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平重盛創建の金剛寺。野原町御霊神社と神宮寺

こんにちは。


・・・すみません。金剛寺の菊白鳥さんです。


金剛寺。

菊だけではなく広大な牡丹園がある事でも有名。


明治初期の神仏分離まで御霊神社の神宮寺でした。


御霊神社の往時の境内地は広く


没収された境内地は学校から老人ホームに建て替え中。


金剛寺の歴史は古く


平維盛の父、小松内大臣平重盛の創建と伝わります。

戦禍で一時衰退しますが、

江戸初期には、上杉謙信の養子であった能登畠山の畠山義春が旗本高家として知行するにあたり、畠山家の菩提寺として復興。

野原町御霊神社(天満宮・御霊宮)の神宮寺
江戸時代から明治時代は、唐招提寺の長老の隠居寺
元京都仁和寺直末の中本寺

歴史と信仰を綿々と伝えてきた名刹の古寺です。

現在は高野山真言宗。



山門。

裏に回ると


釣鐘。「山門に鐘楼あり牡丹寺」と言われたとか。


「この釣鐘は宝暦12年(1762年)、近畿一円の十万人の寄進により造られました。」(金剛寺案内)

釣鐘の前に「氏神御宝物」と記されています。

《私見》
わざわざ「氏神」と書かなくても、黙っていれば「金剛寺の鐘なのね」で済むものを。
神宮寺だった事を省いても充分歴史あるお寺です。

かつての御霊神社には、大勢の寄進による鐘が御宝物としてあったんだよ、っとさりげなく教えてくれている気がします。

野原町の御霊神社(神宮寺含む)は、そもそもの由緒よりも、地域の氏神様として地元の人々の崇敬を集めていたんだなーっとしみじみ。


一番奥に観音堂。

神仏分離の時に、御霊神社(天満宮・御霊宮)より十一面観音、准胝観音を持ち返り、お祀りしているお堂。

明治30年。当時の唐招提寺長老、大森覚明大僧正によって再建。


小柄ながら、とても美しい観音様でした。

よくぞご無事で。


参考文献

「五條市史・新修」(五條市史編集委員会/著・五條市役所/発行・1986)

金剛寺パンフレット

金剛寺HP
http://www.e-kongouji.com


いつも応援いただきありがとうございます。んふふふ。さらっと登場、平維盛のパパ・重盛。金剛寺の住職さんはさすが歴史に造詣が深く、お話をお伺いするだけでとても勉強になりました。金剛寺のある野原町付近は、五條代官所の管轄(幕府領)ではなく、旗本となった畠山家の治める土地。室町時代の大和国の守護職であったあの畠山氏が紆余曲折を経て戻ってきたのでした。
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