75の宮人が護る白人大明神。源為朝、矢を落とす
こんにちは。

大阪夏の陣で稲田くんを助けたという伝承のあるうさぴょんは、
白人神社の神使。

【祭神】
瓊瓊杵尊・天照大神・伊弉冉尊・豊秋津姫命・崇徳天皇・源為朝。
古く仁賢天皇の時代、白髪の老翁が天下り、「この谷は聖地なり」といって神々を祭りしずめ、宮内に改めるべしと告げたそうで。

はい、何でしょう。

なぜでしょう?
「保元の乱の後、讃岐におられた崇徳上皇を訪ねてきた源為朝が、阿讃国境の相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢は、毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。
この古来弓は、今も神社の宝物となっていて、旧正月14日お的神事が今に伝えられている。」
「徳島県観光情報サイト阿波なび」より引用
http://www.awanavi.jp/spot/2013032503072/

矢が当たった毘沙門獄は、神社正面。

あぶないよー。
保元の乱の後、崇徳上皇は讃岐へ流され、都へ戻ることなく崩御。
鎮西八郎為朝は、保元の乱で父・為義と共に崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流されました。頼朝の祖父。

史実としては讃岐で出会うことなどないのでしょうが、そこは伝承。

二人ともここでは神様。
にくきゅ・・・きゃー( 〃▽〃)

境内に咲いていた桜で、閑話休題。
白人神社については、祭祀を行う組織に着目。
「祭祀組織
白人神社の祭祀の最も大きな特色の一つが、75人の宮人(みょうど)の存在である。宮人は忌部(いんべ)族の子孫とも言われ、古来、白人神社の祭祀の中心を担ってきた。
現在も白人神社の神輿かきは宮人に限られている。宮人は、特定の家に代々世襲されており、一種の宮座と考えることができる。宮人は、かつては厳しい潔斎をもって祭礼に臨んだものと思われる。」(1)
神社の祭礼を担う宮座は、各地の神社で様々な形態がありますね。
白人神社の場合、宮人が忌部族の子孫というのは、面白いです。

どんな?
「白人大明神は古来広大な社領を有し、それを確保するために宮人らは武装して防衛に当たった。
中世を通じて、宮人は神威を背景に社会的・経済的特権を拡大していった。
しかし藩政時代に入ると宮人の武装は解除され、自らの姿を木像に刻して神前に侍(はべ)らし(75体の神像が社殿内に奉祀されている)、平素は農業に従事し、祭礼にのみ参集することになった(『穴吹町誌』1071頁)。
宮人の家は宮内・首野・田方・調子野・知野・支納の六つのムラに分布している。神社を中心とするこれらの地域が、かつての宮人の活動の拠点であったものと思われる。宮人は現在、転出した家もあり、50人ほどになっている(『穴吹町誌』1071頁に、現在残る宮人の家が列記されている)。」(2)

うわー。
稲田氏が脇城主となるはるか以前より、白人大明神(白人神社)は存在し、広大な社領を持ち。

武装して防衛に当たった宮人達が神威を背景に社会的・経済的特権を拡大。

一大勢力を形成していたことが、わかりますね。

蜂須賀氏の阿波徳島入封に伴い、見ず知らずの土地を治めることとなった脇城主の稲田くん。

大阪夏の陣で稲田くんを助けて白人神社の神使となったうさぴょんのお話はメルヘンですが。

白人神社を崇敬することでまぁるく治めようとした稲田氏のもにょもにょ話なのかもしれません。
神社勢力をなめてはいけません。

ねー。
宮人は武装解除しますが、さぞかし悔しく心残りであったことでしょう。
宮人自らの姿を木像に刻して神前に侍らしたという、社殿内に奉祀された75体の神像。

今も姿を変え、白人大明神様をお守りしているのですね。
つづく。
参考文献
記事内(1)(2)の引用元は
徳島県立図書館
阿波学会研究紀要論文/郷土研究発表会紀要第45号「白人神社祭礼について」より
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/45/4528.html
白人神社
《住所》徳島県美馬市穴吹町口山字宮内2番地
いつも応援いただきありがとうございます。
宮座は、固定であったり、宮座内でくじ引きや持ち回りで祭礼を行うなど神社によって異なりますが、神社と集落の歴史を見るのにとても大切な組織です。白人神社の宮人(宮座)が、75もあるとは、すごいなー。白人神社の祭礼と宮座は、とても興味深いものなので、引用元の記事をご覧いただければ。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

