本尊は西照大権現。西照神社の別当寺だった大瀧寺

こんにちは。

今日は西照神社と別当寺の大瀧寺のお話。


べっとうですよ、天保14年6月生まれの狛ちゃん。


ちび狛犬さんが教えてくれた先には


大瀧寺の旧社地へ続く道。


【大瀧寺】

現在の大瀧寺は


西照神社参道下の鳥居の横。


真言宗御室派準別格本山・大瀧寺。


本尊・西照大権現
開山・行基菩薩


【由緒】(四国別格二十霊場会公式サイトより抜粋)

奈良時代(神亀3年)。行基菩薩が、塩江より登山し阿讃山脈秀峰に一寺を建立。阿弥三尊を安置。

平安時代の初期、延暦10年(788)。弘法大師が「求聞持修法」を行う(『三教指帰』大師著書)

弘仁6年(807)。弘法大師、42才で二度目の登山。
現世の男女厄難消除・万民安楽の為に、西照大権現の御尊像を安置し、法華経を一石毎に書き、男女厄流しの秘法を修す。


天安2年(858)。聖宝尊師(理源大師)が登山。
高野槙を手植え、男女厄除厄流の大護摩を修法。
その法が今に伝わり大瀧寺は「厄流しの寺」として有名である。



ここは、讃岐と阿波に近い位置なので

徳川時代には、讃岐高松藩と阿波徳島藩家老の稲田氏の祈願所となる。

当時は度々炎上して現在寺宝としては別になし。


辛うじて残る、稲田家や高松藩からのプレゼント記録。

江戸時代には、阿波讃岐登山道に鳥居が十八基在ったとか。



【西照神社と大瀧寺】

このふたつは、明治の神仏分離までは、空海の彫った「西照大権現」を祀る、本地垂迹による神仏習合の「西照権現」でした。

神祇官に代わり祭祇を司るのは、別当寺の僧。


西照神社拝殿前の石灯籠に「西照権現」の文字。


よって、双方の由緒は共通点があるのは当たり前。
(※それぞれの由緒の青文字が、それ。)

ですが、それぞれの立場により重視する箇所がびみょーに異なるのが面白いところ。


【西照神社】



【由緒】(境内説明板より抜粋)(青文字に注意)

祭神・月読尊は、九州と四国を統括し、東大和紀伊の動向を看視するよう伊耶那岐尊に命じられ、航海の神・宗像三神の部族を率いて眺望のきくこの大滝山山頂に下りた。

以来、標高946mの大滝山より、蒼生人(あおひとぐさ)の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護している。

平安朝の初期、桓武天皇の御代。空海24才の頃。
三教指針(神道儒教仏教)の一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山籠すること3年。

