軍師官兵衛紀行の書写山円教寺「三之堂」を写真満載でご紹介です
きゃー!わははーっと、爆笑してしまいました。
書写山…皆さん言いにくそうでしたね。
しょしゃざん…ちょちゃじゃん。

前記事やカテゴリ「書写山圓教寺」とあわせてご覧ください。
書写山の秀吉本陣と山中鹿之介のいる上月城の位置はこんな感じ。

書写山から上月城の距離は50キロ。
書写山から三木城の距離は35キロ。(姫路から南東)
山陽自動車道を走ると東から「淡河(おうご)」「三木」「姫路」の地名が並び、運転しながら笑顔です。
書写山の東隣の山が、懐かしの広峰神社の広嶺山、その隣が黒田休無おじさまの有明山城の増位山です。
さて、書写山。

三之堂ご紹介。
大講堂。本尊は釈迦如来。両脇に文殊菩薩・普賢菩薩。

まずはお参りします。


…なーんだ。じゃ、他のとこ見ようっと。
あれ?

モップを持ったお寺の人発見。追っかけよー!

荘厳な空気が流れてきます。内陣は異空間です。

よっこいしょ。



食堂(じきどう)


よっこいしょ。

食堂は中に入れます。2階は書写山の仏像等が展示されています。
写真撮っていいかわからなかったので…これありました、の、絵。

赤い柱のつもり。実物は縦書き。
本堂の摩尼殿の柱に残された落書き彫り。小一郎は、秀吉弟の秀長。
直径50センチの柱。ほ、ん、ど、う、の、柱。
秀吉は「わしの護持仏にするでよぉー」っと、摩尼殿のご本尊の如意輪観音像を持ち去ってるし。
戦略が思い通りにならなかった秀吉は2年後に手放し、その際如意輪観音様は鶴に乗って帰ったという言い伝えまで付属。
仏前にお供え物を置く「書写塗の大壇」まで持ち去るとは。なんてこったい。
(室町時代に製作された大壇は、幸い平成12年に書写山に戻り平成23年までお寺で使用したものが展示されてた…え、使ったんかいっ)
秀吉およびその一味!お寺さんで粗相をするんじゃありませんっ。いくら「いただきまーす」な時代とはいえ、お寺さんはいけませんっ。
名古屋弁では「だちかん」っといいます!
常行堂



舞台は正面の大講堂内の仏様に舞楽を奉納するためのものらしく。
ここで能楽「東北」が奉納された写真がありました。

常行堂とは、常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を呟きつつ本尊の周りを回る修行)するための重要な道場。
大きさは5間×5間で、東向。本尊は阿弥陀如来。
この常行堂と大講堂の1階屋根と、食堂の2階が同じ高さ。

食堂2階から見た風景。


すべてがでっかい三之堂でした。
細々と頑張っております。ポチ、して下さったら門前で読めないお経を読んでみます


にほんブログ村
ありがとうございます。
書写山…皆さん言いにくそうでしたね。
しょしゃざん…ちょちゃじゃん。

前記事やカテゴリ「書写山圓教寺」とあわせてご覧ください。
書写山の秀吉本陣と山中鹿之介のいる上月城の位置はこんな感じ。

書写山から上月城の距離は50キロ。
書写山から三木城の距離は35キロ。(姫路から南東)
山陽自動車道を走ると東から「淡河(おうご)」「三木」「姫路」の地名が並び、運転しながら笑顔です。
書写山の東隣の山が、懐かしの広峰神社の広嶺山、その隣が黒田休無おじさまの有明山城の増位山です。
さて、書写山。

三之堂ご紹介。
大講堂。本尊は釈迦如来。両脇に文殊菩薩・普賢菩薩。

まずはお参りします。


…なーんだ。じゃ、他のとこ見ようっと。
あれ?

モップを持ったお寺の人発見。追っかけよー!

荘厳な空気が流れてきます。内陣は異空間です。

よっこいしょ。



食堂(じきどう)


よっこいしょ。

食堂は中に入れます。2階は書写山の仏像等が展示されています。
写真撮っていいかわからなかったので…これありました、の、絵。

赤い柱のつもり。実物は縦書き。
本堂の摩尼殿の柱に残された落書き彫り。小一郎は、秀吉弟の秀長。
直径50センチの柱。ほ、ん、ど、う、の、柱。
秀吉は「わしの護持仏にするでよぉー」っと、摩尼殿のご本尊の如意輪観音像を持ち去ってるし。
戦略が思い通りにならなかった秀吉は2年後に手放し、その際如意輪観音様は鶴に乗って帰ったという言い伝えまで付属。
仏前にお供え物を置く「書写塗の大壇」まで持ち去るとは。なんてこったい。
(室町時代に製作された大壇は、幸い平成12年に書写山に戻り平成23年までお寺で使用したものが展示されてた…え、使ったんかいっ)
秀吉およびその一味!お寺さんで粗相をするんじゃありませんっ。いくら「いただきまーす」な時代とはいえ、お寺さんはいけませんっ。
名古屋弁では「だちかん」っといいます!
常行堂



舞台は正面の大講堂内の仏様に舞楽を奉納するためのものらしく。
ここで能楽「東北」が奉納された写真がありました。

常行堂とは、常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を呟きつつ本尊の周りを回る修行)するための重要な道場。
大きさは5間×5間で、東向。本尊は阿弥陀如来。
この常行堂と大講堂の1階屋根と、食堂の2階が同じ高さ。

食堂2階から見た風景。


すべてがでっかい三之堂でした。
細々と頑張っております。ポチ、して下さったら門前で読めないお経を読んでみます


にほんブログ村
ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
閑話休題。屋根を支える力士くん
-
軍師官兵衛紀行の書写山円教寺の本堂は摩尼殿です。弁慶がいます。
-
軍師官兵衛紀行の書写山円教寺「三之堂」を写真満載でご紹介です
-
軍師官兵衛が秀吉におすすめした書写山円教(圓教)寺をさくっとご紹介致します。
-
《書写山》奥の院へ左甚五郎作のおしりを見に行く
-
《書写山》ロープウェイに乗って本堂へいざ!
-
《書写山》松平直基廟所…誰か直してあげてっ
-
《書写山》榊原家廟所
-
《書写山》本多家廟所⑦ 本多さんちが大騒動で松平様の登場!さあ、書写山へ行こう!
-
《書写山》本多家廟所⑥ この世は夢の中…政朝の流転人生
-
《書写山》本多家廟所⑤ 嫁は千姫、母は熊姫…忠刻
-
《書写山》本多家廟所④ 自由な次男坊、忠朝
-
《書写山》本多家廟所③ 忠政は父が四天王で嫁が熊で息子の嫁があの人で…
-
《書写山》本多家廟所② 四天王 本多忠勝!
-
《書写山》本多家廟所①まとめ
-