洲本城代稲田家主従、北海道開拓へ。静内上陸

こんにちは。


たまねぎ=淡路島。


本藩の阿波徳島藩とは鳴門海峡を挟んでおります。


筆頭家老の洲本城代稲田家の治めた江戸時代は、こちらの麓でお仕事。


ここから横断歩道を渡ったら、


大浜海岸。

明治初頭、この海から遥か彼方の土地を目指して出航した人達がいます。

それが


ポン太。

ちゃうわっ。


映画「北の零年」ご出演の皆様・・・の


稲田家主従でした。

「庚牛事変」を経て、改めて北海道の静内・色丹島への移住開拓を命じられた稲田家主従は、この洲本の大浜海岸の港から旅立ちました。


【「庚牛事変」おさらい】



阿波徳島藩は公武合体派であり、官軍に抵抗する始末。

これに対し幕末を勤皇派として動いた稲田家主従は、幕末明治を乗りきったのは、我々の活動あってこそと自負。

が、稲田家家臣は陪臣であるため士族に編入出来ず。
これは彼等の経済的な不安につながり。

不満が鬱積した稲田家主従は、徳島藩からの分藩、独立運動を展開。

これに対し、旧徳島藩士の一部は、稲田家主従の言動を、
知藩事蜂須賀茂韶(旧藩主)への背信行為であると強く反発。



明治3(1870)年5月13日。「庚牛事変」勃発。

蜂須賀家臣ら洲本在住の徳島藩青年武士800人、銃士100人と銃卒4個大隊、砲4門からなる部隊が、洲本下屋敷町の稲田家主従の屋敷等を襲撃。

無抵抗を貫いた稲田方の被害は、自決2人、即死15人、重傷6人、軽傷14人。別邸や益習館などが焼失。

結果。

《徳島藩側》
知藩事蜂須賀茂韶は監督不行届により謹慎。

主謀者10人は、斬首(のちに切腹)。
八丈島への終身流刑27人、その他禁固、謹慎など多数。

《稲田家側》
家臣達は士族籍を得ますが、

「稲田九郎兵衛並同人元家来へ北海道移住等御沙汰之義御達」
(『開拓使公文録』明治3年10月/北海道立文書館蔵)


朝廷は、兵庫県眷属稲田九郎兵衛(邦植。当時15才)に日高国の静内郡と志古丹島(千島列島の一つ色丹島)の開拓を命じます。

開拓費用は元の知行高1万4500石の10分の1を与えられ、
残りを10年間分の開拓費用に充てることが文書に書かれています。


のほほんっとした淡路島。

これに対し、当時の静内・色丹島の状況は。


《明治政府の腹の内》

東京芝の元将軍徳川家の菩提寺であった増上寺が管轄。

しかし、明治政府の意向に反し、開拓には成果を上げず。
そこでそれを引き揚げさせて、実際に移住して開拓にあたることを前提にする稲田家の支配地に変えたのでした。



《明治4年当時の静内》

静内の海岸沿いには江戸時代後期に静内場所が置かれ、
昆布・鯨・鮭・鱈・鹿皮などの産物が安定して産出されている土地でした。


静内(シベチャリ)川沿岸は、昔からアイヌの人々が住んでおり


沿岸の丘のチャシはシャクシャインの戦いの折の最後の戦場となりました。

しかし。



元々住んでいたアイヌの人たちは、
シブチャリ川(現静内川)沿岸に住み鮭や鹿肉などを常食するのみで耕作するものはなく。

全く耕作の手が入っていない原野が広がるのみ。


《静内へ》

まず、当主・稲田邦植は移住に先立ち、重臣の内藤弥兵衛・平田友吉の2名を事前調査に送ります。


地形はこんな感じ。海側。


内陸方面。

ふたりは、原野ではあるものの、静内(シベチャリ)川両岸には平地が広がり、将来極めて有望なる土地であることを報告。

これを受け、第一陣を組織。


(せめて画像は明るく・・・)

明治4年(1871年)2月。

先発隊47人(30人とも)が二手に分かれて出発。

①大阪から越前敦賀→日本海の航路を北上→函館→陸路で静内

②東海道を北上→陸路で青森→大湊付近から海路で静内に直行


明治4年4月。

移住者本隊第一陣。137戸546人。

3隻の汽船に米・麦・農具・家具などを満載して洲本を出航。

品川・金華山→太平洋航路で北上。

明治4年5月、静内へ上陸。


【業務連絡】《ついでにここもお願い》

先発隊と第一陣の間、3月15日。

太政官は、静内郡の隣の新冠郡の支配をを稲田九郎兵衛の増支配とします。
この新冠郡は、明治2年7月から徳島藩蜂須賀家が支配していた場所で、徳島藩の役人が詰めていましたが。

