常呂遺跡とトイカウシチャシ跡
こんにちは。

初めて野生のエゾリスに会いました。
子猫かと思っていたら、尻尾が大きかったので・・・うふふ。

能取湖からサロマ湖へ向かう道沿いに、常呂(ところ)遺跡。
(引用)「北海道北見市の常呂地域のオホーツク海沿岸には『常呂遺跡』と呼ばれる大規模な遺跡群が広がっています。3000基にものぼる竪穴住居跡の窪みが現在でも残る貴重な遺跡であり、またかつての北海道で栄えていた独特の文化 ― 擦文文化・オホーツク文化 ― の謎を解明する上でも重要な遺跡であることから、国指定史跡として登録されています。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)
合併により現在は北見市、旧・常呂町。

森の中に、無数の竪穴式住居跡群。
(引用)「常呂地域ではこうした先史文化の遺跡が良好な状態で多数残っています。とりわけ、縄文時代~擦文時代・オホーツク文化期の竪穴住居跡群の遺跡が代表的です。数千年前から、新しいものでも700年以上前にさかのぼる竪穴住居の跡が現代まで埋まりきらずに保存されており、何千年にも及ぶ人々の暮らしの痕跡を今でも目の当たりにすることができます。
さらに、常呂地域では擦文文化とオホーツク文化の両方の遺跡が確認されており、その後のアイヌ文化の成立を考える上でも重要な研究対象となっています。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)

中に入ってみたいなー。

復元イメージとしては、テントのようなものらしい。

今日も穴ぼこ。

背後にあるのは、

トイカウシチャシ跡。
トイカウシとは、常呂遺跡付近を称する言葉で、「そこを渡る」を意味するアイヌ語。
サロマ湖に渡るのか、川を渡るのか。
チャシとは、砦とか城とかの意味。
(引用)「アイヌ文化期のチャシ跡と考えられている遺跡です。
見つかっているのは台地の突端部を区画する堀の跡だけで、厳密にいつ頃つくられたものかは分かっていません。
埋まりかかった堀の跡は現在でも見ることができます。
チャシとしては非常に小規模なもので、堀で区画された部分の広さは長さ約13m、幅5~7m程度しかありません。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)

えーっと。こんな感じ。

埋まりかけていて、堀というより、現況はほぼ溝。
現在「ところ遺跡の森」がある北見市常呂町栄浦地区はアイヌ語では「トイカウシ」という地名で呼ばれていました。「トイカウシ」とはアイヌ語で「そこを渡る」という意味で、サロマ湖に関係のある地名と考えられます。ここではそのアイヌ語の地名をとって「トイカウシチャシ」と呼んでいます。

堀で区画割をした先が

物見ではないか、と言われる部分。

山城みたいです。
ずーっと見たかったの。チャシ跡。
そして、北海道名物(?)の巨大なー、

小銭入れと比べてもわからんですね。
まんまるのお手手とお比べください。ほほ。

常呂町は、サロマ湖産のホタテが名産。
美味しいですよー。
常呂遺跡群の展示区画を見学するのに一時間以上を要しましたが、資料館等を巡ったら数時間はかかると思います。
帰り道には

こんな素敵な神社を参拝して、境内をうろついたら。

牛が。牛が。突然、牛がー!
奥の院じゃなく、奥の牛。

わざわざ混雑する某地域へ行かなくても

燃える男になれます 素敵な風景が視界にひろがります。
参考・引用
ところ遺跡の森HP
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/7209/
いつも応援いただきありがとうございます。どうしてこんな森が道路沿いにあるのかなー?っと不思議だった常呂町のヒミツ。ここもまた、現地に立つ醍醐味を満喫しましたー。えへー。モヨロ貝塚は穏やかでほこほこする印象だったのに対し、こちらはチャシ跡が残るので少しぞわぞわする印象でした。さて、この記事を書いている土曜日の夜。今夜、苫小牧から敦賀へ向けて出航しまーす。