教理に初光を見出し、続いて土佐の国室戸に至って三年余を経て都に赴く。

延暦23年(804)。遣唐使の留学僧として唐へ。

渡海前、空海は大嶽山(大滝山)航海の神に安全を祈願して出航。
途中台風に遭遇。遣唐使の三隻は行方不明になるが、空海は遙か南方唐の赤岸鎮に漂着。

大同元年(806)帰国。
帰国した空海は、大嶽山(大滝山)の三神に厚く感謝。
後に、別当寺を建て門弟に奉仕させた。


続いて本地垂迹の説を唱え布教に努め、社号に権現号を贈り、西照大権現と改稱し、神祇官に代わり祭祇を司る。

藩政時代、阿州猪ノ尻の城主稲田家信仰篤く、現脇町字大谷奥部落を当社の地領として石高九石八斗余を寄附。

讃州高松の藩主松平家の祈願所であり、営繕費として石高五十石を寄附。



明治3年。太宰官布告により神仏分離の政令が下り、明治6年。
西照大権現を本尊とする大瀧寺と、神官が祭祇を行う「西照神社」に分けられた。


以上。



ごめんよ、ちび狛ちゃん。長くなって。

空海、神仏習合と神仏分離、厄除けに良し。
これで良し良し。



赤いお屋根がかわいい大瀧寺。


読めない石碑と


石仏様。

お山の上の旧社地にあったのかな。


謎である。


おお、別当寺の名残の・・・


違った。

左のろうそく立てでほぼ160cm。
鳴らす事が出来ない鐘楼に見えるんですが、どうですか。


ふたつは、並んでいます。


鳥居の横の石灯籠。


寺内で氏子で。たいへん。

頭が神仏仲良しこよしでいっぱいなので、変なとこにこだわってしまいました。

つづく。


西照神社と大瀧寺
《住所》徳島県美馬市脇町西大谷672


脇町から国道193号を北上、夏子ダム南側より阿讃中央広域農道に入り、県道252号→県道106号。要所には「大滝山」「大滝寺」等の表示あり。


いつも応援いただきありがとうございます。
長たらしく文章を並べてすみません。神仏分離は寺院側には辛い事だったでしょうね。大切に守ってきた西照権現の歴史と信仰を突然奪われるようなものですもの。現在のご本尊が西照大権現様という点に、ものすごく惹かれてしまいました。狼を追い払った狛犬さんのお話も、西照権現の時代。大きな狛犬さんは、神も仏もまもったんだなーっとしみじみしました。

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非公開コメント

No title

こんばんは。

いつも新鮮な、楽しい記事をありがとうございます。

吉野川沿いに讃岐山脈を眺めながら、近くを通ったことがあります。

西照神社と大瀧寺。神秘的で興味をそそられますね。

また、このたびは拙ブログにコメントをいただきありがとうございました。

つねまるさんにはいつも元気をいただき、本当に感謝いたしております。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

No title

こんばんは。

神仏分離の嵐が吹き荒れた頃、本当に日本中で大騒ぎだったんでしょうね。

この鐘楼、どうやるんだろう?

・脚立でも持って来る。
・長い紐を垂らして撞く。
・全く撞く事が無い。

このどれかかな?

No title

こんばんは。いつも楽しく拝見させて頂いてをります。

伊耶那岐尊が月讀尊に命じて大和、紀伊を看視すると言ふのも、とても気になります。

>夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護している。

この情景は、まさに寫眞の通りですね。幻想的で良いですね。

明日の続きが早く讀みたいです。

大川原英智様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

吉野川沿いを通られたのですか♪
まぁ、素敵。左右(南北)に迫る山々がとても素晴らしいですね。

今回は少しだけ山に向かってみました。

絶景を期待して観光地へ行ったなら残念な霧ですが、神域でこのような光景に出逢うことは先人達が感じたものを共有するような不思議な心地になりますね。

凹んでも一日、楽しくても一日。
どうせなら、楽しいのがいいなーっと思ってます。

先生の世界史、とても楽しみです。

受験の悪夢から解放されれば、歴史と人物のお話はとても面白いものなんだなーっと思います。

こちらこそ、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

神仏分離の嵐は、日本全国津々浦々まで行き渡ったんだなーっと実感しました。

この鐘楼、ほんとに変な感じで。
そもそも、すべてのお寺で鐘をつくの?って疑問もありつつ。

寺町の様なところは、皆がついたら、ごんごんごんごーんっとうるさいぐらいだろうしなー、っとバカな事を考えてしまいました。

山に響く鐘の音。聞いてみたいなぁ。

ごーん。

いっきゅーさーーーん♪

ついつい、こうなるけど~(^_^;)

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

大阪では夜明けまでどしゃ降りだったので、徳島はどうかしら?と思いつつ向かいましたが、とても神秘的な光景に出逢うことが出来ました。

大和、紀伊の看視に月讀尊が配されたこと、大滝山のある讃岐山脈を見れば地理的には頷けますけど、興味深いですよね。

神話にしても史実にしても、現地に立つことでいろいろと納得する面もあり、さらに疑問がわくこともあり。

>夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護している。

まさにこれなどは現地で体感。

何で山の上で海上安全なのー?って疑問もふつふつ。

晴れたら讃岐方面の海まで見えるという大滝山であり、南は吉野川の水運で海へ通じることにもつながるのかな?と、仁王立ちしつつ考えてみたり。

夜毎の白露ってのも、ホテルから早朝に見た景色で。
素晴らしかったですよー。
ビルに囲まれ街路樹しかない日々の暮らしからはわからなかったです。

徳島県、いいですね。
にし阿波をうろついた今回、特に感じました。
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Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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