小笠原義長、芝生城で三好を名乗る。三好長慶を追いかけた

こんにちは。


脇町を散歩してホテルに入り、夜はすだち酎でへろへろ。

翌朝。


ド晴天。


美馬市脇町から吉野川沿いに西へ進み、三好市へ。

今回の旅の目的は、「三好くんを追いかけて」。


芝生城跡。

「寛正年間(1465年ごろ)小笠原家11代義長は、池田(三好市よりさらに西)の大西城を廃し芝生城を築き、姓を三好と改めここを居城とし、三好氏の家祖となったという。

以後、2代長之、3代之長、4代長秀、5代元長、6代長慶まで、芝生城は三好氏の本拠地となった。」



小笠原氏の祖は、源頼朝により信濃守に任ぜられた加賀美遠光の次男・小笠原長清。河内源氏。

長清の孫・長房が承久3年(1221)の承久の乱の後、阿波国守護に。

小笠原長房は文永4年(1267)に鎌倉幕府の命により、三好郡郡領・平盛隆を討ち、褒賞として美馬郡と三好郡に2万6千町余りの所領が与えられ、阿波岩倉城を拠点に。

その後、小笠原家11代義長が芝生城を築き、三好を名乗る。
まさに三好氏発祥の地。


遺構はなし。

でもここは、


三好長慶が誕生したと伝わる場所。

「三好長慶は、大永2年(1522)2月13日芝生城において産声を挙げた。長慶を身籠もった母は、吉野川の清流で水ごりをとり、『天晴れ、英雄英傑を生ませ給え』と念じたという。」


何にもなくても、めっちゃ笑顔。うふふふ。

長慶の父は、


堺公方と称された足利義維(義冬)を支えた三好元長。

しかし。

天文元年(1532)6月15日(7月17日)、10万(一説には20万)と言われた摂津・河内・和泉の本願寺門徒に追い詰められ。

また、幕僚同士の勢力争いにも敗れ、顕本寺で自害。


この時、お腹から中身を取り出して天井へ投げつけたとか。


大阪府堺市の開口神社に残る元長自害の地の石碑。


大阪府堺市の顕本寺に残る、長慶が建てた元長の墓所。

「天文元年(1532)堺から帰国していた長慶は、父の戦死後奮起し、翌年12歳を以て芝生城を出陣、勝瑞城(藍住町)を経て、再び畿内に進出した。」


長慶、東へ。


勝瑞城。

天文21年(1552)。三好義賢(後に実休。長慶の良くできた弟)は対立した阿波守護・細川持隆を謀殺。
以降、勝瑞城は戦国大名三好氏の居城として栄えます。

フロム信濃国の小笠原氏の末裔となる三好氏。

勝瑞城に居館を置く際に、信濃国諏訪神社より勧請創建したと伝わるのが


藍住町の諏訪神社。

勝瑞城跡に建つ見性寺境内には、


三好一族(之長・元長・義賢・長治達)の墓所。


さて、長慶。

「折しも抗争中の管領細川晴元と、一向宗本願寺光教の和議を調停するなど軍功を挙げながら一進一退を重ねたが、天文19年(1550)ついに京の都を征覇し、最高実力者の座を掌中に収めるに至った。」

京畿一円と、中・四国の9か国を支配する天下人にまで出世した長慶。

「一方、乱世の教養人としての長慶は、茶道や連歌の分野にも長じ、凡そ権謀術数には縁遠い側面も持ち合わせていたのである。」



すごいぞ、長慶!


永禄7年(1564)7月4日、河内国飯盛城で病死、享年43歳。

信長以前に長慶がいたの、忘れないでね。


「その後、天正年間(1575年頃)に勝瑞城主三好長治の滞城の伝承もあり、正確な芝生城廃城の時期は不詳だが、少なくとも長慶病没までの凡そ100年間芝生城は三好一族の拠城であったと思われる。

城下は芝生上の河岸段丘全域に広がる約100町歩(ヘクタール)に及び、周辺を断崖と空堀に囲まれた城跡のここ殿屋敷は凡そ2町歩を擁する要害、景観の地でもある。」




吉野川の北側の河岸段丘上に、芝生城跡はあります。

※家々の向こうに吉野川。


城域とされるここが、かなり高い位置になるのが伝わりますかしら。

遺構がないのは、江戸時代後期の文化文政(1802~1827年)に開削導水された「三村用水」により、田園地帯に変貌したため。



遺構はないけれど、小笠原氏から三好氏へと名乗りを変えた土地であり、
三好一族の繁栄の拠点であった芝生城。


のほほんっとした素敵なところでした。

おしまい。


「」の緑色文字の引用元は、現地説明板。


芝生城
《住所》徳島県三好市三野町芝生


※矢印の南の田園地帯が芝生城跡


いつも応援いただきありがとうございます。
芝生城跡の画像だけだと数枚で終わってしまうので、ごちゃごちゃーっと書き連ねてしまいました。地味に追いかけている三好くんの出発点に立って感慨無量。遺構がなくても、山々の姿などは変わらないはずっ。まだ12歳の長慶は、ここから東へ東へと、進んでいったんだなー。あー、嬉しいなー。うふふふふ。

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No title

こんばんは。

お腹の中身をぶんぶーん!
これがインパクト強くてね。
この頃の人って、ちょっと理解不能、というか、人間の出来が違うんだろうか。
柴田勝家も、確かそうだったわよね。
ちょこっとお腹に刃を当てて、間髪を入れず首チョンパとは違うわよね。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

お腹の中身をぶんぶーん!のインパクトで覚えていただけたら、嬉しいです。

何分、マイナーの部類に入ってしまう三好元長達なので。ううう。

元長も勝家も、無念な思いの自害を強調する意味もあろうかとは思いますが、それだけ真剣に生きていたのではないかと。

毎日が生きるか死ぬか。

のほほんっとした毎日を送る私にはこんな熱意はありませんもの。

形式化した後世とは重みが違いますね。

日本刀の切れ味はすごかったんだろうなぁ。
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