願勝寺(2)崇徳天皇と阿波内侍

こんにちは。


美馬市美馬町の寺町にある願勝寺。



奈良時代に忌部五十麿(いんべいそまろ)が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に方壷山維摩寺(ゆいまじ)を建立。

それが平安時代に現在の「願勝寺」となります。



「平安時代。
藤原信西の娘・阿波内侍は崇徳天皇に仕えて寵愛を受けておりました。

第77代後白河天皇(崇徳天皇の弟)の御代。
保元の乱が起り、破れた崇徳上皇は讃岐に流され、1164年の8月。
讃岐の地に崩御。 46歳。

阿波内侍は、これを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼(びくに)となり、館を改め寺とし、上皇のご冥福を祈りました。
その寺が京都の願勝寺でした。

はばかるところがあって、内侍尼は了海上人(りょうかいしょうにん)に託して京の願勝寺を母の生国の阿波に移し維摩寺を改め『願勝寺』としました。

これが現在の願勝寺のはじまりです。」

美馬市観光情報「願勝寺」より引用)

http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/miru/0012.html


願勝寺に、阿波内侍の供養塔があります。


「京都の願勝寺」というのは、現在の京都市東山区の安井金比羅宮。

祇園の南、平家の館が建ち並んだ六波羅の近くです。


藤原鎌足が創建した藤寺の藤を好んだ崇徳天皇が、久安2年(1146)堂塔を修造し、寵妃の阿波内侍を住まわせたといいます。

崇徳上皇の崩御を受け、阿波内侍は上皇自筆の御尊影を寺中の観音堂に祀ります。

治承元年(1177)。後白河法皇が「光明院観勝寺」を建立。

応仁の乱後、紆余曲折を経て現在は安井金比羅宮に。
祭神は、崇徳天皇・源頼政・大国主命。

「安井金比羅宮由緒」より引用

http://www.yasui-konpiragu.or.jp/about/


さて。美馬町の願勝寺に戻りまして。


お寺に鳥居。

阿波内侍は建礼門院徳子に仕える女官でしたが、出家後、永万元年(1165)に大原の寂光院へ入寺(証道比丘尼)。

文治元(1185)年9月より寂光院へ入った建礼門院と共に平家の菩提を弔い余生を過ごしました。

『平家物語』灌頂巻の「大原御幸」は、文治2年(1186)春、建礼門院が翠黛山の花摘みから帰って来て、後白河法皇と対面するお話。


阿波内侍も一緒です。

能「大原御幸」にも描かれています。

そんな、阿波内侍の供養塔。



歴史の表舞台に立った人ではないかもしれませんが、静かに時の情勢の移り変わりを眺めていた人物といえるでしょう。

しみじみします。


つづく。

願勝寺
《住所》徳島県美馬市美馬町字願勝寺8




いつも応援いただきありがとうございます。
次回は能「大原御幸」でーす♪と言いたいところですが、後白河法皇が来て喋って帰ってった、おしまい。です。えへへ。演能中に気絶しても、気絶前と気絶後で全く舞台上が動いていないほどとてももにょもにょのお話なので。ほほほほほ。とはいえ、阿波内侍を詳しく知ったのは謡のお稽古。この願勝寺で会うことが出来て嬉しかったです。

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非公開コメント

No title

こんにちは。お邪魔します。
藤の花がお好きだったという崇徳天皇。
ちょうど藤が綺麗に咲く季節になりましたね。
阿波の内侍とご一緒に藤の花愛でられてにっこり、、
の時もおありだったんですね、、、
と思いを馳せながら拝読させていただきました。
(#^^#) ぽち。

No title

こんにちは~こんばんはかな?^^

>阿波内侍

内侍宣の勉強したばかりなので「へー」と思ってしまった。
崇徳天皇の宣旨を奉じたりしたかもですね^^

建礼門院にも仕えたんだ( ゚д゚)ンマッ!!
歴史の生き証人みたいな女性ですね。
こういう方こそ日記を書いて欲しいのに~~~

ぽちぽちぽちーーー☆彡

No title

こんばんは。

崇徳さん、好きなのよねぇ。
何とも悲運な方で、その無念さが分かるような気がして。
阿波内侍さん、崇徳さんについて行った訳じゃないんですね。
前にNHKかな?
勅使が検視に来るまで、崇徳さんのご遺体をずっと冷やし続けた湧水があると放送していました。
調べてみると 「野澤井」 という所でした。
前に四国には行ったけど、何の知識も無かったので、今思うと本当に残念。

小原御幸、『演能中に気絶しても、気絶前と気絶後で全く舞台上が動いていない』
いやーん、そうなの?(笑)

No title

こんばんは、ついに来ましたね、ゴールデンウィーク。
つねまるさんはどちらへいらしてらつしやるのかな。この後の記事を楽しみにしてをります。

さて、安井金毘羅宮と言へば「悪縁を切り、良縁を結ぶ」。
境内にある縁切り縁結び碑はとても怖くて近寄れなかつた思ひ出があります。くはばら、くはばら。触らぬ神に祟りなしですね。

No title

つねまるさん、こんばんわー♪

68番 願勝寺。
古いお寺なんですねー。

山門の唐草模様的彫り物は古そうですね。
中の欄間みたいのは、透かし掘りになっているようです。

阿波内侍とは、大原女のモデルになった人ですか。
でも、撒き売りのモデルとは関係なさそうですよね。

おきまちあき様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんですよ。藤の花がきれいな季節。
甘い香りが漂ってきますね。

崇徳天皇には、阿波内侍と藤の花を眺めていた頃が唯一穏やかな時だったのかもしれませんね。

とてもお気の毒な方でしたねぇ。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

建礼門院の官女で寂光院に入ったようだ、な程度しかわからず、信西の娘か孫かも不明な方です。

阿波を訪れているのでメインになりましたが。

大原に墓所とされるものがありますが、こちらも定かではなく。

まぁ、そんなものなんでしょうね。

なので、願勝寺の供養塔がとても優しく手入れされていて、とても嬉しかったです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あら、そうでしたのね。
崇徳天皇の生涯をつらつらと見ているだけでも、ほんと、お気の毒。

阿波内侍は四国まで同行せず、出家して大原へ入ったようです。

「野澤井」。

ほおおお。そんな所があるんですか。
さぞかし冷たいお水なんでしょうねー。

気絶しそうな時にここのお水で顔を洗ったら、少しは目が覚めるかしら。
ええ、ほんとーに、眠くなる曲ですもの。
後白河法皇様、早く帰ってー!って思いつつ、がまん。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

GWはおとなしくしてますのよー。
近場をうろつく程度で、友人達と飲み会ばかりです。えへ。

人がたくさん動く時は苦手で。ふぅー。

安井金比羅宮、そうですそこです。
絵馬の展示がとても素晴らしいんですが、昨年訪れたら閉まってました。残念。

あの、もしゃもしゃした碑ですね。
まさに触らぬ神に祟りなし。
あまりの重さに耐えかねてつぶれかけたようです。

橘右近大夫様はどちらへおでかけなのかしら。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうですね。古い歴史のあるお寺です。

山門は古く見えますが、明治の建物です。
指定ではなく、登録文化財なのですが、きれいな彫刻でしたよー。

大原女のモデルだと寂光院でも言っていますね。
まぁ、袖や裾をくくった程度かと思われますが。

寂光院の放火はほんとに悔しいですね。
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史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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