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天誅組、壊滅す。

こんにちは。

天誅組第4回。

十津川に滞陣する天誅組。


そこへ、「中山忠光は逆賊である」との勅旨が届き


十津川村は天誅組に対し退去するよう通告し、十津川郷士は離脱。


文久3年(1863年)9月19日。
進退窮まった忠光は遂に天誅組の解散を命じました。



「天誅組出発の図」(五條市HPより)


主将 :中山忠光
総裁 :藤本鉄石(岡山藩)、吉村寅太郎(土佐藩)、松本奎堂(三河刈谷藩)
御用人:池内蔵太(土佐藩)
監察 :吉田重蔵(福岡藩)、那須信吾(土佐藩)、酒井伝次郎(久留米藩)
参謀兼記録方:伴林光平(八尾の国学者・歌人)
小荷駄奉行:水郡善之祐(水郡神社の祠官で河内の大地主。パトロン)

(藩名のある者は脱藩者)

主将の中山忠光は、若干二十歳に満たない公家。
三総裁の一人、吉村寅太郎は高取城の戦いで負傷。


8月17日に立ち上がってからまだ一ヶ月。


対する幕府軍。総兵力は、14000人。

紀州藩、津藩、彦根藩、郡山藩。
大和の高取・柳本・芝村・小泉・柳生・田原本。


包囲網を狭め、天誅組に迫ります。


十津川を出た天誅組一行は、大峰山系を東に転じて笠捨山を越えて北山に入り、東熊野街道を北上。


十津川から反時計回りに移動する天誅組。


画像③ 笠捨山を越え北山村へ


紀伊山地を移動します。


東熊野街道とは、奈良から熊野へ抜ける国道169号線。


でっかい狛犬さんが居眠りする熊野灘に出ます。

天誅組慰安旅行。

じゃなくて。

天誅組は、熊野ではなく、奈良方面へ北上。

先発は、参謀兼記録方の伴林光平(八尾の国学者・歌人)達。


9月21日。中山忠光らは白川(上北山村)に着き、林泉寺に宿陣。


温泉でまったり。


嘘です。してません。

先発の伴林光平達は、鷲家口を脱出。
この間、幕府側は着々と天誅組に迫ります。


9月22日。
先発の伴林光平は駒塚(法隆寺付近)の我が家へ向かう途中捕らえられ、奈良奉行所へ。
後に京都で同志19名と共に刑死。享年52歳。


小荷駄奉行の水郡(にごり)善之祐(水郡神社の祠官で河内の大地主。パトロン)は長男の栄太郎と天誅組に参加。

水郡善之祐は河内勢を率い、よく戦っていたものの、中山忠光を中心とする京都勢に失望。
本隊と別れ、独自に戦いながら紀州領菅野に入ります。(地図の白線)

そして、挙兵の理由を天下に明らかにするために自首を決意。

日高郡龍神の、小又川村紀州藩守備隊へ自ら出向き、投降。


画像④ 投降した水郡達。

2日間を、農家の倉で過ごします。それが、


龍神村小又川の天誅倉。



その後10月に京都の六角獄へ。
翌年夏、禁門の変の混乱の中で斬られました。享年39歳。

皇国のためにとつくすまごころは 
神や知るらん知る人ぞ知る
(水郡善之祐)


長男の栄太郎は紀州藩兵に捕えられるも15才未満のため特に赦され、明治41年7月死去。享年59歳。


9月24日。

七つ半頃(午後5時頃)、鷲家口(現東吉野村大字小川)まで1里ほどの五本桜にたどり着いた中山忠光達一行は軍議を開きます。

鷲家口に待ち構えるのは、


伊勢海老天丼どーん! 紀州藩と


彦根藩。

追討軍の紀州勢は鷲家を固め、彦根勢は鷲家口を固め。


天誅組、鷲家口に突入。



画像⑤ 鷲家口の戦い。


那須信吾中山忠光を逃すため6名の決死隊を編成。
敵陣に突入し、全員討死。

三総裁:藤本鉄石(岡山藩)、吉村寅太郎(土佐藩)、松本奎堂(三河刈谷藩)達は、

藤本鉄石は討死。
負傷して失明していた松本奎堂は自刃。

吉村寅太郎は負傷していたため一行から遅れており、27日に鷲家谷で津藩兵に撃たれて戦死。


君ゆえにをしからぬ身をながらへて
いまこの時にあふぞうれしき
(那須信吾)

