平賀源内の墓所と志度寺

こんにちは。


屋根のお魚。ぴーんちっ。


お魚の逆襲。


四国八十八箇所霊場の第八十六番札所、志度寺。

お遍路さんが大勢お参りされていました。


讃岐国名勝図絵(嘉永7 《1854》年刊)の志度寺。


名勝図絵には、細かい描写があって、生き生きとしています。

この、お掃除なう、の人がいるお寺は自性院(じしょういん)。

志度寺の元・御影堂(大師堂)跡地で、天正年間に志度寺の塔頭として開基されたお寺。

ここには、


「平賀源内の墓」があります。

平賀源内は、ここ、志度が生まれ故郷。

志度にある平賀源内記念館では、源内の遺品や杉田玄白との書簡等が展示されています。

讃岐国寒川郡志度浦の白石家の三男として生まれた平賀源内。

「白石家は讃岐高松藩の足軽身分の家で、元々は信濃国佐久郡の豪族(信濃源氏大井氏流平賀氏)。

『甲陽軍鑑』によれば戦国時代の天文5年(1536)11月に平賀玄信の代に甲斐の武田信虎による侵攻を受け、佐久郡海ノ口城において滅ぼされ、奥州の白石に移り伊達氏に仕え白石姓に改め、さらに伊予宇和島藩に従い四国へ下り、讃岐で帰農したという。

源内の代で姓を白石から先祖の姓の平賀に改めている。」(wikipediaより)

エレキテルを修理してみせたり、鉱山開発したり、浄瑠璃を作ったり、多方面で活躍した平賀源内。

東京の総泉寺の移転前の台東区橋場の敷地に墓所がありますが、こちら讃岐の志度の自性院はもともと平賀家の菩提寺。


源内の義弟が建てたと伝わります。


向かって右側が自性院。

さて、そろそろ帰ろうかなーっと駐車場へ向かう途中。


片隅に、鳥居。


ぼく、鳥居。ひゃくすうじゅっちゃい。


名勝図絵にも描かれている弁天社でした。


今は拝殿とおぼしき建物はなく、お社とそれを囲む池が残ります。


だいじょーぶ。お正月のお飾り、ちゃんとあるよー。

あ、もう一度お参りしとこー。


海士の墓。


帰りに見たら、顔出ししたくなりました。ほほほ。


志度寺に憧れ続けること四半世紀。

やっとお参りすることができました。

嬉しいなー。


志度寺の横には、海。

満足満足。おしまい。


志度寺
《住所》香川県さぬき市志度1102



ふたつ西側の駅は、「房前」なりぃ~★


いつも応援いただきありがとうございます。
能楽「海士」の玉之段に憧れたことから舞台となった志度寺にも憧れ。まんぞくぅ~(*^_^*)な心地で海を眺めて、しばらく放心。海はいいなぁ。あ、おへそが出てるような山は五剣山です。第八十五番札所の五剣山八栗寺があるところで、その向こうは屋島。
海を眺めて腑抜けになって、体が冷えきったところで、次の神社へ向かいました。ぶるるる。

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No title

平賀源内、以前読んだ歴史漫画で讃岐の人って簡素にあったけど、ここだったんだ^^

本当にマルチな人ですよね。
現代に生まれてたら、何を本業にしてたんだろう。

可愛い正月飾り~こういうの好き^^
ぽちぽちぽちーーー☆

No title

つねまるさん、こんばんわー♪

いつかは廻りたい八十八箇所巡り☆

なかでも志度寺は人気のお寺のようですね。
知りませんでした。平賀源内のお墓があるお寺とは、、

源内さんは蘭学者と思っていたら、多種多彩の領域に名前を残しているんですね。
戯作の開祖だといわれ、多くの作品を残しているとか。

まるで、つねまるさんみたいな人です!

天下堂々、懐かしや

その昔ガキの頃、某国営放送局で「天下堂々」って連続物のドラマやってまして、平賀源内の役を山口崇さんが演じてまして毎週みてたなあ・・(年齢バレバレ?)杉田玄白や悪名高き田沼意次も出てましたが、この時の田沼意次さん、実にいい人でした。

平賀さんのご先祖は鎌倉初代執権北条時政の娘婿の平賀朝雅が有名で、婿殿を鎌倉将軍にしたいがために畠山重忠を殺し、三代将軍実朝まで暗殺しちゃいました。その後失脚しちゃいまして、朝雅も殺されちゃいましたが・・。
この辺のドロドロした話は実に興味深いですなあー。
では(笑)

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

私も知らなくて、志度寺を調べてて初めて知りました。

何にでも器用な人は、今だと何になってるでしょうね。
カタカナ職業かなぁ。←苦手。

駐車場の片隅に弁天社があったので、かわいいお正月のお飾りに和みました。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

いやぁ、びっくりしました。
平賀源内の墓があるとは。

実は何をしたのか具体的に知らなくて、というより、わからなくて。

私など足元にも及ばぬご活躍だったようですね。

志度寺、海士の舞台となったことだけ頭にあったので、八十八箇所巡りのひとつだとすっかり忘れておりました。おほほほほ。

なるほど、人気なのかぁ。
駅からも近いし、あ、歩く方には平坦な道なのかな。

四国、八十八箇所巡りというと、水曜どうでしょう、ですねー。
長男、頑張れ!です。

らんまるせんせ

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

おおおおーー!!!

そうか!平賀朝雅がご先祖ですかー!!

目からいろんなものがこぼれ落ちました。

あの時の平賀朝雅から源内に繋がってましたかぁ。
牧の方に巻き込まれたのか自ら自覚して飛び込んだのか。

へーーーえーーー。

そうかぁ、ありがとうございます♪

山口崇さんは、大岡越前の上様とタイムショックのイメージです。

「天下堂々」、検索してきました。

サブタイトルが、「ブラックは忍びの色」とか「夢はぴょんぴょん大レース」とか、すごく面白そうなドラマなのですねー。

田沼意次がいい人なのも、ポイント高いです♪

むふー。お年のことはつっこまなーい(*・∀・*)ノ

No title

平賀源内
平賀玄心の子孫ですか!!
っていうか、平賀源心なら見た事あるけれど、玄心は知らなかった。
読みは同じだから、同一人物?
源心の胴塚は、野辺山にあるんですよ。
それに平賀は佐久市内の地名だし。
平賀は「ひらが」じゃなくて「ひらか」って読むんだって。土地の方に、何度も訂正されてしまいました。
らんまる先生のコメントの平賀朝雅も同じご先祖?
姓って、色んな事を読み解く手掛かりになるんだなぁといたく感心しました。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

平賀~玄信・源心・玄心、とそれぞれの表記があるようですね。

>源心の胴塚は、野辺山にあるんですよ。

おおお。そうなんですか。
さすが地元情報。ありがとうございます。
野辺山、って地名、意味深ですねぇ。

平賀朝雅の平賀氏は、頼朝と同じ河内源氏系になります。
新羅三郎義光の四男の盛義が、平賀氏の祖。

朝雅は、北条時政と後妻の牧の方の娘の婿です。
先妻の子である政子・義時の最強コンビにより殺されますが。

承久の乱では京都方についた平賀氏のその後が続いていたとは、すっかり盲点でした。

姓というか、氏というか。

遡って見ていくと、面白いですね。根っこで繋がります。

ただ、後世には自分ちを格上げしようと系譜を偽造したところが多いので、五歩ほど引いて「へ~」程度に見ることも必要ではあります。
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