南海目指す補陀落渡海と四国。志度寺の山号「補陀落山」

こんにちは。



珠を取り戻したら我が子房前を不比等の後継者・大臣にすると不比等と約束し、命を捨ててそれを果たした海人の伝承は能楽「海士」で描かれます。

志度寺の海人伝承その1。能楽「海士」

hhtp://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-710.html


その海人の墓と、房前が長じて後に納めた千基の石塔(一部)が志度寺にあります

それがこちら。


・・・なんだこりゃ。


お参りもできねぇ。

隙間から失礼しまして。


中央が海人の墓、左右が法華経を納めた石塔。

画像では小さく感じますが、高さは160cm以上かと。威圧感。

左右の法華経を納めた石塔、たぶん、体操座りしたら、私、入れます。


経筒って土に埋めるんじゃないのかと思いつつ、初めて見る石塔群にぞわぞわわくわく。

しかし、林立する枕木のような無粋な棒のせいで、とおーーーーーい。

海人の墓と石塔群に会いたくてはるばる来たのになーっと、うろうろ。

てへ。


裏へ回ったら、お参り可能。


千基も石塔が並んでいる様は、さぞかし異世界のようだったでしょうね。

駐車場から入ったらお寺の横っちょだったので、まずは正面へ。


四国八十八ヶ所霊場の第八十六番札所、志度寺。


仁王門。

寛文10年(1671)12月20日上棟の仁王門は、讃岐高松藩・松平家初代の松平頼重の再建。

でぇだらぼっちが履くかの如き大きなわらじがかかっています。


伝・運慶作の仁王様。


香川県指定の重文にすぎないのは、運慶作の裏付けがないからかな。

惜しい。


補陀洛山?おおお。懐かしい。

覚えておいででしょかー?

ふだらく、といえば、補陀洛渡海。


【補陀洛渡海、ちょっと復習】

「補陀洛渡海」といえば、


これ。補陀洛渡海に用いたお船(復元)。

主な出発地は、


和歌山県那智勝浦町の補陀洛山寺。

山号は白華山。本尊は十一面千手観音。天台宗。


【ふだらくとかいって、何だー?】



観音菩薩のいる浄土である「補陀洛」を目指し、小船にのり大海に身を預ける捨身行が補陀洛渡海。


【ふだらくって、どこだー?】

こんなとこ。


滋賀県彦根市の龍澤寺「ふだらくの庭」

「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住む浄土のこと。(wikipediaより)


(龍澤寺「ふだらくの庭」)

「中央の島が補陀落山、一番中央の石が観音様の立姿、その右横の船の形をした石が僧侶慧萼が渡った船(現実世界と仏の世界の渡し船)、白砂は大海、砂紋はさざ波、奥の杉垣が水平線、さらに奥の生垣が雲海を表す石庭」(龍澤寺「ふだらくの庭」パンフより抜粋・引用)

この南海の彼方の補陀落を目指して船出するのが「補陀落渡海」。



「熊野那智参詣曼陀羅」(16世紀頃)に描かれた補陀洛渡海へ出航する光景。


那智の浜からの補陀落渡海は、平安前期の868年/貞観10年の慶龍上人から江戸中期の1722年/亨保7年の宥照上人まで25人。

平安時代に5人。鎌倉時代に1人。室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)。安土桃山時代に1人。江戸時代に6人。



補陀落渡海の名のもと、入水するためこの那智勝浦の海へ出たのは、

平維盛。


太刀を落としました。


確かに、那智勝浦からならば、南の海は近い。


【補陀落渡海と四国】

ここ、四国にも補陀落渡海を行ったとされる霊場が複数あります。

室戸岬と足摺岬です。



室戸には二十四番最御崎寺、足摺には三十八番金剛福寺があり、両寺とも「補陀落東門」と呼ばれ、補陀落浄土への入口とされているとか。

いずれも那智勝浦の補陀落渡山寺のように、南へひらけた海に面しています。


例えば高知の足摺岬。

「あやしくて忍びて見送るに、岬に至りぬ。一葉の舟に棹さして、南をさして行く。坊主泣く泣く、『われを捨てていづくへ行くぞ』といふ。小法師、『補陀落(ふだらく)世界へまかりぬ』と答ふ。見れば、二人の菩薩になりて、舟の艫舳(ともへ)に立ちたり。心憂く悲しくて、泣く泣く足摺りをしたりけるより、足摺の岬といふなり。岩に足跡とどまるといへども、坊主はむなしく歸りぬ。」(『とはずがたり』久我雅忠女/南北朝期)


