阿波国で生まれ育った足利義栄、将軍になる

こんにちは。


苦節数十年。

やっと将軍の座が目の前にやって来たというのに、足利義冬は既に57歳。
加えてちょいと病身。

よって、代わりに登場したのが


嫡男の足利義栄。

永禄9年(1566)。義栄は、三好三人衆方の篠原長房・三好康長らに擁され摂津国へ入ります。

永禄10年(1567)1月5日。「従五位下左馬頭」に叙任。

永禄11年(1568)2月8日。摂津国において義栄に将軍宣下。

阿波生まれ阿波育ちの「第14代将軍」の誕生です。


やったーやったー\(^o^)/

さあ、あとは、上洛するだけよー。


ところが。



この頃、松永久秀と三人衆、仲違い。

足利義栄自身の病もあり、上洛は、まだ。

もたもたしているうちに、奴が来た。

そう。


きしめんだ。

違った。信長だ。

永禄11年(1568)9月。織田信長 with 足利義昭、上洛。


松永久秀は信長に下り、三好三人衆は京都から退き。

後見人がいなくなった義栄。


将軍の座を得ながらも一度も上洛することなく阿波へ帰国。


そして間もなく。

阿波国撫養(むや)にて、父親の義冬に先立ち、病没。


永禄11年(1568年)10月18日。
上洛からわずか一ヶ月で、足利義昭、将軍宣下。第15代将軍に就任。



義冬、しっかりして。



阿波公方の平島館(地蔵寺に移築)

ここで義冬は、義栄の後を継いだ義助(弟)と共に上洛の機会を待ちます。


平島館内に勧請した三社神社に義冬が建てた鳥居(現・古津八幡神社)


同じく、石灯籠(現・古津八幡神社)

義冬は何を思いながらこの鳥居や石灯籠を建立したのかな。


この間に畿内では、信長がずんずん台頭。


そして。



義栄から遅れること5年。

将軍を目指した足利義冬は、阿波国平島にて死去。



阿波公方足利家の菩提寺・西光寺の墓所。


第14代将軍・足利義栄(1538~1568)


将軍になったけれど一度も上洛出来なかった義栄。



第10代将軍・足利義稙(1466~1523)


二度も将軍職を追われ失意のうちに阿波国撫養で病没した義稙。



初代阿波公方・足利義維(義冬)(1509~1573)


従五位下左馬頭に任じられても将軍になれなかった義冬。



義稙を真ん中に、向かって左に義栄、右に義冬。


今は三人並んで静かに眠っています。


つづく。


いつも応援いただきありがとうございます。
ざーーーっと阿波公方三代を見てきた後で墓所を見ると、また趣が変わって見える気がします。今は静かな田園風景が広がる平島の地に、室町幕府の将軍となり、また次になることが出来る立場であった足利家の人々が暮らしていたんですね。

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非公開コメント

No title

こんばんは~

何だか物悲しいというか切なくなりました。

歴史って残酷ですね。

彼らが将軍になったとしても、いずれ室町幕府は滅びたとは思いますが、違う滅び方だったはず。

とにかくお三人方にはお疲れ様でした。と言いたい。

ぽちぽちぽちーーー☆

No title

こんばんは。

踏んだり蹴ったりの義冬さん。
信長現る!じゃあ、仕方ないわねぇ。
それにしても、この複雑怪奇な畿内の争いを、つねまるさんは、よくぞ纏めて読ませて下さいました。
ここまでまとめてもらっても、私の頭じゃ整理できないわ。
阿波公方殿の末裔って、もういなかったんだろうか。

さうだつたんですね。

こんばんは。いつも興味深い記事を讀ませて頂きまして、大変勉強になりつてをります。

阿南市にはかやうなお寺があつたのですね。知りませんでした。足利将軍家はなか/\に複雑ですが、その中にやはり悲哀があるのですね。
等持院に行きますと歴代将軍の木造坐像が安置されてをりますが、確か橘右の記憶では12代義晴、13代義輝、飛んで15代義昭と並んで、義栄が安置されてゐなかつたと思ひます。而も、義政以降誰かの順番ば違ひ義輝が14代と表記されてゐたやうな気がしました。あれ、記憶違ひだつたかな。

明日からは平島家の話でせうか、楽しみにしてをります。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

はじめは阿波公方ってだぁれ?から始まり、彼等三人に絞って追いかけてみましたが、ほんとに物悲しくて切ない人達ですね。

担ぐ御輿は高貴な方がいいけど武家じゃないとだめ。なのかな。

このあとも苦難というか、お気の毒な暮らしが江戸時代ずっと続きます。

堺にいた頃が唯一輝いたのかなー。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんです。信長が来てしまうと途端に、しょぼん、っとなってしまうので、もう、仕方がないですね。

はじめは細川さんちを追いかけてみようとしたんですが、あちこちに細川さんがいて、パニック。

阿波公方さん、ほんとに振り回されてお気の毒。

末裔の方は今も京都で続いておいでです。
他家がよそんちから養子をとったのに対し、阿波公方家のみが足利さんで続きます。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

阿南市付近は平島館を中心に阿波公方関連の史跡が少しずつ点在してました。

観光材料として阿波公方を取り上げていますが、いかんせん知名度が・・・。

等持院の歴代将軍の木造坐像ですが、ちょろっと検索してみたら確かに義栄はいませんね。

なかったことになってるのかしら。

代わりにといいますか、阿南市の阿波公方民俗資料館には、義植・義冬・義栄の像がありましたよー。

ここ、すごく良かったです。
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