アイヌの英雄シャクシャインの戦い。シベチャリチャシ跡

こんにちは。


黄金道路を通り


襟裳岬で、ぽーっとして。

一路、苫小牧を目指して北上。

ほ、ほくじょー・・・長かったわー。
襟裳岬から日高への国道は、町と町を結ぶので交通量が増えて。
思い通りにすすまなーい。気絶しかけて、ガムを噛む。


北海道に上陸した夜に泊まった静内に、やっとたどり着きました。

静内は、


アイヌの英雄、シャクシャインの拠点。

シャクシャインは、シベチャリ(現新ひだか町)以南・及び以東のアイヌの集団(メナシクル)の首長。

松前藩に立ち向かった「シャクシャインの戦い」が、本日のテーマです。


【アイヌ側の状況】


静内(シベチャリ)川。

上流の狩猟権は、ハエ(門別町)のオニビシ。
下流の漁猟権は、シベチャリ(静内)のシャクシャイン。

両者の間でシベチャリ川の漁猟権を巡る争いが続きます。
文献に残るのは、慶安元(1648)年以来。

寛文7(1667)年、樽前山(苫小牧市)が噴火。
獲物の減少により、両者の争いが激化。

翌年、シャクシャインがオニビシを殺害。

シャクシャインと対立する中で親松前藩となっていたハエのアイヌは、戦いに備え松前藩庁に武器の提供を希望するも、藩は拒否。

お使いの首長ウタフは、この交渉の帰路の途中、疱瘡により死亡。

これがアイヌ側には「松前藩による毒殺」と伝わります。


【松前藩とアイヌ】

松前藩は、蠣崎(かきざき)姓の時代より、
秀吉からは蠣崎が交易の独占を行う事を保証する朱印が、
家康からは黒印が、与えられていました。
(wikipediaより。『新羅之記録』『徳川実紀』)


※松前家に与えられた家康の黒印状について。

和人地と蝦夷地におけるアイヌとの交易統制権の認可と
アイヌの往来自由権を保証する義務を列記。
領地目録がない点で、通常の本領安堵の黒印状とは異なっています。

本領安堵されなかったのは、米作不能地は所領地と見なされなかったため。(北海道開拓記念館/黒印状)


上記の如く、江戸幕府により対アイヌ交易権は松前藩が独占。


(阿寒アイヌコタンに残る道具類)

これはアイヌ側からすれば、今まで自由に本州とも交易を行っていたものが、松前藩としか交易を行うことが出来なくなった事になります。

背景に全国的な飢饉があるにせよ、松前藩独占下では次第にアイヌに不利なレートで取引が行われるように。

干鮭100本が
米2斗(1俵=30kg)から、米7升(1俵=10.5kg)に。
約3分の1です。

他にも、大名の鷹狩用の鷹の捕獲、砂金堀(内陸部まで開発)、松前藩船の鮭の大量捕獲等がアイヌ民族の生業基盤を脅かし、和人への不満が大きくなります。


【勃発】

松前藩へ援助の交渉に出向いたハエ側のウタフの死因が、病死である事実に反し、アイヌ側には「松前藩による毒殺」と伝わります。

誤解ではあるものの、これを機に、アイヌ側に蓄積された不満が爆発。

寛文9(1669)年6月21日。
シャクシャイン達の呼びかけに呼応し、東は釧路のシラヌカ(白糠町)、西は天塩のマシケ(増毛町)周辺のアイヌが一斉蜂起。
その数2000。

和人の被害者数は、東蝦夷地では213人、西蝦夷地では143人。


江戸時代の区分、ざっくり地図。

7月28日。
シャクシャイン軍の進軍は、クンヌイ(長万部町国縫)に到達。
松前藩軍と戦闘となります。

しかし、シャクシャイン軍の武器は弓矢、松前藩軍は鉄砲。

8月4日。シャクシャイン、敗走。

この間、松前藩の工作によりアイヌ民族間は分断。



シャクシャインは、本拠地であるシベチャリまで後退。
徹底抗戦の構え。


シベチャリチャシ跡。外側の堀。


シベチャリチャシ跡。内側の堀。


同上。堀の下。


遠景。


シベチャリチャシ跡は、小高い丘にあります。


【戦いの結果】

松前藩は、このまま長期戦となれば、幕府に改易される恐れ。

そこで、松前藩はシャクシャインに和睦を申し入れ酒宴を催します。

はい。

和睦、酒宴、と来たらあとは。

謀殺。


10月23日。
和睦の申し入れに応じ、ピポク(新冠町)の松前藩陣営に出向いたシャクシャインは、酒宴の席で松前藩により謀殺されます。

この時のアイヌ側の死者74人。同行した首長達も犠牲に。

翌日。シベチャリのチャシ、陥落。


指導者層を失ったアイヌ軍は弱体化し、戦いは次第に終息。

この後、松前藩のアイヌに対する経済的・政治的支配は強化。

松前藩の支配の下でアイヌ民族の立場は、次第に交易相手から強制労働者へと転落し、長い受難の時を過ごすことになるのです。


シャクシャインが拠点としたシベチャリチャシ跡。

新ひだか町アイヌ民俗資料館とシャクシャイン記念館が建ちます。


資料館の横には、ヌササン。


神々へ祈りを伝えるイナウが立ち並びます。


松前藩と戦ったアイヌの英雄シャクシャイン。

毎年9月23日に行われる法要祭には、多くの人々が訪れるそうです。


参照/wikipedia「シャクシャインの戦い」

参考文献
新ひだか町アイヌ民俗資料館・現地説明書
『静内地方のアイヌ文化』(静内町郷土史研究会/1997)


