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比曽寺の歴史と本尊「阿弥陀如来坐像」。世尊寺(その5)

こんにちは。


比曽寺(現・世尊寺)の本堂。


周りを、旧講堂の礎石が囲みます。


往時の比曽寺の伽藍配置。

聖徳太子建立の48ヶ寺の一つと伝えられ、出土する瓦や伽藍配置などから、飛鳥時代の7世紀後半には寺院が存在していたとされるお寺です。

時代により、比(曽)蘇寺、吉野寺、現光寺、栗天奉寺、世尊寺と宗派や名称の変遷を経ながらも往時の伽藍配置が残る貴重な存在。


【奈良時代の比曽寺】

飛鳥時代末期から奈良時代は「吉野寺」と称します。

金峯入峯前に役行者がここで修行をしたので、寺は「行者道分道場」とも呼ばれました。

確かに通り道といえば、通り道。

また、中国の学僧(神叡・道叡)も滞在。

唐僧の神叡ははじめ元興寺へ赴き、比曽寺に20年間こもって虚空蔵菩薩を本尊として修行しました。

空海や最澄がこの地に足を運び、神叡に求聞持法の伝授をお願いしたとか。

この神叡、後々出てきますのでお楽しみに。


【平安時代から中世】

壷阪寺から比曽寺を経て金峯山寺へ詣でる「吉野詣」の古道に位置する比曽寺(当時は「現光寺」)。

56代清和上皇、59代宇多上皇、更に藤原道長も参詣。

法興寺(飛鳥寺)・四天王寺・法隆寺とともに「四大寺院」と称されるほど大いに栄えた時代です。


96代後醍醐天皇が、小野文観を先達として行幸。
自ら「栗天八一山『栗天奉寺(りってんほうじ)』」の山号・寺号を与え、勅願寺とします。


太子堂の屋根瓦に、


くり。


違う。ぜったい違う。

これは、『栗天奉寺(りってんほうじ)』の、栗。

古いものには、「栗天奉寺」の名が記されているそうで。
探したけど、わからず。ざんねん。


ところが、南北朝期の動乱により、護摩堂など多数の建物、さらに西塔を焼失。

東塔は、慶長2年(1597)、秀吉により伏見へ移築されてしまいます。(現存。三井寺三重塔)

その後、無住時代も続き荒廃。


【江戸時代】

宝暦元年(1751)。
「龍門城」の城主・中之坊兵庫守(詳細不詳)が、河内国の大道寺より雲門即道(うんもんそくどう)禅師を迎え、縮小はするものの、伽藍を再建。

この時、現在の曹洞宗となり、現在の住職さんで第20代です。

また、「中之坊兵庫守」は、本尊様の後ろに祀られています。


世尊寺山門にかかるのは


雲門即道禅師による「日国 最初 洞窟」の額。


ぎゃー。意味を聞き忘れたー。日本で最初の洞窟ってなに?


【ご本尊「阿弥陀如来坐像」】

『日本書紀』第十九巻。欽明天皇十四年(553)

「夏五月、茅渟(ちぬ)の海の海中に、雷(いなずち)のような音を出して、光輝くものがある。天皇はあやしんで臣(おみ)の溝辺(いけべ)直(あたい)に命じて海上を探させると、クスの大木の輝くのを発見した。天皇は感じて仏師に仏像二躯を造らせた。今、吉野寺に光を放つ樟木の像なり」

