重清城(5)長宗我部元親と十河存保。吉野川で戦いま・・・
三好実休の実子である長治と、十河一存の跡を継いだ実弟・十河存保。

さぁ、頑張ろうぜ!って時に。
天正5年(1577)。
長宗我部元親の助力を得た細川真之に敗れ、三好長治、敗死(阿波荒田野の戦い)。
享年25。
細川真之は、長治の父・三好実休が見性寺で殺害した細川持隆の子。
傀儡の守護として擁立された人物でした。

兄ちゃんのばかっ。
背景にあるのは、

織田信長の四国攻め。
重清城攻防戦当時の十河存保は、反信長勢力である足利義昭・毛利輝元・本願寺顕如の支援を受け、信長はこれに対し、細川真之・長宗我部元親を後押し。
そんな時代背景。
【重清城攻防戦】

重清城は、三度落ちました。
一度目は、

天正6年(1577)正月。
長宗我部側の人質であった大西頼包と久米刑馬により、城主小笠原豊後守長政とその子らが謀殺され、長宗我部軍に落とされました。

三好軍3000はこれを包囲・撃退。重清城を奪還。
これが二度目。

この時は元親が率いてはおらず。
【重清城に元親が来たっ】
重清城攻防戦三度目は、天正8年(1579)。
長宗我部元親、いよいよ本格的に四国統一を開始。
阿波侵攻の要衝である重清城奪還に向かいます。

十河存保、三好家の当主として重清城に着陣。

これに対し、長宗我部軍は吉野川南岸に布陣。
前回と異なり、今度は元親自身が率いる軍勢。
土佐勢、鼻息ぶんぶん。

吉野川渡航の先陣、元親軍。
吉野川の戦いの開戦です。
十河存保率いる三好は五千。元親率いる長宗我部は二万。

どうする、十河存保!!

十河存保本隊、戦線離脱。
あり?

重清城、落ちちゃった。

そりゃまぁ、そうだな。
十河存保率いる三好軍は、

最終的には本拠地である勝瑞城をも放棄。
三好は衰退の一途。

吉野川北岸の河岸段丘上に築かれ

横矢懸かりまで設けて

二重の空堀と高土塁により周囲を囲み

城内に井戸もあり

西側の深い「城ヶ谷」に対しては

帯郭状の郭を設置した巧みな縄張りの重清城。
しかし、数万の大軍を前にしてはここが主戦場とはならず。
本日の重清城は、三好→長宗我部。

重清城背後の山々。
重清城を巡る、三好 VS 長宗我部 の巻、おしまい。

重清城を築いた小笠原長親が勧請した重清八幡神社と併せて、ぜひ。
重清八幡神社《住所》徳島県美馬市美馬町八幡15
重清城へは重清八幡神社を目印にすると分かりやすいです。
いつも応援いただきありがとうございます。
信長の四国攻略は様々な勢力を巧みに使い、とても興味深いので、いつの日か頭が整理できたら追いかけてみたいです。重清城攻防戦、三好家の衰退を象徴するかのようです。十河存保の戦いは始まったばかりですが、一旦ここでおしまい。当時の遺構がきれいに残る貴重な史跡としていつまでも大切にしたい重清城でした。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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