津田石清水神社の由緒。雨滝城と干ばつ

津田石清水(八幡)神社。古くは津田八幡宮。

讃岐国名勝図絵(嘉永7 《1854》年刊)
山の上には、古城。
これは、雨滝城。
「築城年代は定かではないが長禄年間(1457年~1460年)安富盛長によって築かれたと云われる。 安富氏は播磨国三ケ月郷を領していたが応安年間(1368年~1375年)頃に細川頼之に従って讃岐国にきた。
元亀3年(1572年)安富盛定の時、三好長治の家臣篠原弾正入道紫雲の女を娶り三好と誼を結んだ。 元亀3年(1572年)東讃に勢力のあった寒川氏は三好氏によって虎丸城を追われ、昼寝城に退くと、虎丸城には盛定が移り雨滝城には家臣六車城主六車宗湛が移った。」
(「城郭放浪記」様より引用。)
http://www.hb.pei.jp/shiro/sanuki/ametaki-jyo/

広い広い境内です。
図絵によると、津田八幡宮の右横に神宮寺である常楽寺。

ちびちゃん、常楽寺はどこにあるのかしら?

明治の神仏分離の折りに廃されて、現在は小学校になっています。

ものすごく前のめりなおねだりです。
いやん、かわいい。

はいはい。かわいいかわいい。

創建は不詳。
諸説あり。
・承平6年(936)8月、多和郷の産土神として神野の地に創祀。
・天暦4年(950)3月、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請。
・承和元年(834)、宇佐八幡より奉遷勧請。など。
現地説明書では、この通り。

(クリックで拡大)
雨滝城の鬼門守護のため、安富氏が石清水八幡を勧請し、雨滝山麓に鎮座していた、と。
雨滝城の主が安富氏から三好氏等へ代わっても、八幡さまは崇敬を集め大切にされていました。
が。
四国と言えば、長宗我部ファイヤー。

社殿焼失。
文禄元年(1592)8月再建。
文禄4年(1595)。生駒親正が讃岐国へ17万1,800石で入封。
(この頃、各地で大地震が頻発するなど不安定)
慶長年間(1596~1615)干ばつが相次ぎ、里人は灌漑水に窮して生駒親正に溜池の新設を願い出ます。
溜池の候補地になったのが旧八幡社の境内。
境内の周囲の池を合わせて新池を築いて「御座田池」とし、八幡社は、慶長5年(1600)に現在地に遷座。

明治4年。津田八幡宮から津田石清水神社に改称。

きゃー!誰ー!

美形、キターーーーー!( 〃▽〃)!
つづく。
津田石清水神社
《住所》香川県さぬき市津田町津田106
神社の南西に雨滝山。
参考文献
『再訂 津田町史』 (津田町/1986)
いつも応援いただきありがとうございます。
雨滝城とセットであった津田八幡宮。讃岐国名勝図絵の時代には、雨滝城は「古城」と描かれ、津田八幡宮は神宮寺と共に広大な松原の中に鎮座する様が見開きで描かれ。なんとも興味深い場面だなぁと思いました。さて、次は、美形さんの出番。うふふ。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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