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桜の丹波篠山城は天下普請の突貫工事。刻印石で自己主張!

天下普請シリーズ。


丹波篠山城です。

1609年(関ヶ原後)、家康が、山陰道が通る要所であるここに、大阪城の豊臣方や西国大名の抑えとして建築を命令。はい、天下普請。


普請総奉行の池田輝政、20を数える大名の助力で、わずか半年で竣工。



井伊直政の正室の兄弟である松平康重(家康の今川から独立時からの家臣、松平康親の子)が入ります。以降、松平三家八代、青山六代と続き、明治を迎えます。


さて、行きますよー。





ここも、虎口の一種です。クランクしていて門は見えず、かくんかくんっと折れ曲がる手間がかかります。

敵が手間取っている隙に、上からいろんなもんをどすんどすん、っと落とせばオケー。


この石垣には…

丸に小、の印の方々。
ここから4キロほどの距離に石切場があったので、お互いに間違えないように目印。
石をめぐって喧嘩させたい徳川方の狙いを回避。

と、うちがやりましてん、見て見て見てー!の印。



二の丸跡地。

当時の図面を元に原寸大に間取りを描いてる地面。ないすあいであ。



私のツボは、ここ。

でも風呂に入ってても、ぷわーんっとにおったのではなかろうか。

大手口と反対側に埋門。閉まってる。ち。

埋まってます。入ってきた時は、目の前には階段しか見えず。













この埋門側の石垣には刻印石が集中しています。

刻印石コレクションは、ぼちぼちご紹介します。

さてこの篠山城。皆が頑張って造ったのに

と言われ、天守閣は最後まで作られず。


代わりに本丸の南東隅に天守台と一層の櫓を作りました。


基礎から見ても小振りな櫓だったようです。

天守台からの眺め。




波多野氏の八上城があり、丹波攻めの際に明智光秀が兵糧攻めを行って落城。
光秀の母(もしくは伯母)が磔にされた城(後世の創造かもしれん)。

関ヶ原後は

篠山城完成後は廃城となりました。







この丹波篠山には毎週通っていた時期があるくらい好きな場所です。

丹波栗、丹波黒豆の枝豆、自然薯、丹波牛、里芋、など食材豊かな土地です。
冬と春の篠山春日能には、関西の名手の先生が演能されます。

皆様もぜひおこしくださいませ。


おまけ




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