「真田丸」さらば上野国。滝川一益別れの宴と謡『羅生門』
さて。前回では、群馬県の能楽事始めが滝川一益の能興行、のお話を致しましたが。
「真田丸」滝川一益、厩橋城で玉鬘を舞う。群馬の能楽事始め
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-734.html
今回はその続き。

滝川一益、小鼓なう。
一益は上野国の諸将を従え、上野・武蔵国境の神流川の河原で、北条氏邦を先鋒とする北条軍と対決(神流川合戦)。
敗北した一益は碓氷峠を越え、信濃国小諸を経て本国伊勢へ引き返します。
大河ドラマでは草刈な真田昌幸さんと差しつ差されつ、ゆっくり語り合っていましたねぇ。
実は一益は、神流川合戦に敗れて小諸へ向かう際に、上野国の諸将を厩橋城に集め酒宴を開いています。
《別れの宴で謡う一益主従》
酒宴の席で。
一益が『羅生門』の一節を鼓に合わせて「武士の交り頼みある仲の酒宴かな」と謡うと、
倉賀野淡路守が『源氏供養』の一節「名残今はと鳴く鳥の」と返しました。

「『上野史談』小学校生徒用」より。
【『羅生門』と小謡】
一益の謡った『羅生門』とは。
源頼光と家来達が長雨のつれづれに開いていた酒宴。
その最中、「羅生門に鬼が出るとの噂がある」と言う平井保昌と、「この平和な御代に鬼の居場所はない」と反論する渡辺綱。
激しい口論の末、武士の意地にかけてその実否を確かめようと、綱は羅生門へ赴くこととなり、頼光から「行った証拠に立てる札」を賜り、酒宴の場から立ち去ります。
後半はその鬼退治の場面ですが、シテが一言も謡わない異色の曲です。
なぜ、『羅生門』の一節なのか。
「ともない語らう諸人に。御酒(みき)を勧めて盃を。
とりどりなれや梓弓。弥猛(やたけ)心の一つなる。
武士(つわもの)の交わり頼みある仲の酒宴かな」
この部分は、「武士の交わり」と呼ばれ、武士の間で盛んに謡われたものです。

このように、長い長い謡の一曲の中において、TPOに合わせて謡われる「小謡」と呼ばれる部分があります。
《小謡ってなんだー》
謡の中で特に詞章や音階の美しい箇所等を「謡いどころ聴きどころ」としてピックアップしたものを、「小謡(こうたい)」といいます。
江戸時代。能が武家の式楽となり、庶民には中々目にすることが出来なくなります。
ちょうどこの頃、本が写本から印刷になります。
出版が盛んになると謡本が爆発的に売れ、謡が普及します。
また、謡の普及の元には、寺子屋があります。
江戸時代の寺子屋では主に男子を対象に謡曲を教えています。
謡曲の詞章は、実用的な教育を重んじる寺子屋で、手軽に文字の読み書き、地理や歴史、和歌、道徳など様々な知識が得られる教材として重宝されたようです。(文化デジタルライブラリー「日本の伝統音楽・歌唱編」)
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc8/deao/youkyoku/chusyaku.html

「歌麿筆寺子屋小謡図版画」(法政大学能楽研究所蔵)
おっきな口を開けて、謡のお稽古なう。
祝言、宴会、お葬式、法事、それぞれの場面に応じた小謡があります。
例えば、宴会や能の催しの最後に、『高砂』
「千秋楽は民を撫で。万歳楽には命を延ぶ。
相生の松風。颯々(さんさん)の声ぞ楽しむ。颯々の声ぞ楽しむ。」
特に『高砂』は、結婚式でよく耳にする「高砂やこの浦舟に帆をあげて~」等、5ヶ所も小謡があります。めでたいめでたい。
追善の折に、『卒都婆小町』
「花を仏に捧げつつ悟りの道に入らうよ。悟りの道に入らうよ」
棟上げ式の祝言「鶴亀」「邯鄲」等。
法事の際の追善「融」「海士」等。
花見では、「桜川」「鞍馬天狗」等。
特に酒席で謡われるものを「肴謡」と呼び、これは数知れず。
いかに謡が庶民の生活の中で身近に楽しまれてきたかが窺えるかと。
【『源氏供養』】
倉賀野淡路守が謡った『源氏供養』。
石山寺へ参詣途中の安居院法印(澄憲)のもとに紫式部の霊が現れ、自分は源氏物語を書いたが、その供養をしなかったため成仏できないと訴えます。
法印が石山寺に到着し回向をしていると、紫式部が生前の姿で現れ、源氏物語の巻名を読み込んだ謡にあわせて舞い、実は式部は観世音菩薩の化身であったと明かして、おしまい。
仏教において、架空の物語を作ることは「嘘をついてはいけない」という五戒の1つ「不妄語戒」に反する、という当時の思想から、紫式部が源氏物語という人々を惑わす絵空事を描いたため、死後地獄に落ちてしまった、とする伝承が元にあります。(wikipediaより)

倉賀野淡路守が謡った「名残今はと鳴く鳥の」は、後半。
地「実に面白や舞人の。名残今はと鳴く鳥の。夢をも返す袂かな。」
シテ「光源氏の御跡を。弔ふ法の力にて。我も生れん蓮の花の宴は頼もしや。」
地「実にや朝は秋の光。」
シ「夕には影もなし。」
地「朝顔の露稲妻の影。何れかあだならぬ定なの浮世や。
よくよく物を案ずるに。よくよく物を案ずるに。紫式部と申すは。
かの石山の観世音。仮にこの世に現れて。かゝる源氏の物語。
これも思へば夢の世と。人に知らせん御方便げに有難き誓ひかな。
思へば夢の浮橋も。夢の間の言葉なり夢の間の言葉なり。」
紫式部の霊が舞ううちに聞こえた「名残今はと鳴く鳥」の声。
ここで、シテはふと我に返り、地謡により、紫式部は石山寺の観世音菩薩の化身であった事が明かされます。

【滝川一益、出立】

「ともない語らう諸人に。御酒(みき)を勧めて盃を。
とりどりなれや梓弓。弥猛(やたけ)心の一つなる。
武士(つわもの)の交わり頼みある仲の酒宴かな」
と「武士の交わり」を謡った一益に続き、「名残今はと鳴く鳥の」と倉賀野淡路守が謡ったことにより、この地での交わりは「これまでなり」と、別れを告げる言葉となるのです。
まさに、別れの宴。
一益主従の謡への造詣の深さが伝わるお話でした。
参考文献
『能・狂言なんでも質問箱』(山崎有一郎・葛西聖司著/檜書店)
『能・狂言事典』(西野春雄・羽田昶 編集委員/平凡社)
群馬県立図書館デジタルライブラリー「上野史談」小学校生徒用
http://www.library.pref.gunma.jp/index.php?key=muz6uxudu-917
同上「上野史談」
いつも応援いただきありがとうございます。草刈昌幸様に「酒宴の支度をするよ」と一益が言ったとき、そらもう、がっばーっとテレビに食らいつきました。

わくわくどきどき。
二人きりでしたねー。ざんねん。まぁ、ここでいきなり謡われたら、昌幸とーちゃん、口あんぐりだったかもぉ。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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