雲を踏みいはほさくみしもののふの 
鎧の袖にもみぢかつ散る
(藤本鉄石)

吉野山風にみだるるもみぢ葉は 
わが打つ太刀の血煙と見よ
(吉村寅太郎)

君がため身まかりにきと世の人に 
語りつぎてよ峯の松風
(松本奎堂)




河内勢と別れた天誅組の本隊は、決死の戦いにより、中山忠光を長州に脱出させることに成功。



「和州騒動の図」(五條市HPより)

鷲家口を突破した志士達は、桜井、天理、生駒で追討軍によって戦死、若しくは捕らわれて。

明治維新まで生き延びた者は二、三名に過ぎず。



「天誅組出発の図」(五條市HPより)


五條代官所を襲撃して挙兵してから、わずか40日間。


―天誅組、壊滅す―




《その後の中山忠光》
大坂の長州藩邸に逃れ得たのは、わずかに主将中山忠光主従7名。
(中山忠光、上田宗児、伊吹周吉、島浪間、半田門吉、山口松蔵、萬吉)

忠光は、その後下関の白石正一郎邸に潜伏。長州藩は幕府を恐れてさらに辺鄙な豊浦郡田耕村の山中に移します。

元治元年(1864)11月15日。
中山忠光、長州藩からさし向けられた数人の暗殺者により絞殺。享年20歳。

夷狄らと共に東夷もうたずして 
いかで皇国のけがれすすがん
(中山忠光)


参考文献

五條市
http://www.city.gojo.lg.jp/www/contents/1198563238818/

東吉野村
http://www.vill.higashiyoshino.nara.jp/tentyuguminohen.html

画像②③④は龍神村天誅倉内説明板より。


いつも応援いただきありがとうございます。決起したもののわずか40日で壊滅してしまう天誅組ですが、幕末における下級武士と豪農豪商とが一体となった最初の武装反乱で、倒幕及び明治維新の「魁(さきがけ)」と称えられる歴史的な事件として、名を残しました。次回、天誅倉のお話。
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非公開コメント

No title

こんにちは、kotodayoriです。

小説を読むより面白く「天誅組」の話を読ませていただきました。ありがとうございます。

普通の歴史書にはここまで詳しく書かれていないですよね。感心いたします。
十津川村に是非一度行こうと思います。

また、よろしくお願いいたします。

kotodayoriさま

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

面白く思っていただけると幸いです。

よく言えば悲劇的、悪く言えば無鉄砲、な天誅組ですが、奥吉野や十津川、東熊野街道を走り回る中でとても気になる存在でした。

おほめの言葉、ありがとうございます。
とても嬉しいです。

十津川村、いいところですよ。ぜひ温泉と併せてお楽しみ下さいませ。

こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

No title

いやあ、面白かった!
「面白い」という言葉は拙いのかな?
「興味深い」よりずっと引き込まれました。
天誅倉
そういうことだったんですか。
その倉が、そのまま残ってるなんて、ぜひ見てみたい、入ってみたい。
読んでいるうちに、だんだん思い出してきました。
那須信吾と共に天誅組に加わった安岡 嘉助という人がいて、その人が作家の安岡章太郎のご先祖に当たり、彼を主人公にして「流離譚」という小説を書いてるんです。
大昔に読んだ・・・と思うんですが、内容はすっかり忘れました(汗)
さっき調べたら、安岡 嘉助は六角獄舎に入れられ処刑されたそうです。
こんな事を思い出させていただいて、感謝感謝です。
北山村は、あの北山村ですよね?
やっぱり、この辺りは本当に魅力的な所ですね。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

面白かったーと言っていただきとても嬉しいです。
テスト勉強ではないので、何事も楽しくないと。

天誅倉については、次記事に詳細書きますのでお待ちくださいまし。

天誅組を知らないと、なんだ、ちびこい倉かーっと見過ごしてしまうので、もったいないことです。

>那須信吾と共に天誅組に加わった安岡 嘉助という人がいて、その人が作家の安岡章太郎のご先祖に当たり、彼を主人公にして「流離譚」という小説を書いてるんです。

へええええー!すごいすごい。そうなのですか!
へーえー。
万見仙千代様の読書量はすごいですね。
とても素敵な本ばかりお読みで。漫画三昧、ちょっと変えなくては。

↓↓↓
安岡 嘉助、私も調べてきましたー。

あらぁ。まだ29歳だったのですね。
しかも遺体は、二条西土堤の竹林の中に埋められた、なんて。

小説、探してみまーす。


>北山村は、あの北山村ですよね?

