八幡神さまどいて。猪熊兼古神社を造る。白鳥神社(10)

こんにちは。


やっと戻ってきました白鳥神社。



日本武尊の霊が白い鳥となって飛来した所へ勅命により、讃岐国国造が神祀を建立。(『白鳥神社記』)

「日本武尊、終に崩じ給ふ、御年三十、白鶴と変じて西を指て飛去、讃岐国白鳥明神と顕れ給ふ」(『源平盛衰記』巻四四)



天正年間(1573~1592)。

土佐の長宗我部勢による「虎丸城攻め」(十河存保の救援に出たはずの仙石秀久が長宗我部勢に敗れた戦い)の兵火で焼失。


慶長10年(1605)。

高松藩主・生駒一正の援助により、僧・増乗が再興。
「鶴内八幡宮」と称したと伝わります。(『鶴内八幡宮縁起』)



寛永17年(1640)。
生駒騒動により、生駒氏改易。
この時点で社領20石。(『国中寺社領高書上写』覚城院文書)

寛永19年(1642)。
松平頼重(水戸藩主徳川光圀《水戸黄門》の同母兄。)が12万石で入封。

寛文4年(1664)に白鳥神社の社殿を修築。

事前に京都の「吉田神社」の祀官「猪熊兼古(本名・卜部兼古)」に、社殿の設計や運営を委託。

白鳥神社の東隣に屋敷を建て、宮司として迎えます。



小大名クラスに匹敵する門構えの屋敷です。


ちょうどこの年、寛文5年(1665)。7月11日。

江戸幕府、「諸社禰宜神主法度」(当時は「神社御条目」)発布。



神道において、許認可権を吉田家が握ることを改めて幕府の法度の中で明記。



家康が「大権現」となることで、徳川御三家はじめ諸大名が神道に興味を持ち、傾倒していった頃合い。

水戸の光國に『日本書紀』の資料を提供するなど交流があり、頼重も全く知らない間柄ではなかったのでしょうね。


猪熊兼古は、吉田神道の思想に基づいた設計を行います。


【白鳥神社ができるまで】

前身は、前の高松藩主・生駒一正による「鶴内八幡宮」。
別当寺「鶴内寺」が東に隣接し、社僧がいました。

「鶴内八幡宮」ですから、主祭神は、八幡神が鎮座。



まず、八幡神を西山村別宮八幡神社へ移し、

改めて日本武尊を主祭神とします。



次に、神道が第一の吉田神道の基本理念に基づき、社僧を排除。
別当寺である鶴内寺を解体。



讃岐国名勝図絵(※嘉永7 (1854)年刊)の白鳥神社。


こうして、近隣には例のない壮麗な社殿を構え、広大な松原を境内地にもつ現在の「白鳥神社」が出来上がりました。



このでっかい狛ちゃんも、頼重時代の奉納。



すうひゃくちゃい。よろちくね。



白鳥神社は、白鳥郷全域が氏子となります。

寛文4年(1664)。頼重は、新たに100石を社領として寄進。



翌年、さらに100石を加え、帰来村で合計200石とします。

幕府に申請して、「朱印地」としました。(『徳川家綱朱印状写』社蔵)



朱印地は、幕府から朱色のはんこの朱印状で
黒印地は、大名から黒いはんこの黒印状で

神社・寺院の領地として安堵(領有権の承認・確認)された土地。

寺社の私有地ではなく公領ですが、領内の租税は免除。
収益は全て寺社のもの。(wikipediaより)


・・・明治4年の「上知令」で国有地としてとられちゃうんですが。

よよよ。


つづく。


白鳥神社

《住所》 香川県東かがわ市松原69




参考文献

白鳥神社ホームページ
http://www.shirotori-jinja.jp/index.html


いつも応援いただきありがとうございます。
新しい藩主が来たときは前の藩主の名残を払拭するものですが、白鳥神社の場合は、吉田神道の猪熊兼古を宮司に迎えてまで再建した点が、とても興味深かったです。でっかい狛犬さん、何度も見ているとものすごくかわいいわんこに見えてきました。あー、抱きついてしまいたい。

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No title

赤いおべべのオサレさん^^
「はっと」ちゃんは何気にカラフルを下に2枚重ね^^

吉田神道にはSET寺院がないんだ。
教義としは当たり前だけど、神仏習合に慣れてた人には新鮮そう^^

実は昔、黒印の方が朱印より権威があると間違って覚えてたんです。
見間違えたか、半分寝ぼけてたのか、自分の過去の勘違いが謎^^;

ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

それまで仏教の下になっていた神道が元気になった事は、確かにあるようですね。
このときは一気に巻き返しには至らずですが。

大名への浸透はやはり家康が神様になった点が大きいのかと。

水戸光國が藩内で行った神仏分離はなかなかの破壊力です。
で、水戸での国学隆盛がやがて明治の政策に繋がって、しかし、国家神道を目指す新政府から退けられる。

高松藩内では、他に一宮寺が分けられています。
お遍路さんのお寺なのでこれは割りと知られてます。

こんぴらさんは、明治の神仏分離なので、これは後のお話。

朱印地、懐かしいなーと思って。
時乃★栞様にいろいろと教えてもらいましたねー。

ブログ書きながら、ひとーつずつ学んでいくのは楽しいです。
これからもよろしくお願いします。

No title

こんにちは。
子供の頃に祖母に連れられて吉田神社の節分に行ったことを思い出しました。吉田神道は反本地垂迹なので、お寺や仏像は昔から無縁だったようです。

それにしても、猪熊家住宅は立派ですね。香川県は栗林公園に行ったのと、うどんを食べに行った程度なので、一度ゆっくり名所を巡りたいです。

しばやん様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

吉田神社の節分に、おばあさまと。
さすが京都の方はおでかけ先も素敵ですねー。

節分は賑わいますね。
平安神宮の節分よりも、吉田神社の方が興味深いです。

猪熊家住宅の立派なこと、驚きました。
やはりこの時代の吉田神道の力は見直さないといけないなぁと思いました。

私も香川県は瀬戸大橋から屋島までとこんぴらさん程度でしたので、今回は鳴門大橋から入りました。

東讃岐も面白いようです。
山城、神社仏閣、などなど、小分けにして訪問してもいいですね。

うどん、おいしいですねー。うふふ。
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