北山稲荷神社。丹波佐吉の麗しいお狐様

ここは丹波国柏原、大新屋。

新井神社も、大新屋。
丹波佐吉が養父であり師匠でもある初代・難波金兵衛と暮らした大新屋。

金兵衛に実子が生まれた後、自ら旅の石工となり丹波を離れます。

金兵衛の死を知り、丹波へ戻りました。
既に「日本一(by孝明天皇)」の石工の名を得ていた佐吉。
子供の頃に読み書きを教えてくれた柏原大新屋の庄屋・上山孝之進の依頼により、稲荷神社に納めるお狐様を彫り上げました。

佐吉のお狐様がいるなんて、わくわくのどきどきです。

きゃー。きゃー。

大切にされています。

され過ぎて、見えませぬ・・・(T_T)

なんて華奢なんでしょう。
飴ちゃんのお礼に、私のお肉を差し上げたい。

品定めは、およしになって。

稲荷神社・本殿。
【祭神】受母智之神
【由緒】
創立は明暦2申年(1656)8月8日。
田原市三郎が京都の吉田殿(吉田神社)に於て御神体を懇請し、同月28日に遷官鎮祭。
元禄11年(1698)2月再建。
そして、安政5年(1858)8月。

丹波佐吉のお狐様、奉献。
明治6年10月。村社。
明治37年10月12日。境内136坪の官有地+278坪の上地林を編入。
境内地が498坪に。
昭和30年。社殿を大修理。

境内社。なんか、いる。

・・・なんだこりゃ。

境内に、鐘楼。

宝暦年間の鐘があったものの、戦争中に供出させられ。
再度鋳造したと鐘に刻まれています。

狐ちゃん、時代の変遷を見てきたのね。

逆光ですが、狐ちゃんのお手々をご覧ください。
微妙な動き。軽くついた手先。

同じようなお手々の摩気神社の狛犬さん。

「作師 照信(花押)」は、丹波佐吉の銘。

艶かしいお狐ちゃん、です。
この狐ちゃん、初代・難波金兵衛が柏原大新屋に居を構える事を決意させた石材で出来ています。
加工しにくいものの、手を加えれば加えるほど美しくなる石だとか。
丹波・丹後・出雲地域の狛犬に多い砂岩は、加工が容易な反面風化しやすく、阿の下顎が落下したり、

このようになってしまっている子が多いです。
頑張れ!こまちゃん!

丹波佐吉作のお狐ちゃんだと知らなくても充分きれいな子です。
でも。
初代・難波金兵衛の死を知り丹波へ帰り、成長した二代目金兵衛(初代の実子)と共に石を彫るとき。
佐吉はどんな思いだったのかなぁと考えながら見ると、また趣が変わってくる気がします。

ほんとに、きれいなきれいなお狐ちゃん。
お座りした後ろ足は細かく毛並みが彫られており、

柏原八幡神社の狛犬さんと似てます。

おなかいっぱい。
帰り道、鳥居の銘を見て、びっくり。
平成17年5月に建立された鳥居は、

なんと、6代目難波金兵衛さんの手によるもの。
おばちゃん、目から鼻水。
お狐ちゃんの台座は、

初代金兵衛の実子、二代目金兵衛でしたもの。

鳥居の両脇の石灯籠が初代難波金兵衛の高灯籠に似ている気もします。
うわーん。
すごいぞ、北山稲荷神社ー!
っと、かくの如く。
難波金兵衛と丹波佐吉を堪能できる、大新屋の稲荷神社なのでした。
参考サイト
新井自治協議会
http://www.niinosato.jp/akimaturi/akimaturi.html#ni-j
(北山)稲荷神社
現地説明板
いつも応援いただきありがとうございます。
稲荷神社のお狐ちゃん。画像では屋根付きのおうちに阻まれて見えにくいですが、ほんとにふんわりとした美しい姿をしていました。鳥居を納めた6代目難波金兵衛さんは、現在も大新屋の新井神社近くに店舗を構え、佐吉の作った「石の尺八」を再現してみるなど、ご活躍です。狛ちゃんのレプリカとか、ないかなぁ。もしあったら、小躍りどころか、ものすごく躍りながらお邪魔するのになー。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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