た、たぶん、あの北山村です。きっと、そうです。

郷士

こんばんは。いつもありがたうございます。
少し前は平家物語を、今シリーズは幕末の特殊な郷士(十津川郷士)を主題としてエントリされてをりまして、なんと言ふか、ありがたうございます。
1)高槻から関東に越してから、武蔵七党に興味が湧いてきたこの頃です。先のシリーズはとても興味深く勉強になりました。
2)さうなんです、今、幕末の特殊な郷士を調べてをります。八咫烏の子孫である十津川郷士、京北町の山国郷士、亀岡の弓箭組、調べると壁に当たり心が折れさうでしたが、つねまるさんのエントリは解り易く、勉強になりました。

ほんたうにありがたうございます。

No title

マジスカ狛ちゃも良い味が出てますね^^

中山さん二十歳で・・・しかも絞殺・・・苦しそう~^^;
なんで絞殺にしたのかが不思議。
中山が公家だからかしらん?(@@)

>元治元年(1864)11月15日。

ってことは大河花も湯萌ゆで悪役な椋梨藤太ら俗論派の放った刺客に殺されたのか。

おお、なんか苦手な幕末では珍しく頭の中で話が繋がった!

中山家自体は家格が羽林家だからチョロチョロ(←?)と名前はお見かけするんです。
ただ個々の事績となると脳みそが追い付かなくてバラバラのジグソーパズル状態^^;

こうやって色んな関連が判っていくのが歴史の面白さだと感じる歴オタでした^^
つねまる様の判りやすくて軽妙な記事にポチポチポチーーー☆

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

お。ありがとうございます♪

昨年秋は三連休が多く、全部熊野へ行っていたので、十津川も北山村もよく通りました。
何分長距離なので道中立ち寄ることが少なかったのですが、道のりなら任せてちょーだい!です。

正直、天誅組と天狗党の区別すらつかないほどの無知で。
そこへ南朝も加わり、ごちゃごちゃな頭の中でした。

平家物語、折々にまた書きたいです。
目標は、せめて六代まではー。

幕末の特殊な郷士?

ほ、ほほう。ほへー。

あ、亀岡だー。弓箭組って何だろう。

朝起きて、天気がよければ「そうだ、亀岡行こう」なので、勉強してみます。

京北町の山国郷士、も、存ぜず。すみません。
新しい事に触れると楽しいです。

天誅組はお気の毒ですが、活動時期が短いことと、地理的にわかる場所だったので、とても楽しく更新ができました。

橘右近大夫様と同じものを考えることが出来て、私も嬉しいです。

秋になったら、五條市の神社の縦列地帯や、藤原むっちーまろのお寺も行きたいなぁ。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

狛犬さんがいないと、私、ほんとに駄目なのです。

神社に行って狛犬さんに会うのが大好き♪ってより、狛犬さんに進行してもらうのが大好き♪になってます。こほこほ。

絞殺。

やはり、斬ってはまずいんでしょうかね。
絞殺というと、音もなく・・・な印象です。暗殺、まさに。

>ってことは大河花も湯萌ゆで悪役な椋梨藤太ら俗論派の放った刺客に殺されたのか。

>おお、なんか苦手な幕末では珍しく頭の中で話が繋がった!

なんのことぉ~( ノД`)…

勉強しとく・・・。

>中山家自体は家格が羽林家だからチョロチョロ(←?)と名前はお見かけするんです。
>ただ個々の事績となると脳みそが追い付かなくてバラバラのジグソーパズル状態^^;

なんのことぉ~( ノД`)…ツー

全てがバラバラ、というより、脳みそがすっからかん。
ストックがございませぬ。

私ね、受験が済んだら白紙に戻ったの。
しかも選択は世界史。お、お、おほほほほほ。

色んな関連が判るのは、確かにそうですね。
急に頭の中に、ピコン♪、ですね。

天誅組で繋がったのは、熊野へ行く道のりと、高野山から龍神温泉が十津川村を経由した地理かしらー。

苦心惨憺だったの。天誅組。

でも、天誅組の史跡は近いから、涼しくなったら行ってくるの♪

途中には、天河伝説殺人事件もあるしー。
生のおんまさんが神馬さんな神社もあるらしいしー。

うひょひょひょ。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
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宜しくお願いいたします。

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