※同様の記述は『日本霊異記』(平安時代)等にも見られます。



「茅渟(ちぬ)の海」とは、大阪湾。

この、海中に光り輝いていた楠(クス)の木で欽明天皇が作らせた仏像は、はじめ、飛鳥の豊浦寺(飛鳥は比曽寺の北方)に祀られます。

欽明天皇十四年(553)といえば、仏教伝来の翌年。
まだ日本は神様が広く祀られていた時代。

その後、物部氏・蘇我氏の間で崇仏廃仏論争が起こり、戦火によりお堂が焼失。

焼失を免れた仏像は比曽寺(当時は「吉野寺」)へ安置。

これが、比曽寺のご本尊「阿弥陀如来坐像」。

海中で光り輝いていた事から、別名を「放光樟像」と称します。

この際、戦禍を逃れるため仏像を
「ひそかに稲の中に隠したれば、現光寺を窃寺(ひそでら)というなり」(『今昔物語』)といいます。

さて。

ご本尊「阿弥陀如来坐像」。

こちらです。


ご本尊「阿弥陀如来坐像」(世尊寺パンフレットより)。

クスの一木造りで、像高は145cm。

その名も「吉野路の心ときめく微笑仏」。

後の時代のものよりも細めで、優しく微笑んでいて、とても美しい阿弥陀如来様です。

二度ほど火災に遭遇したそうで黒く煤けているものの、それがまた味わい深いものになっていました。


《素朴な疑問》

阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏する、という浄土信仰の伝来は、7世紀前半。

ご本尊の作られた時代が比曽寺の伝承通りの欽明天皇十四年(553)なら、仏教伝来直後であり、まだ浄土信仰は伝わっていないはずですが、ご本尊は阿弥陀如来様。

お手手が結ぶ印は「阿弥陀定印」ですし、「阿弥陀如来像です」となっていれば「そっかぁ」で。

同時代の仏像はお釈迦様が多いので、お釈迦様じゃないのがなんとなーく不思議でした。

でも、そんな事を聞けるほど多くの仏像を拝見したわけでもないし。
もんもんもん。


まだつづく。

次回


なぜ淡路島。

と、世尊寺。


世尊寺(史跡・比曽寺跡)
《住所》奈良県吉野郡大淀町比曽762




参考

現地説明板(大淀町教育委員会)
世尊寺パンフレット
住職さんのお話


いつも応援いただきありがとうございます。本堂拝観はご本尊の前で住職さんが説明してくださいますが、あらかじめ予約の電話を入れた方がよろしいかと。檀家のなかった世尊寺では、現住職さんは定年まで学校の先生をされていたとのことで、わかりやすく楽しくお話くださいます。馬鹿な質問にも笑って答えて下さり、大好きになってしまいました。また好きな方が出来てしまって、困ってしまうわ。えへへ。春のお花の季節にまた行くの。だって日本で最初の洞窟ってなに?と、何故お釈迦様じゃないの?って聞かなくちゃー。
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No title

こんにちは。お邪魔します。
むむッ、「日本で最初の洞窟」!!
浄土信仰伝来以前の阿弥陀如来様・・
何々?? と知らないことをいつもこちらで教えていただいており、今回のつねまる様の疑問ご解決のお話も楽しみにしております。

栗栗栗~~のお堂の屋根瓦のインパクト大、でございました(*^^*) 

おきまちあき様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなのー。日本、最初、洞窟?
いやもしかしたら、洞窟ちゃうんかなぁ。
素人にはわからない文字でした。

阿弥陀様のお手手だけは覚えたので、ふむふむと思ってたんですが、ほら、物部と蘇我さんちの争いが起きた付近なので。
ちょっとだけ妙に不思議だったんです。

くり。栗。

そうなのです。私もインパクト大!で、太子堂に何で栗があるの~?っと、パシャパシャと撮影して。

後から住職さんのお話をお伺いして、判明しました。
これは、すっきり。うふふ。

No title

太子堂の屋根瓦に「栗」の文字

これは変わっていますね!

細かいところまで観察しているつねまるさん凄いです(^_-)

私ならきっと見逃していたでしょう。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

世尊寺へ行くことがとても楽しみだったので、まったりのんびりしていたもので。えへへ。

しずか様にほめていただくととても嬉しいです。

前フリといいますか、境内に屋根から降りた狛犬さんがいたので、太子堂にもいないかなー?と見上げたら、くり。

思わぬところで、栗拾いが出来ました。うふふ。

No title

八幡だから関係ないと思うけど、佐賀県にも千栗八幡ってある。
なぜか「ちりく」って読ませる(由来ド忘れ)

香木がドンブラコ?
パッカーンしちゃ不味いよね^^;

これで作った香で焚き染めた衣をまとったら、「光る君」か「薫の君」と呼ばれそう・:*:・(*/////∇/////*)・:*:・
ぽちぽちぽちーーー★

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

えーっと。何かしら。りってんほうじ、の、「りっ」かな?

四国の香川県には、栗林(りつりん)公園、があります。

香木パッカーンは、やめとくれ~(T_T)
燃やしてはじめて、ぷんぷん香ったんだからー。

香木は、防虫作用もあるらしく、能楽の装束箱に今でも入れていますよ。
化学物質は、使わないのです。
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つねまる

Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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