たれている。心礎上に据えた心柱は、南北径1.06m、東西径1.08mをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。」


(文化遺産オンライン「郡里廃寺跡」より引用)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202726/4


基壇下に心礎と心柱が埋まっています。


【塔基壇の心柱と心礎ってなんだー】

心柱とは、塔の中心の柱。

心礎とは、心柱の基礎石。


《心柱と心礎。比曽寺の場合》

奈良県の比曽寺の東塔は飛鳥時代建造と伝わります。


東塔の礎石は、露出しています。


この上に建っていた塔は移築され、現在は三井寺の三重塔。


現存する三重塔からわかる、比曽寺東塔の礎石の配置。

側柱の上に塔の壁や扉。

心柱はてっぺんまで通る真ん中の柱。
心柱を囲む四本の柱は、四天柱。

それぞれを受ける基礎の石、礎石。


四天柱のひとつは、欠損。


比曽寺の場合は全てが露出していますが、
郡里廃寺の場合は、心柱の礎石(心礎)だけが地下に埋設されています。


郡里廃寺跡に戻り、説明板。


こんなの。

心礎上に据えた心柱が、「南北径1.06m、東西径1.08mをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲む」というのですから、何とも太い柱ですよね。

心礎が基壇下に置かれる地下式の構造は、古代寺院跡などでも古いタイプのものにみられる特徴。(美馬市HPより)



心柱とそれを囲む四天柱があるそうです。


お?


石がふたつ。

現存する四天柱の北側の礎石で、右側の石は元の位置にあるそうで。


白鳳時代の石なのかなぁ。


こちらが不動の礎石くん。すごいなぁ。


現段階では徳島県下最古の寺院の一つとして、また、遺構をよくとどめている寺院跡として、きわめて重要な「郡里廃寺跡」なのでした。

で。

郡里て、なんだー。

つづく。


郡里廃寺跡
《住所》徳島県美馬市美馬町字銀杏木及び字願勝寺





いつも応援いただきありがとうございます。
ぼーぜんとするほどの原っぱですが、草がぼーぼーになる前に何とか見学出来ました。この地に、白鳳時代に建立された「法起寺式伽藍配置」の寺院があったことは驚きました。いったいここは、どんな所だったのかしら。興味が尽きないまま、次回へつづく。

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No title

こんにちは~

「ぎんなん」って読んじゃった(恥っ

礎石が残ってるって凄いですね^^

岩?石?が亀さんの形かと思った^^

懐かしの三井寺^^

郡里~この前の千熊丸に諸役免除、戻っておいで~の手紙で差出人が郡里○○ってなってたでしょ。
郡里って呼称が戦国期に残ってて驚いた^^

詳しくは自分も知らないないので、つねまる様の記事を待ってます^^
ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

銀杏、って、やっぱりぎんなんって読んでしまいますねー。

これだけのものが宅地化されず、残っているのは奇跡ですね。
近隣住民の運動により、早くから史跡調査が行われ、結果、白鳳時代のものと判明して、えらいこっちゃえらいこっちゃよいよいよーい♪と。

郡里は、この辺りの地名なんですよ。
詳しくは次記事に書きますが、面白い地域です。

No title

これは初めて聞きました。
「郡里廃寺」で「こうざとはいじ」 って読むんですか。
郡里小学校があるから、この辺りが「郡里」という地名なんでしょうかね。
私も続きを待ってマース。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

全国各地に廃寺跡はたくさんありますが、こちらは変なコンクリートで柱の配置を再現とか、手が加えられていないのがよろしくて。

この原っぱがいいんです。たとえダニ避けのスパッツ装着であろうとも。

おっしゃる通り、地名が郡里、こおざと、です。
地名整理で昔の地名が失われていく中、様々な時代のものを知る一番の手がかりは地名ですから、それが今も残るとはありがたい奇跡です。

ご期待にそえるかわかりませんが、一生懸命次記事を書いてみました。

こんばんは

礎石が断片的に残っている場合、遺構に疎い方が見たら、地面に露出しているごく普通の石と思ってしまいそうです。

ああいう石は礎石としての役割よりも、遺構として存在する期間の方が長いんだなと思うと、歴史の悠久さをつくづく感じるものです。

wra様

こんにちは。ご無沙汰しております。ご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうですね。確かにごく普通の石に見えてしまいそうです。
控えめな案内がなければ、気づかないかも。

寺院としての存続期間は不明ですが、千年以上存在した形跡はなく、おっしゃる通り、遺構としての期間の方が長いですね。

野ざらしのまま過ごしてきたのだなぁと思うと、礎石に話しかけたくなります。

コメントありがとうございました。
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