ぽちぽちぽち、ありがとうございます。とても励みになります。

初めて野生のエゾリスに会いました。
子猫かと思っていたら、尻尾が大きかったので・・・うふふ。

能取湖からサロマ湖へ向かう道沿いに、常呂(ところ)遺跡。
(引用)「北海道北見市の常呂地域のオホーツク海沿岸には『常呂遺跡』と呼ばれる大規模な遺跡群が広がっています。3000基にものぼる竪穴住居跡の窪みが現在でも残る貴重な遺跡であり、またかつての北海道で栄えていた独特の文化 ― 擦文文化・オホーツク文化 ― の謎を解明する上でも重要な遺跡であることから、国指定史跡として登録されています。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)
合併により現在は北見市、旧・常呂町。

森の中に、無数の竪穴式住居跡群。
(引用)「常呂地域ではこうした先史文化の遺跡が良好な状態で多数残っています。とりわけ、縄文時代~擦文時代・オホーツク文化期の竪穴住居跡群の遺跡が代表的です。数千年前から、新しいものでも700年以上前にさかのぼる竪穴住居の跡が現代まで埋まりきらずに保存されており、何千年にも及ぶ人々の暮らしの痕跡を今でも目の当たりにすることができます。
さらに、常呂地域では擦文文化とオホーツク文化の両方の遺跡が確認されており、その後のアイヌ文化の成立を考える上でも重要な研究対象となっています。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)

中に入ってみたいなー。

復元イメージとしては、テントのようなものらしい。

今日も穴ぼこ。

背後にあるのは、

トイカウシチャシ跡。
トイカウシとは、常呂遺跡付近を称する言葉で、「そこを渡る」を意味するアイヌ語。
サロマ湖に渡るのか、川を渡るのか。
チャシとは、砦とか城とかの意味。
(引用)「アイヌ文化期のチャシ跡と考えられている遺跡です。
見つかっているのは台地の突端部を区画する堀の跡だけで、厳密にいつ頃つくられたものかは分かっていません。
埋まりかかった堀の跡は現在でも見ることができます。
チャシとしては非常に小規模なもので、堀で区画された部分の広さは長さ約13m、幅5~7m程度しかありません。」(「ところ遺跡の森」HPより引用)

えーっと。こんな感じ。

埋まりかけていて、堀というより、現況はほぼ溝。
現在「ところ遺跡の森」がある北見市常呂町栄浦地区はアイヌ語では「トイカウシ」という地名で呼ばれていました。「トイカウシ」とはアイヌ語で「そこを渡る」という意味で、サロマ湖に関係のある地名と考えられます。ここではそのアイヌ語の地名をとって「トイカウシチャシ」と呼んでいます。

堀で区画割をした先が

物見ではないか、と言われる部分。

山城みたいです。
ずーっと見たかったの。チャシ跡。
そして、北海道名物(?)の巨大なー、

小銭入れと比べてもわからんですね。
まんまるのお手手とお比べください。ほほ。

常呂町は、サロマ湖産のホタテが名産。
美味しいですよー。
常呂遺跡群の展示区画を見学するのに一時間以上を要しましたが、資料館等を巡ったら数時間はかかると思います。
帰り道には

こんな素敵な神社を参拝して、境内をうろついたら。

牛が。牛が。突然、牛がー!
奥の院じゃなく、奥の牛。

わざわざ混雑する某地域へ行かなくても

参考・引用
ところ遺跡の森HP
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/7209/
いつも応援いただきありがとうございます。どうしてこんな森が道路沿いにあるのかなー?っと不思議だった常呂町のヒミツ。ここもまた、現地に立つ醍醐味を満喫しましたー。えへー。モヨロ貝塚は穏やかでほこほこする印象だったのに対し、こちらはチャシ跡が残るので少しぞわぞわする印象でした。さて、この記事を書いている土曜日の夜。今夜、苫小牧から敦賀へ向けて出航しまーす。



ぽちぽちぽち、ありがとうございます。とても励みになります。