弟子の小法師が師の坊主に先だって補陀落浄土へ渡海することになり、二人の小法師を見送る師の坊主が泣き悲しんで足摺りをした。
そのためこの地を足摺岬と呼ぶようになった、と。


山号に「補陀落山」の号が付くのは、ここ、八十六番志度寺と八十七番長尾寺。

いずれも海辺のお寺。


讃岐国名勝図絵(※嘉永7 《1854》年刊)の志度寺。

境内のすぐそばまで、海。


海人の墓も、仁王門も、この図絵の位置にありました。


お絵描きの背景に使った景色は、志度寺の目の前の海。


(道の駅那智のジオラマ/補陀落渡山寺からの渡海)

志度寺の目の前の海からもこのように旅立っていったのかなぁ。

外海に面し荒々しい熊野の太平洋と、のーんびりした趣の志度寺前の海をついつい見比べてしまいました。


次回。さすがのあたくしもこりゃ困った、の巻。

つづく。


志度寺
《住所》香川県さぬき市志度1102



ふたつ西側の駅は、「房前」なりぃ~★


いつも応援いただきありがとうございます。

あー、でぇだらぼっち、って、浜乙女って海苔のCMで見慣れた名古屋ローカルなのかも。全国的には、だいだらぼっち。池や山を作った巨人です。
熊野古道も四国八十八ヶ所霊場も、巡礼の道。根底にある信仰については長くなるので省きますが、現地に残る伝承や史跡について追えば追うほど頭脳は混乱、感覚は「すげー!行きたーい!」。しかし、室戸岬も足摺岬も、大阪からは(も?)近くてとおーーーーい土地なのです。十数年前まではフェリーがあったんですが、廃止。下道で室戸岬と足摺岬なんて、気絶しそうです。

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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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No title

こんばんは~

>経筒って土に埋めるんじゃないのか

普通は埋めます・・・自分も石塔に納めるのは初めて見ました(@@)

譜堕落都会・・・一気に入力変換したら、こんなの出ましたil||li _| ̄|○ il||l

懐かしい~イケメンイクメン惟盛さん♪

ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

信仰の形には、地域独特のものが多いですね。
五輪塔の形も、刻まれる字も。

ふだらくとかい。懐かしくて。
維盛もお久しぶりでした。

いつか四国の先端の旅、したいなぁ。

志度寺の山号「補陀落山」

バックデートで見せて頂きました!
•南海目指す補陀落渡海と四国。志度寺の山号「補陀落山」と彦根市の龍澤寺「ふだらくの庭」など
比較説明で良く理解できますね。感嘆!

No title

補陀落渡海!
足摺岬もそうだったんですね。
名前からして、なんかおかしいと思ってたんですよね。
『海人の墓と、房前が長じて後に納めた千基の石塔』
千基の石塔ってスゴイですね。
裏側から無事にお詣り出来て、良かったわ。
こう言っちゃなんだけど、志度寺では補陀落渡海は無理だったんじゃ・・・・
小豆島とか中国地方に着いてしまうんじゃなだろうか。

四方様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

おほめのお言葉、ありがとうございます。とても励みになります。

あちこちへ行くと画像の在庫が増えて、内容が少しずつ繋がっていくのでとても記事が書きやすくなりますね。

龍澤寺「ふだらくの庭」を眺めていた頃は、補陀落渡海をまだあまり知らなかったので、ちんぷんかんぷんでした。

いろいろ調べた後から眺めて、あー、そうだったのか!っと。

これからも少しずつですが、あちこちへ行きたいです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんですよぉーーー。

補陀落渡海は那智勝浦だけではなかったんですー。

大阪でも、行われていますの。

でも、志度寺からお舟で出たら・・・そう、小豆島や淡路島に着いてしまいそうですね。
やはり足摺岬のような位置にないと。

四国ではお遍路さんに出会うことが多くて、四国全体が信仰の場所なんだなぁと思いました。

石塔。

かなり少なくなっていますが、なんとも言えない不思議な空間でした。
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