安楽寺(2)「はよ帰れ」from三好千熊丸『安楽寺文書』

こんにちは。


鬼さんがかじりつくほど美味しいのは、


安楽寺の赤い山門。

ぴかぴかなのは、2010年に改修工事を終えたところだそうです。


ごめんくださいあそばせ~♪

千葉山妙音院安楽寺。浄土真宗・本願寺派。

安楽寺は浄土真宗寺院としては、四国最古期の寺院ですが、
もとは「真如寺」と称した天台宗の四国総録〈統轄〉でした。


「正元元年(1259)。
上総守護・千葉常隆の孫彦太郎常重が、阿波守護であった縁族(大おじ広常の女婿)の小笠原長清を頼って阿波に来て、長清の世話で安楽寺に入寺。

『浄土真宗安楽寺』と改めます。

長清の子長房から梵鐘と寺領100貫文を寄進され、寺領はその後も、阿波の領主となった 細川・三好・蜂須賀の各大名から安堵され、安楽寺の経済的基盤になりました。」


(徳島城博物館「世界遺産の至宝本願寺展 地域展示解説シート」執筆:徳島城博物館学芸員・須藤茂樹/資料提供:安楽寺・本願寺史料研究所、より引用)



おおお~・・・浄土真宗。

本堂・書院・山門・鐘楼は国登録有形文化財。


本堂正面向拝は、三間。


【安楽寺と三好長慶】

永正12年(1515)の火災で伽藍・法宝物等ことごとく焼失。

瀬詰村(徳島県吉野川市山川町瀬詰安楽寺)、讃岐財田(香川県三豊市財田町)の宝光寺へと移動。

そこへ。


三好長慶(幼名、千熊丸)登場。


永正17年(1520)。
三好長慶の「寺領安堵して諸役を免ずる」免許状によって、郡里の地に帰り寺を復興、現在に至る。


その時のお手紙がこちら。

「安楽寺文書」『三好千熊丸諸役免許状及び篠原長政添状』永正17(1520)年。


上が篠原長政添状、下が三好千熊丸諸役免許状(安楽寺HPより)


篠原長政は、父・宗半の代に近江国野洲郡篠原郷(篠原村)より下って三好氏に仕えた宿老。


千熊丸(三好長慶)の傅役を務めます。


『三好千熊丸諸役免許状』

従興正寺殿被仰子細候、然上者早々還往候て、如前々可
有堪忍候、諸公事等之儀指置申候、若違乱申方候ハヽ、
則可有注進候、可加成敗候、恐々謹言
                 三好
永正十七
 十二月十八日            千熊丸
郡里
  安楽寺



三好千熊丸から安楽寺へ、「興正寺殿からの口添えがあり、もとの居住地への還住の許可と、還住した際には諸役を免除する」との免許状。

興正寺は、現在は真宗興正派の本山で、京都市の西本願寺境内南にある寺院。

当時は、安楽寺は興正寺の末寺。
興正寺はその門徒と共に本願寺の傘下でした。(興正寺HP内『興正寺史話』より)


「安楽寺文書」『三好千熊丸諸役免許状及び篠原長政添状』により、この地における安楽寺が復興させるに足る重要なものであったことが伝わりますね。




【三好長慶と本願寺】

三好氏の宗派は法華宗。

三好長慶の父・元長は、かつて本願寺門徒による和泉や山城の法華宗徒への圧迫の一件に対し、本願寺側を弾圧。

恨み骨髄の本願寺を、細川晴元が利用。

元長派の守護畠山義堯と対立していた晴元派の河内守護代・木沢長政により、『浄土真宗と法華宗の最終決戦』として本願寺門徒を扇動。

摂津・河内・和泉の一揆衆が蜂起。



10万(一説には20万)と言われた本願寺門徒は、最終的に三好元長を追い詰めます。


天文元年(1532)6月。三好元長は大阪府堺市の顕本寺で自害。

が。

一向一揆の力はやがて細川晴元でも抑えられなくなり、起きたのが「享禄・天文の乱」。

三好長慶は、天文2年(1533)6月20日。

「三好仙熊に扱(=和睦)をまかせて」(『本福寺明宗跡書』)と記されるように、一向一揆と晴元の和睦を斡旋。



この時まだ長慶(千熊丸・仙熊)は12歳。
千熊丸の名で、代理の者が行ったのでしょうが、父の仇ともいえる相手です。


よく我慢しましたね。


やがて、信長が畿内へ進出すると。

三好氏重臣・篠原長房が本願寺の要請を受け、元亀元年(1570)には大坂石山本願寺へ兵糧を送り、また、畿内に兵を動かすなど反信長の立場をとりました。

篠原長房は、「安楽寺文書」『篠原長政添状』の篠原長政の子。


三好長慶の次世代、三好長治と十河存保を支えた、キーパーソンです。


ここで、注意。

「安楽寺文書」永正17(1520)年。

三好長慶は、通説では、大永2年(1522)2月13日生まれ。


「安楽寺文書」の千熊丸が三好長慶なら、生まれる前にお手紙書いたミラクルが起きてしまいますね。

徳島城博物館「世界遺産の至宝本願寺展 地域展示解説シート」では、「千熊丸」を「元長または長慶」と注記していますが、解説本文では長慶と記されています。

また、安楽寺、興正寺共に由緒書では長慶としています。



瀧寺の三好長慶墓所。

長慶の生年が確定していないようです。研究を待ちましょ。

つづく。


安楽寺
《住所》徳島県美馬市美馬町宮西11


重清城(重清西小の北西)から、車で数分の距離です。


参考文献

徳島城博物館「世界遺産の至宝 本願寺展 地域展示解説シート」(執筆:徳島城博物館学芸員・須藤茂樹/資料提供:安楽寺・本願寺史料研究所)

