阿波公方の史跡巡りと弁天山砲台

こんにちは。

徳島県の旅の最終日は、阿波公方巡りをしました。



ぼー、じゃない。くぼー。


【阿波公方って?】

足利義維(義冬)が阿波守護職・細川持隆に招かれ、天文3年(1534)に平島館(徳島県阿南市那賀川町古津)に入り、文化2年(1805)に9代目の義根が阿波を退去するまでの約250年間、阿波公方の歴代は平島館に居住しました。


足利義維(義冬)は、室町幕府11代将軍足利義澄の二男で、同10代将軍足利義稙の養子。

子の義栄は14代将軍になります。

このとき後押ししたのが、三好三人衆(三好一族・重臣の、三好長逸・三好政康・岩成友通)達。



三好一族(之長・元長・義賢・長治達)の墓所。

勝瑞(しょうずい)城内(徳島県藍住町勝瑞)の三好氏の菩提寺・見性寺に残ります。

勝瑞城は、阿波守護の細川氏9代、三好氏3代、約240年の根拠地であった城。


しかし、14代将軍となった足利義栄は、京都へ入ることもなく、織田信長の擁立した15代将軍・足利義昭に追われ、やむなく将軍職を去り、阿波に帰って病没。在位わずか8ヶ月。

で。以降は、さらに不幸。

徳島藩主・蜂須賀氏は平島公方を軽視し、禄高も一挙に100石内外に削り、公方4代目の義次を「平島又八郎」と名乗らせるなど、旧将軍家の権威を認めませんでした。

たまりかねた9代義根は、文化2年。
阿波を去って紀州に赴き、さらに京都へ帰りますが、温かく迎える者もなかったといいます。

この後、平島館は廃城。

以上の平島館に居住した初代阿波公方・足利義維(義冬)から9代目の義根までを、阿波公方、もしくは平島公方、といいます。


《古津八幡神社》

徳島県阿南市那賀川町古津。

平島館から徒歩数分。

んまー、ぺったんこな所にお住まいだったのねーって思いました。
濃尾平野のように、広く広く平野は続くよ、な地形。



ここは、阿波公方の平島館にあった三社を合祀。

三つの鳥居は、初代阿波公方の足利義冬が建立したもの。



同じく、足利義冬建立の狛ちゃん。

じゃなくて・・・足利義冬建立は、向かって一番左の石灯籠。

三社を合祀したので、ぎゅーぎゅーです。

それに、「初代阿波公方の足利義冬が建立した」鳥居と石灯籠があるというのに、あまりに無防備なお社。


《地蔵寺》

徳島県小松島市松島町。



阿波公方の平島館から、書院と玄関を移築。



境内の大師堂では、お猿さんが遊んでいました。



鳥さんは、お疲れ。


《西光寺》

徳島県阿南市那賀川町赤池。



阿波公方の菩提寺。



(向かって左から)

室町幕府14代将軍足利義栄(阿波公方初代足利義冬の子)

室町幕府10代将軍足利義稙(阿波国撫養《現・鳴門市》で死去)

阿波公方初代足利義冬(10代将軍足利義稙の養子)



境内墓所には、「公方と一族の墓21基」(阿南市指定文化財)があります。


平島館から移築された門や、足利義冬ゆかりの石灯籠は散らばりながらもあちこちに現存しています。
また行かなくちゃ。


さてさて。

せっかくの四国。お寺巡りに飽きたので。

やはり海よねー♪ってことで、おやつを持って小松島市の弁天山砲台へ。



この小さな弁天山に、大砲八門を備える台場がありました。

金磯の豪農で苗字帯刀が許されていた多田宗太郎が私費を投じて、文久3年(1863)に築き、徳島藩へ献上。

この功績で藩主蜂須賀斉裕によって士分に取り立てられました。



麓に海へ通じる穴。



これは淡路島の生石山砲台。
右下の円い所が砲台で、煉瓦造りのものは弾薬庫。
ここは、紀淡海峡を通る外国船に備えたもので、大規模です。

で。弁天山砲台は。



砲台の下は石積。



砲台があった場所には、祠。

麓には、金磯弁才天があります。



うーらしまさん、うっらしまさん♪あなたにあげた~玉手箱♪



ぜひとも開けて~くっださいなぁ~♪



さすが海辺のお社。竜宮城と浦島太郎。



かわいい狛ちゃんもいました。満足。



あちこちに水仙が咲いていました。



徳島の旅、楽しかったです。



いつも応援いただきありがとうございます。
弁天山砲台のそばの海岸で、今日も海を眺めて、ぼー。海はいいですね。初日は、狛ちゃんと海、二日目は城と狛ちゃん、三日目は阿波公方と狛ちゃんと海。何気なく立ち寄ったお社にかわいい子がいて、小躍りしましたー。三日間のランチはすべて、うどん。生醤油とネギでシンプルにいただくのが美味しかったです。往復とも鬼門の中国道宝塚トンネル付近の渋滞がなく、世間はお正月休み明けなのねーっと実感しました。ガソリンは値下がりしたし、いい旅でした。

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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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No title

ここにもミニモニ狛が( *´艸`)

阿波公方・・・・泡と消えゆく・・・・・・(._+ )☆\(-.-メ)ヘタクソ

関東公方とか東北のナントカ御所とか覚えきれない~ん^^;

色々眺めて楽しむのが一番ですね^^

村クリ(*´∀`)ノ+゜*。゜拍手+゜。*゜+

No title

こんばんは。

うーん、阿波公方。
聞いたことがあるような無いような。
でも、殆ど知らないから、ここでお勉強。
なんと!250年も続いたんですか!!

『平島公方を軽視し、禄高も一挙に100石内外に削り、公方4代目の義次を「平島又八郎」と名乗らせる』
これはひどいわ、蜂須賀さん。
だけど、250年も経つと、血も薄まって公方様の有難味もすっかり薄れちゃったんでしょうね。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

徳島の神社はよっぽど気を付けていないと、ミニモニ狛ちゃんを見落としてしまいそうで。

うふふ。

この辺りは、お住まいの人々もよく存じ上げない方々もいてー。

正直、だれ?だれ?の連続。

なのでせめて馴染みのある細川と三好と阿波公方を辿ってみました。

阿波公方も細川さんや三好さんに翻弄された感じ?

大阪と四国の歴史は頭が混乱するので、狛ちゃんを愛でてきましたー。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうですね。室町幕府の将軍になった足利氏の一派が阿波国で続いていたことはあまり有名ではないかもしれないです。

江戸幕府や藩政に対する不満分子が足利氏を中心に据えては困るけれど、安易に滅ぼすことも出来ず。

生かさず殺さず。

阿波公方当主は、それでも漢籍などの文化面で中心的な存在となります。

阿波を離れた阿波公方(平島公方)は、平島から「足利」に戻しますが、記事に書いたように生活には困ったようです。

それでも、腐っても鯛。
なんたって足利氏ですから、路頭に迷う程の貧乏ではなく。

足利氏ゆかりの等持院等からの援助はありました。

お気の毒なのは、明治になってから。

蜂須賀家で禄を食んでいれば士族となり食い扶持も得られたのに、出てしまった以上、それはかなわず。
かといって、足利家末裔だからと華族になれるわけでもなく。

結局、ふつーの人になりました。

そんな阿波公方。

判官贔屓といいますか、なんとも言えない思いを抱きながらゆかりの史跡を訪問してきました。

小松島は、義経が上陸したともいわれる地域で。
じみーに、源氏に縁のある場所です。
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