吉田神道ざっくりと、吉田兼見と弟・梵舜。白鳥神社(6)
もはや、白鳥神社の記事ではなかろ?と思いつつ、いつかは決着つけるつもりの、第6回。

元々は亀卜を行う家柄であった吉田神社の卜部氏から、
室町幕府と朝廷に食い込んだ、吉田兼倶。
彼が創始したのが、「吉田神道」。
「仏教・道教・儒教の思想を取り入れた、総合的な神道説とされる。吉田神道は、仏教を「花実」、儒教を「枝葉」、神道を「根」と位置づけた。
正式には元本宗源神道といい、本地垂迹説である両部神道や山王神道に対し、反本地垂迹説(神本仏迹説)を唱え、本地で唯一なるものを神として森羅万象を体系づけ、汎神教的世界観を構築したとされる。」(wikipediaより抜粋)

難しいことは、さておこうね。
まず、伝統的な神仏習合論を否定。
仏は神が仏に姿を変えたにすぎない。
神道は仏教・儒教よりも上位にあり「あらゆるものの源は神道」。
「唯一神道」です。
神仏習合によって仏教や僧侶に従属を余儀なくされてきた神道には、まさに光明。

(養父神社の狛狼・・・私の息抜き)
中でも「国常立尊ー天照大神ー天児屋命」と伝承されてきた「元本宗源神道」こそ由緒正しいものだと吉田兼倶は主張。
さらに、吉田家だけが天児屋命(あめのこやねのみこと)の「妙業を受け継」いだ者だと自称します。
天児屋命は、天孫降臨に際して、お供として地上に降り、神道の面で天孫を助けた神様で、天上世界で神事を司った存在。
よって、当家はまさに神道の棟梁と呼ぶにふさわしい、と。
(上記を記した六条上皇の「院宣」がある。by吉田兼倶)

斎場所大元宮(wikipediaより)
これこそ、吉田兼倶の理論を象徴する存在です。
中心の八角形に茅葺きの大元宮には、天地開闢(かいびゃく)に伴って現れた諸法の根源である国常立尊(太元尊神)。
大元宮を囲み左右に三千を超える日本全国の神。
後土御門天皇より「日本国中三千余座、天神地祇八百万神」の勅額を下賜され、「神国第一之霊場、本朝無双之斎庭」と讃えられます。

神道ヒエラルヒーのてっぺんに近くなった吉田家です。
これを根拠に吉田家は、後に「宗源宣旨(高い神格を示す称号や位階を授与・承認する文書)」「神道裁許状」「鎮札」という護符などの各種証状を一手に付与する権限を有することになります。
古代の神社は、天下国家の泰平や豊穣を祈ることが第一義で、個人の祈願を込めるだけの神社は、「淫祠」として否定されていました。
ところが。
「神様を鎮めなだめる秘法により神の祟りが避けられる」とし、商売繁盛・家内安全・学業成就・厄除け祈願などの「神社ビジネス」を展開。
あらぁ。ビジネスだったんだー。

【戦国から安土桃山、江戸時代初期】
吉田兼倶の5代目、吉田兼見。
細川幽斎の従兄弟にあたります。
織田信長の推挙により堂上家(家格は半家)の家格を獲得。
近衛前久に家礼として仕えたり、明智光秀と深い親交があったり。
豊臣秀吉の庇護のもと、弟・吉田梵舜と共に豊臣家の宗教顧問としてあちこちで活躍。(検索してね)
ここでちゅうもーく。
弟の、吉田梵舜(ぼんしゅん)。
吉田家の次男は氏寺の「神龍院」に入る習わしに従い、梵舜も仏門に入りました。
《おさるとタヌキと仲良し》
慶長3年(1598)。豊臣秀吉が亡くなると、吉田神道の秘儀によって秀吉の霊を神格化して「豊国大明神」と号し豊国神社に祀ります。

慶長四年(1599)。兄兼見の後押しもあり、梵舜は方広寺隣りに建てられた豊国神社神宮寺の別当となります。
梵舜が記した『梵舜日記』(別名『舜旧記』)では、神龍院住持を主務としながら、吉田家宗家の一員として、古典書写伝承を継ぐ者として家康との交流があったことを記しています。
豊国神社神宮寺の別当である以上、来るべき苦難は、大阪の陣による豊臣家の滅亡と豊国神社の行く末。

そして、さらに梵舜の前に立ちはだかるのは、大狸・天海。
そう。梵舜こそ、おさるとタヌキの「死後」に関わり、最大の屈辱を味わうことになる人物なのです。

天台宗僧侶の天海に敗北するけど、負けないっ。
つづく。
参考文献
『吉田神道の400年 神と葵の近世史』(井上智勝著/講談社/2013)
「吉田神社」(wikipedia/https://ja.m.wikipedia.org/wiki/吉田神社)
いつも応援いただきありがとうございます。
神道に限らず宗教の理論はややこしいので、ざっくりで失礼します。神道、神道と言うけれど、吉田家台頭前の神道は、神話と神社の由緒に頼るものでした。現在ではあまり聞かれない吉田神道ですが、常に権力の中枢にいた時代があったのですね。これほどの地位にありながら、何故今はあまり聞かないのかな。今暫しお付き合いくださいまし。



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