阿波守護細川と三好が崇敬した住吉神社。三好氏と社家

こんにちは。


勝瑞城。

十五世紀中頃に阿波守護細川氏が守護所を土成町の秋月から勝瑞に移した事に始まる勝瑞城。

天文二十一年(1552)。

守護の細川持隆が執事の三好義賢(後に実休)と対立して謀殺され、その後は戦国大名三好氏の居城として栄えます。


勝瑞城内の三好一族(之長・元長・義賢・長治達)墓所。

この三好氏が信濃国から勧請したのが、


諏訪神社でした。


この子がいる神社ねー。

守護の細川持隆を三好義賢が謀殺したことにより、三好氏は勝瑞城館を拠点とするとっても有力な戦国大名となっていくわけですが。


阿波守護の細川氏9代、三好氏3代、約240年の根拠地であった勝瑞城館付近には、細川・三好の両氏が崇敬した神社もありました。



住吉神社。・・・狛犬天国~!!



三好義賢が若い頃に神職を務めたと伝わる神社です。


三好義賢(1527?-1562)※のちに、実休。
元長の子。兄は長慶、弟に安宅冬康、十河一存、野口冬長。

細川持隆を謀殺した人。

さらに、三好義賢(実休)の次男の十河存保(そごうまさやす/ながやす)(1554-1587)も永禄年間(1558-1569)に祀官へと補され、現在の社家十河家へと続いています。(『阿波誌』)

存保は、中富川の戦い(1582年)で激戦の後、長宗我部元親に敗北。

阿波と勝瑞城を放棄し、同年9月、讃岐の虎丸城に撤退しますが、ついに元親軍に敗北。

秀吉を頼り讃岐十河3万石に復帰します。



が、九州征伐の折、長宗我部元親親子と先陣を務めますが、対島津家久の戸次川の戦いにおいて戦死。

元親の嫡男・信親も戦死。

軍監は、仙石秀久。この人が(自主規制)。無茶で無謀な戦でした。


とても背伸びしている鳥居。

社頭に道路を設置した折に下駄を履かせたのかわかりませんが、
みょ~に長い藁座(でいいのか)です。

もはや「土台」とか「シークレットブーツ」のノリ。


金網?


この子、住吉神社の子。いえーい♪

つづく


いつも応援いただきありがとうございます。
諏訪神社から東へ少し。住吉神社がよもや狛犬天国とは思いもよらず。うはー!うはー!っと鼻の穴拡げてうろつく不審者と化してしまいました。十河存保は三好氏の落日を象徴するような人生ではありますが、彼は自分に出来る事を一生懸命やっていたのだろうなーと思います。

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No title

こんにちは~♪
ご無沙汰してました(*^^)
本日退院しましたのでまたよろしくお願いしますね(^_-)-☆

No title

こんばんは~~~

「ふーん」って言ってる狛ちゃん、賢そうです~
以前に出てた賢い狛ちゃんが成長したみたいだ^^

>十河存保

この方だって若くして、しかも当主で、しかも嫡男幼いのに戦死。
なのに某家嫡男ばっかり-----(以下自粛)

なんだかワクワクします~次も楽しみ( *´艸`)
ぽちぽちぽちーーー☆

まり姫様

ご無事に退院、よかったですね。
無理せず、ゆっくりゆっくり、です。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

賢いちゃん、ありそでないんですよねー。
住吉神社の狛犬さん、とても個性的な子でした。しばしお待ちを。

三好さんとこ、元長もお子達も、短命なんですよね。
おしまいのときってのは、こんな具合なのかなぁ。

少し寂しい思いの藍住町巡りなのですわ。
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