いつも応援いただきありがとうございます。シャクシャインに深く関わりがあると考えられている静内(シベチャリ)川流域の5ヶ所のチャシが国指定史跡となっています。山城のように、主郭のような台地を堀が断ち切っていますが、チャシの用途は防御の城、信仰、祭事、様々な機能があると考えられているとか。広い北海道を移動して戦うのは大変なことだろうなーと、襟裳岬から予想外に時間を要したお馬鹿さんは実感。
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No title

ここ行ったな。
おんまちゃん見に行ったついでに寄ったんですよね。
眺めよくてずっと川見ていた記憶。

つねまるさんはハイセイコー像を見たのかしら?
なんとなくそんなこと思ったり。

No title

そうですか。
静内にシャクシャインの本拠地があったんですか。
静内は行ったことがあるし、シャクシャインも知っていたけど、その結びつきは全然知りませんでした。
お恥ずかしいわ。

静内といえば「お登勢」とお馬さん。
お登勢といえば洲本。
それしか知りませんでした。

そもそも私の頃には、身近にはアイヌの方はいらっしゃらなかった。
白老にコタンがあったけれど。
ただ、とっても色が白くて彫の深い顔立ちの先輩がいたけど、もしかしたら血を継いでいたのかな?なんて思ったりもします。

No title

いい記事ですねえ。
アイヌ民族のことは、全く不勉強です。
今後を楽しみにしています。

さかした様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

お。お。さすが、さかした様。
ぽーっとするのに絶好な場所ですね。
静内はあれこれと満載な所で、ぜーはーしながら走り回って。
汗びっちょり。

おんまちゃん、有名な子が育ったり子孫繁栄したり。
日高は勉強になりまする。んふ。

あ。ハイセイコーを見逃しました。しもた。
この土塁の上には、何ちゃんがいるのかなー?っと全く関係ないとこを見てた気がします。

ぼーっとしてて、ざんねーん。

No title

北海道は4度行っていますが、この•アイヌの英雄シャクシャインの戦い跡やシベチャリチャシ跡は全然見てませんので大変勉強になりました。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんですよ、静内。
シャクシャインの名前は受験で出たので覚えていたんですが、静内ってどこー?で。

シベチャリのチャシ跡は、周辺より小高くて、あー、ここから松前藩の動向を見たのかな?とか、上流からハエが攻めて来てもすぐわかるな、とか、とても楽しかったです。

さて。おっしゃる通りで。
淡路島の洲本を訪ねたら、次は静内。
やっとたどり着きました。

のんびりーんっとした温暖な淡路島から来た稲田家の主従。
到着した夜に頑張って走って静内へ向かったのは、これです。

アイヌが花開く時代は本州では平安時代。
北海道の古代、中世は、本州と異なる時代区分の名称になりますが、
文化的にも生活面でも豊かなものであったようです。

うーん・・・っと。

多分、遠くにはいらしたと思います。
小樽港を作った経緯など、調べればおわかりいただけると存じます。

ちょっと難しいですね。

雨宮清子様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

北海道の歴史を調べる時に必ずシャクシャインの名前は出てくるもので、今回は頑張ってみました。

私もアイヌの民俗的な事や歴史には不案内なので、ぼちぼちと学んでいきたいと思います。

様々なものに神様があるという考え方に、とても興味がわきました。
難しい問題がありますので、失礼のないようにしたいと存じます。

四方様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

北海道各地に点在するアイヌのチャシの研究が進んでおります。

シャクシャインについては、世代により教科書で習うか習わなかったか、分かれるようです。

また、北海道内でも地域によってアイヌの伝承や民俗風習が異なり、
調べてみるとエンドレス。

静内は、蜂須賀家の家老で洲本城主の稲田家が入植した土地です。
関西人には、こちらの方が親しみやすいかと存じます。

チャシ見たいなあ

こんなに狭い国なのに、地方によって色々な歴史があるのは凄いなあと思ってます。
地元の皆さんがもっともっと自分たちの地域の歴史を学び次世代に語り継いでいって欲しいものですね。

らんまるせんせ

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

北海道ではチャシ跡の調査を進めていて、屈斜路湖付近でも発掘を行っており、調査報告がまとめられています。
草ぼーぼーですし、ヒグマさんがお出ましになると怖いので失礼しましたが。

余湖様の記事にもチャシが記されていて、よくわかる方が行くと一層面白いようですね。

私は信濃に特化したせんせの記事を尊敬してます。
地元愛が一番大切だと思います。

複雑な諸問題が絡むので、今までは敬遠されていたのかなぁと思わなくもない、チャシ跡群とアイヌのお話です。
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