増上寺と同じく一向に成果があがらない徳島藩に業を煮やし。
それを家臣一同が移住し開拓する稲田家に支配するよう命じたのです。

だめだめじゃん。徳島はっちー。しっかりしてー。

※徳島藩が怠惰なのではなく、徳島藩のような方針は他にも多々。


【上陸したけど、どうするの、これ】

さて。静内へ上陸した稲田家家臣ご一行様。


大半は鬱蒼とした森林に覆われていた静内。

とりあえず荷物を静内場所の小屋に納めて、風雨をしのぎました。



平坦部はアイヌ民族の居住域。

移住者である自分達の居住空間を確保するためには、森林を切り開いていく以外にほかに方法なく。

まず、原野に道路を通さなくては。



下々方(しもけぼう)から、稲田家の屋敷が作られる目名(めな)に通じる道が開削され開拓の端緒がつけられました。

しかし、道路の開削、橋梁工事に時間を費やされ、土地の開墾は計画通りにはいきません。



苦心惨憺の稲田家主従に、さらなる悲劇が襲いかかります。

まさに、ふんだりけったり。


つづく。


参考文献

徳島県立文書館
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/exhibition/k_020/04.htm

洲本市郷土史料館、館内配布資料「庚午事変」


いつも応援いただきありがとうございます。初めて静内の地形を見たときに一番に思ったのが、「あれれ?洲本に似てるよー」っと。これは市街地になった後の景色の感想ですが。数百年の時間をかけて城下町として成熟した洲本市に対し、まだ百数十年しか経過していない静内の町並が追い付いたわけで。入植した人々がどれ程の苦労と尽力を注いだのか、柄にもなく、じぃ~んっとしたのでした。
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No title

こんばんは~~今日は起きてます(`・ω・´)キリッ

徳島とか増上寺・・・
うろ覚えなんですけど、江戸期の海岸警固を命じられた諸藩も、そんな感じだったと・・・

洲本や十津川や東北諸藩の方々のように、そこに住むしか土地が無い人と、義務的に来る人とは、「覚悟の差」が結果として出てしまう。

未開拓のほっきゃーどーはガチのガッツリ原野なんでホントにホントに大変だったと思います。

越冬も入植初年はALL未体験「あなたの知らない体感温度」だから、にわか防寒知識を命がけの試行錯誤だったんじゃないかな。
冬季の野菜不足からくるプチ栄養失調も断続的にあっただろうし・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

静内と洲本の町が似てる・・・(´;ω;`)ウッ
意図した町割りか、無意識か・・・いずれにせよ根底には郷愁があったことと思います・・・(´;ω;`)ウッ(´;ω;`)ウッ

ぽん太に和んだ^^
ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あ、あはは。今日も布団とお友達でしたー。

>徳島とか増上寺・・・
>うろ覚えなんですけど、江戸期の海岸警固を命じられた諸藩も、そんな感じだったと・・・

ですです。
北方からの異国の侵入に危機感を抱いた江戸幕府と明治新政府の意向に反して、ヤル気なし。

>洲本や十津川や東北諸藩の方々のように、そこに住むしか土地が無い人と、義務的に来る人とは、「覚悟の差」が結果として出てしまう。

稲田家主従が入植した頃は、政府の意向もあり、現実的に開拓に勤しまなくてはならない人々に対しては、決して悪条件ではなく。

むしろ、給付金を交付して、おうちも建ててあげて、とにかく開墾だけを考えて働くことが出来るように後押ししています。

ここが後々の開拓者とは異なる点で。
彼等の必死の努力は実を結びますが、ですな。

これに便乗して徳島から続々入植。
徳島側が誇らしげに、稲田騒動をそっちのけしてるのが何とも双方にお気の毒なお話に思えて。

キーワードは、藍染めの、藍。

気候の差は、今でもびっくりですものね。
なんたって、道路が少し白くなっただけで大騒ぎする地方の、さらにぬくぬくの淡路島から、原野オプションつきのほっきゃーどーでしょぉ~?

綿入れを持参した、と記録にありますが、私ならものすっごく綿を詰め込んだ綿入れにしますわ。

重くてつぶれるぐらいに。

あ、洲本と静内の共通点。

どちらも東西方向に海岸線があり、大きな川の下流域で、丘陵が南北を挟んでいて、丘の上には昔の城跡、町が川に沿って東西に広がる、なのです。

全国各地には似たような地形はありますが、ぱ、っと見て、でじゃぶぅ~。

町割りは洲本は城下町なんで、ちょっと違うけど、アカマツがねー。

アカマツが、並んでるのよぉー。よよよよ。

稲田家は、播州の赤松の浪人から尾張織田家に取り立てられたおうちなので、アカマツを大事にしたんです。
海岸の松並木、きれいよー。

静内でも、アカマツを大事にして、街路樹や神社に植えたりしててねー。

郷愁ばりばり。

生まれ育った名古屋から離れてる身には、なんか、泣けてきちゃうのです。
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Author:つねまる
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