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庚牛事変、勃発。悔しいですっ

こんにちは。


初代稲田植元は、蜂須賀正勝と義兄弟の契りを交わした間柄。

他の家臣とちょっと違う。ここ、ポイント。


蜂須賀家の筆頭家老で洲本城代の稲田家。

明治2(1869)年6月の版籍奉還、それに続く秩禄処分により。

稲田家は、一等士族となり1000石。
稲田家家臣は、陪臣であるため、四等士族より低い郷付銃卒。


(淡路島の賀集八幡神社の狛犬)

佐幕派であった阿波徳島藩に対し、
稲田家主従は尊皇攘夷派。討幕運動で活躍しました。

幕末を乗り切ったのは、この稲田家主従の働きがあったからこそ。


それなのに。それなのにっ。

終始佐幕派だった徳島藩士が士族となり秩禄支給を受けるのに、
命懸けで天皇の為に戦った自分達が、自分達が、


士族にも編入されないなんてー!


不満が鬱積した稲田家主従は、徳島藩からの分藩、独立運動を展開。

彼等が嘆願した相手は、


五百円札でした。

岩倉具視でした。

明治3(1870)年3月21日。

岩倉は、士族編入を認めるかわりに、稲田主従の北海道移住を命じます。



それに対して稲田家臣側は再び嘆願書を出し北海道移住を拒否。
さらに淡路の分藩を願い出ます。

これに、旧徳島藩士の一部は、稲田家主従の言動を、
知藩事蜂須賀茂韶(旧藩主)への背信行為であると強く反発。


稲田家家臣への長年の鬱憤もあったようで。



明治3(1870)年5月13日早朝。

蜂須賀家臣ら洲本在住の徳島藩青年武士800人
銃士100人と銃卒4個大隊
砲4門からなる部隊が。

襲撃します。



洲本下屋敷町の、家老・稲田邦植の別邸や益習館(稲田家の学問所)、
宇山の稲田武山邸や市中の稲田家臣の屋敷を。



無抵抗の者を殺傷し、火を放ち。



「庚牛事変」の勃発です。


無抵抗を貫いた稲田方の被害は

自決2人、即死15人、重傷6人、軽傷14人。
別邸や益習館などが焼失。


さすがにこの件は中央政府にも届き、


太政官による事情聴取。

8月。中央政府から裁決が下ります。

知藩事蜂須賀茂韶は監督不行届により謹慎。

徳島藩側主謀者10人は、斬首(のちに切腹)。
八丈島への終身流刑27人、その他禁固、謹慎など多数。

中央政府からの裁決は予想以上に徳島藩側に厳しいものでした。



一方、稲田家側には。

まず、家臣達は士族籍を得ます。

が。

これと引換に

10月15日。朝廷から改めて、主人の稲田邦植以下、家臣全員に北海道の静内郡と色丹島(後に返上、現北方領土)への移住開拓が申し下されます。


そうだねぇ。


「稲田九郎兵衛並同人元家来へ北海道移住等御沙汰之義御達」
(『開拓使公文録』明治3年10月/北海道立文書館蔵)


兵庫県眷属稲田九郎兵衛(邦植。当時15才)に日高国の静内郡と志古丹島(千島列島の一つ色丹島)の開拓を命じた事を記した文書。

開拓費用は元の知行高1万4500石の10分の1を与えられ、
残りを10年間分の開拓費用に充てることが書かれています。

これは決して悪い条件ではなかったとか。


ちなみにこの時。淡路は徳島藩から分離されて兵庫県の管轄に変更。
徳島は淡路島を失ってしまいました。




北海道開拓を命じられた稲田家主従。

翌明治4年2月。

先発隊47人が北海道へ向けて出発します。



温暖な淡路島から、北の大地へ。



稲田家主従の艱難辛苦はこれからなのです。

つづく。



参考文献

徳島県立文書館
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/exhibition/k_020/04.htm

洲本市郷土史料館、館内配布資料「庚午事変」


いつも応援いただきありがとうございます。庚午の年に起きたので、庚午事変。明治維新に伴なう禄制改革で起きたのは、稲田家家臣を士族とするか卒族とするかという、武士の身分問題。それは経済問題に直結。これが原因。さぁて、舞台はやっと北海道の静内へ移ります。稲田家主従の本当の苦労と不幸、始まりはじまり。
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非公開コメント

No title

こんにちは~♪
明治新政府はホントにひどい政策をやりましたね。
岩倉や三条はどうしようもないおバカ公家だったと気が付かなかったのでしょうかー(-_-メ)

まり姫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

稲田家は、経済的に豊かで、公家との交流も多かったのでその流れでしょうね。

後から見れば愚かだと言われるような事であっても、当事者は必死だったのではないでしょうか。

高みの見物よりも、必死に生きた人々の目線で物事を見るのがモットーです。

No title

つねまる氏編集【狛ちゃ♪で語る淡路物語(明治編)】(*´pq`)ナンテネ
ちんまりキュッなアンヨが堪りません(*´pq`)ウフフ

北海道開拓民団な稲田さんより、
八丈島(日本のハワイ・常春)終身流刑のハッチー家臣のほうがマシに感じるのは自分だけかしらん^^;

藪の中の蛇はつつきたくないし、寝た子を起こしたくない。

当時の明治政府は「古よりの定法である喧嘩両成敗」で「双方痛み分け」と見せつつ、稲田さんの身分&実質待遇を良くしたのだと推察します。
名裁きかどうかは時代によって考え方も違うと思いますが、当時としては最善だったんじゃないでしょうか。

あぁ「蒼い鬱」と書いて鬱蒼・・・まんまですがな。
稲田さんを応援し隊、ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あたたかい応援コメント、ありがとー。

お気の毒な事に、明治のはっちーのおうちは、血縁は無論のこと、家風も「小六の子孫」から「はちすかっていう名前で食っている集まり」になってしまった感じがします。

稲田家主従の主張も「?」ですが、
幕末明治の本藩の迷走は、誇りもへったくれも。

徳川さんの血筋がお荷物になりましたかねぇ。

後で記事にするかと思いますが、
明治2年に蜂須賀家は新冠の開拓を命じられているのに、
ほっくりかえす事に本腰を入れた気配がなく。

業を煮やした政府は、稲田家の開拓地に新冠を編入します。

はっちー家、印象、よくないですよねぇ。

さらにこのあと、遅まきながら参加したセレブな牧場経営に失敗して、
次第に本気でお気の毒な事になっていきます。

冬の北海道はどんな寒さなのか見当もつかないですが、
津軽の人でさえ乗りきることが出来なかった(斜里のお話ね)事を思うと、どえらい寒いんでしょうね。

寒いのは、お金がかかって大変ですね。
今年もこたつだけで頑張るぞー。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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