興正寺HP「永正年間の興正寺」
http://blog.koshoji.or.jp/koshoji-shiwa/?paged=40


いつも応援いただきありがとうございます。
安楽寺は、小笠原氏の重清城から東へ車で数分の美馬市美馬町にあります。
安楽寺を中心として構成される寺町。訪問日は春のお彼岸だったので、お参りの方々で賑わっていました。小笠原氏と三好長慶が深く関わったお寺なので、お参り出来てとても嬉しかったです。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

「安楽寺文書」『三好千熊丸諸役免許状及び篠原長政添状』は「続きを読む」に記載。


『三好千熊丸諸役免許状』

従興正寺殿被仰子細候、然上者早々還往候て、如前々可
有堪忍候、諸公事等之儀指置申候、若違乱申方候ハヽ、
則可有注進候、可加成敗候、恐々謹言
                 三好
永正十七
 十二月十八日            千熊丸
郡里
  安楽寺


『篠原長政添状』

就興正寺殿ヨリ被仰子細、従千熊殿以折紙被仰候、早々
還往候て、如先々御堪忍可然候、諸課役等之事閣被申候、
万一無謂子細申方候ハヽ、則承可申届候、於今度山科ニ
御懇之儀共、不及是非候、堅申合候間、急度御帰寺肝要
候、恐々謹言
永正十七          篠原大和守
 十二月十八日
                 長政(花押)
郡里
  安楽寺
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非公開コメント

こんにちは!

つねまるさま、こんにちは☆
ごぶさたしていてごめんなさい。

真っ赤な山門が、美しくて竜宮城みたいです。
鬼さんがかぶるついてるように見えますわ~。

お餅つきの様子、書かれている文字に
笑っちゃいました!!

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ゆず様

こんにちは。こちらこそご無沙汰してますぅぅぅぅ。

「柚乃香」、いただいてますよん。そろそろ冷や麦にいい季節かなー。
冬場は葛湯に、少しいれてほこほこしてました。

美味しいですねー。ゆず様とお話させていただいてるから、なおのこと。

鬼さんが、がぶっとしてる山門は初めてで、うひゃひゃひゃーっと笑顔になってしまいました。

餅つきね、とても楽しかったんです。
笑ってほこほこしていただけたら幸い。

愛すべきおいちゃん&お姉様方の意気込みと熱い舞台が、私を駆り立てました。←何を言ってるのかしら。おほほほほ。

改めまして。そちらが何事もないように、心よりお祈りしております。

No title

こんにちは~
千熊丸と聞くと、違う殿がチラチラ浮かんで煩悩?を抑えるのが大変でした(オホホ)

>免許状

諸役免除にイチャモンつける奴がいたら知らせなさい~
きっちり成敗するかんね!(`・ω・´)キリッ

てな感じの事も言ってますね|免許状|・ ̄)じぃー

添状・・・この場合の「折紙」は使い方じゃなくて「書状」の意のほうだな・・・ブツブツ独り言
面白いですね^^

寺社の由緒書ミラクルって意外とありそうな気がする。
由緒=伝承みたいなものもあるから、実はアバウトだったり。
こういうミラクルがあるから、生年不詳とか異説アリとか出てくるんだと思うと(・∀・)ニヤニヤしてしまう~~
マニアですいません。

続き楽しみにしてます^^
ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

うわーい。わかってくれてありがとうですー!

柳川の千熊丸好きが派生して、長慶もイガグリぐりぐりしたのか、いや、ぼんぼんだからしてないなーとか、煩悩のカタマリです。

篠原長政、長房親子はそらもう、畿内無双。
篠原の名前の添状ってだけで小躍りです。

三好元長も長慶も三好家自体に記録らしい記録が少なくて、よそ様のおうちの文書から傍証を積み重ねての研究になるそうです。

三好長慶好きにはこの安楽寺文書は有名ですが、通説をひっくり返す程の威力がないのか、今でも生年は変わらないようで。

でも、いいの。千熊丸のお手紙があるってだけで幸せー( 〃▽〃)

No title

おはようございます、kotodayoriです。

阿波の国を巡る戦国時代の歴史、初めて知った話ばかりです。興味深く読ませていただいています。
徳島県は、うずしおを見に行ったことしかありませんが、ここ安楽寺にも、ぜひ行ってみたいと思いました。

また、よろしくお願いいたします。

kotodayori様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

京都の桜、いいですね。堪能させていただいております。

三好元長・長慶親子の活躍の場は大阪中心なのですが、ルーツを訪ねてみたくて、にし阿波をうろうろして参りました。

寺町の風情は言うまでもなく、周辺の山々の景色も素晴らしかったです。
淡路島経由で入ると驚くほど近いので、元気なときは日帰りしてます。

畿内とは全く異なる様々な史跡、とっても楽しかったです。

ぜひぜひ。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
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