重清城(2)小笠原神社と貴重な井戸の遺構

横矢にぶっ刺さりつつ

重清城。
暦応2年・延元4年(1339)。
小笠原長親によって築かれたと云われる重清城。

二重の空堀が囲む素敵な姿。

さぁて、中へ入りましょ~。

何だかとてもお気の毒な建物が。

小笠原神社です・・・(T_T)
【小笠原氏と三好氏】
承久3年(1221)の承久の乱の後、阿波国守護となった小笠原長房。
《鎌倉時代》
本拠地を池田大西城に置き阿波支配を強め、
暦応2年・延元4年(1339)(鎌倉末期)
長房の孫・小笠原長親が重清に入り、重清城を構えます。
《南北朝時代》
本拠地を勝瑞城においた細川氏が阿波を支配するようになり、
小笠原氏は細川氏の家臣となり、三好氏を名乗ります。
《戦国時代》
応仁の乱後の戦国時代になると、細川氏にかわって、三好氏が戦国大名として阿波を支配するようになり。
やがて来襲するのは、長宗我部元親。

元親来襲の時の重清城主は、小笠原長政。

鎌倉末期に小笠原長親が構えて以降、小笠原氏代々がここにいたのね。

この神社はその小笠原氏を祀っているそうでして。

ここに

三好長慶の墓と同じ紋。
しくしくしく。

うにょっと出っ張った所には

青面金剛さんと三猿の庚申塔。

東側土塁に沿って北へ。

何かしら?

井戸でした。

この井戸があるのも、重清城が「城の遺構として貴重」な要素。

すごいなー。400年も前に作ったのよ。

井戸のある部分の外側。

東側の土塁。内部より。かなり高いです。
180cmぐらいかなぁ?

登ってみた。北東角部分。

同・外側。
空堀から見上げる土塁は、とっても高いです。

北から西へ続く部分。
少し低くなっている部分はあるものの、ぐるりと土塁が囲みます。
土塁の延長は192m。
城域の規模は、南北60m、東西44m。

あ、切れちゃってる。
つづく。
重清城へは重清八幡神社を目印にすると分かりやすいです。
重清八幡神社《住所》徳島県美馬市美馬町八幡15
いつも応援いただきありがとうございます。
城内の小笠原神社はとてもお気の毒な状態で。倒木が数本あり、その一つは社殿直撃。直すに直せない事情があるんだろうなぁ。
外部を囲む空堀や土塁をうきうきしながら上ったり下りたり。うふふふ。数百年もそのままの形で残り、今もきれいな水がある井戸。うわー♪うわー♪っと覗きこんだことは言うまでもありません。おほほほほ。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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