阿波細川家の菩提寺、丈六寺。元親の血天井

こんにちは。



義稙亡き後、足利義維(よしつな・後に義冬)(1507-1573)は亡父の意思と執念を継承し、阿波平島の地に亡命政権『阿波公方』を樹立。


とーちゃんの遺志を継ぎ。

京都の室町御所で第十二代征夷大将軍となっていた実兄の足利義晴と対立する道を選び、その将軍位を虎視眈々と狙い始めます。


そんな義維の後ろ盾は、阿波国を代表する二人の権力者。

阿波守護職・細川之持(ゆきもち)と、その右腕・三好元長。


今日は阿波の細川さんちのお話少し。(一部過去記事使用)


【細川家の菩提寺、丈六寺】


丈六寺。

丈六寺は、室町幕府相伴衆、阿波国・三河国・讃岐国の守護の細川成之(しげゆき・之持の祖父)(1434-1511)が、中興開基。

阿波細川家の菩提寺です。


徳島県下最古の木造建築物。丈六寺の山門。

細川成之は、応仁の乱で東軍の副総大将。

しかし、成之以降は若年の当主が続き、家宰の三好氏が台頭。


丈六寺・徳雲院。

細川持隆(之持の子)が瑠璃殿として寄進。

永禄6年(1563)に細川真之(さねゆき・持隆の子)が改築し自身の法名である徳雲院に改称した建物。


経蔵は、1568年、細川真之の寄進。


細川持隆は、天文22年(1553)に三好実休により見性寺で殺害され。


現在は勝瑞城跡にある見性寺。

真之が後を継ぐも、細川家は三好実休とその子の長治が実権を握ります。

真之は新たに台頭してきた土佐の長宗我部元親と手を結び、長治を滅ぼしますが、天正10年(1582)に長治の実弟の十河存保(そごうまさやす)に攻められて自刃。


丈六寺本堂の背後の山に、細川成之、持隆、真之の墓所があります。


【長宗我部元親と丈六寺】

丈六寺の南東に牛岐城があります。


丈六寺の裏山より南方面遠景。


牛岐城は、細川氏の家臣・新開氏の居城。

三好義賢が守護細川持隆を倒した後は、義賢との間に主従関係を結び、三好氏の南方における軍事及び政治上の重要な領国支配の一端を担っていました。


四国ざっくり図。


丈六寺・本堂(蜂須賀時代)

長宗我部元親の侵攻に対し、牛岐城周辺の諸城はすべて落城。
しかし、牛岐城の新開遠江守道善だけは最後まで抗戦。

元親の阿波侵攻の最大の障害はこの新開道善。



天正7年(1579)。中内兵庫を大将とした元親軍が新開氏を攻撃。

道善、敗北。

翌年、新開道善は元親の軍門に降り、牛岐城は香曽我部親泰の支配下へ。


阿波・一宮城の小倉丸。

道善の降伏を聞き知った一宮城主の一宮成助も、その直後に降伏。


天正10年(1582)。
長宗我部元親と敵対する十河氏を支援し、四国侵攻を画策していた織田信長が本能寺の変で死去。


長宗我部元親は、23000の軍勢で阿波に侵攻。

一宮城主の一宮成助と新開道善は長宗我部の軍の先鋒として奮戦。

中富川の戦いで十河軍に潰滅的打撃を与えました。


十河存保は本拠地・勝瑞城館から退却。


長宗我部元親は四国をほぼ制圧。

元親が次にしたことは。

阿波諸将のうち謀叛の疑いのあるものの排除。


元親に降伏したとはいえ、道善の牛岐城は難攻不落の城であり、道善自身がいつ裏切るかもわからない。三好康長に通じている気配もある。


元親は、「今後の攻略会議」のため、新開道善を丈六寺へご招待。

(若しくは「四国平定の際には阿波のうち勝浦郡を与え、富岡城を安堵する」と提示。寺伝による)


生まぐろが出たかは不明。


よよいのよ~い♪な新開主従。

床下に隠れていた元親の刺客に襲われ、死亡。



この時、床板に、新開道善主従の血痕が飛び散り、拭っても拭っても落ちない。

そこで、供養のため床から外し天井板にしました。これが、

丈六寺の徳雲院の「血天井」

手の跡、足の跡。







徳雲院前の回廊。白い三角の垂れ壁間の天井板です。


説明板。(クリックで拡大)


「元親記」では新開道善は切腹させたと記述があり、真相は謎。

道善の嫡子実成は桑野付近で自害したといわれ、新開氏は長宗我部元親の阿波侵攻によって滅亡。

長宗我部元親。してやったり、の巻。

元親はその後、弟の長宗我部(香宗我部)親泰を牛岐城に配置し、阿波南方の守備をさせましたとさ。



中富川の戦いで土佐勢の先鋒として活躍した一宮成助もまた、三好康長に通じたとの理由で夷山城にて長宗我部元親の家臣により謀殺され。

元親は旧三好方の阿波の諸将を次々に排除(「元親記・中」)。

阿波における元親、感じわるーい、のです。



蜂須賀家一門と重臣の墓が立ち並ぶ観音堂の一角。

阿波国守護細川家により手厚く保護された丈六寺は、阿波徳島藩主となった蜂須賀家が引き続き寺領200石を給し保護。


1567年、細川真之の寄進の観音堂。

足利義冬も来たのかな。


おしまい。


いつも応援いただきありがとうございます。
阿波細川家の菩提寺の丈六寺。室町末期から戦国時代の阿波の歴史をぎゅぎゅっと凝縮したようなお寺ですね。また行きたいなー。若葉か紅葉の季節に・・・。元親の阿波征服の頃になると肝心の後見人である細川・三好両氏は激しく衰退。阿波へ来たのはいいけれど、足利さんちはさぞかしがっくりきたかと。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

血天井・・・見ちゃったil||li _| ̄|○ il||l

阿波から見ると元親って・・・ネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

司馬作品を読んでた頃は好きだったんだけど、別の角度からの つねまる様記事を読んでいるうちに印象がかなり変化しました^^

ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あ、ごめんなさい。

見ちゃったのね~♪

丈六寺の件含め、お遍路のお寺もファイヤーしまくり、印象はよくないですね。
いろんな見方があるのが面白いです。

No title

つねまるさん、こんばんわ~

丈六寺は由緒あるお寺だったのですねー。

このお寺は、元親の阿波侵攻で新開入道さんを騙まし討ち
したことを記事にしましたので知っています♪

血天井は多くあるようですが、無念=血天井に後世の人が
したのでしょうかね。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

丈六寺、春とか秋ならもっときれいでしょうねー。

血天井は、供養のために床板を天井板とするようですが、こちらではやはり伏見城の遺構ですね。

明治に学校や老人ホームになった経緯があり、お堂周囲は少し変わってますが、天井はそのままだったのかな。

ちょっと怖いです。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