大阪夏の陣で稲田くんを助けたという伝承のあるうさぴょんは、
白人神社の神使。

【祭神】
瓊瓊杵尊・天照大神・伊弉冉尊・豊秋津姫命・崇徳天皇・源為朝。
古く仁賢天皇の時代、白髪の老翁が天下り、「この谷は聖地なり」といって神々を祭りしずめ、宮内に改めるべしと告げたそうで。

はい、何でしょう。

なぜでしょう?
「保元の乱の後、讃岐におられた崇徳上皇を訪ねてきた源為朝が、阿讃国境の相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢は、毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。
この古来弓は、今も神社の宝物となっていて、旧正月14日お的神事が今に伝えられている。」
「徳島県観光情報サイト阿波なび」より引用
http://www.awanavi.jp/spot/2013032503072/

矢が当たった毘沙門獄は、神社正面。

あぶないよー。
保元の乱の後、崇徳上皇は讃岐へ流され、都へ戻ることなく崩御。
鎮西八郎為朝は、保元の乱で父・為義と共に崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流されました。頼朝の祖父。

史実としては讃岐で出会うことなどないのでしょうが、そこは伝承。

二人ともここでは神様。
にくきゅ・・・きゃー( 〃▽〃)

境内に咲いていた桜で、閑話休題。
白人神社については、祭祀を行う組織に着目。
「祭祀組織
白人神社の祭祀の最も大きな特色の一つが、75人の宮人(みょうど)の存在である。宮人は忌部(いんべ)族の子孫とも言われ、古来、白人神社の祭祀の中心を担ってきた。
現在も白人神社の神輿かきは宮人に限られている。宮人は、特定の家に代々世襲されており、一種の宮座と考えることができる。宮人は、かつては厳しい潔斎をもって祭礼に臨んだものと思われる。」(1)
神社の祭礼を担う宮座は、各地の神社で様々な形態がありますね。
白人神社の場合、宮人が忌部族の子孫というのは、面白いです。

どんな?
「白人大明神は古来広大な社領を有し、それを確保するために宮人らは武装して防衛に当たった。
中世を通じて、宮人は神威を背景に社会的・経済的特権を拡大していった。
しかし藩政時代に入ると宮人の武装は解除され、自らの姿を木像に刻して神前に侍(はべ)らし(75体の神像が社殿内に奉祀されている)、平素は農業に従事し、祭礼にのみ参集することになった(『穴吹町誌』1071頁)。
宮人の家は宮内・首野・田方・調子野・知野・支納の六つのムラに分布している。神社を中心とするこれらの地域が、かつての宮人の活動の拠点であったものと思われる。宮人は現在、転出した家もあり、50人ほどになっている(『穴吹町誌』1071頁に、現在残る宮人の家が列記されている)。」(2)

うわー。
稲田氏が脇城主となるはるか以前より、白人大明神(白人神社)は存在し、広大な社領を持ち。

武装して防衛に当たった宮人達が神威を背景に社会的・経済的特権を拡大。

一大勢力を形成していたことが、わかりますね。

蜂須賀氏の阿波徳島入封に伴い、見ず知らずの土地を治めることとなった脇城主の稲田くん。

大阪夏の陣で稲田くんを助けて白人神社の神使となったうさぴょんのお話はメルヘンですが。

白人神社を崇敬することでまぁるく治めようとした稲田氏のもにょもにょ話なのかもしれません。
神社勢力をなめてはいけません。

ねー。
宮人は武装解除しますが、さぞかし悔しく心残りであったことでしょう。
宮人自らの姿を木像に刻して神前に侍らしたという、社殿内に奉祀された75体の神像。

今も姿を変え、白人大明神様をお守りしているのですね。
つづく。
参考文献
記事内(1)(2)の引用元は
徳島県立図書館
阿波学会研究紀要論文/郷土研究発表会紀要第45号「白人神社祭礼について」より
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/45/4528.html
白人神社
《住所》徳島県美馬市穴吹町口山字宮内2番地
いつも応援いただきありがとうございます。
宮座は、固定であったり、宮座内でくじ引きや持ち回りで祭礼を行うなど神社によって異なりますが、神社と集落の歴史を見るのにとても大切な組織です。白人神社の宮人(宮座)が、75もあるとは、すごいなー。白人神社の祭礼と宮座は、とても興味深いものなので、引用元の記事をご覧いただければ。



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