剣を鋤に槍を鎌に。映画「轟音」と「B29」龍神村慰霊碑

和歌山県田辺市龍神村殿原の惣大明神。
龍神温泉から南東の位置にあるこのお社は、墜落した米軍爆撃機「B29」の慰霊碑が横にあることで知られている。

1945年5月5日午前10時過ぎ。
米軍爆撃機「B29」、龍神村殿原の山中に墜落。
「B29」には11人が搭乗し、うち7人が死亡。
殿原の近隣住民は、遺体を川で洗い、手厚く葬った。
まだ戦前である1945年6月9日に行った慰霊祭は、戦後70年を経た本年まで欠かさず行われている。

一編のドキュメンタリー映画がある。
「轟音」
恥ずかしながら、私が龍神村に墜落した米軍爆撃機「B29」を初めて知ったのはこの映画だった。
撮影当時(平成22年)、大阪芸術大学映像学科ドキュメンタリーコースの3回生であった笠原栄理氏ら9人が卒業制作として撮影した映画である。
墜落当時、国民学校初等科2年だった同地区の元中学教諭で郷土史家の古久保健氏の協力を得て、学生達の調査はアメリカ軍の資料にまで及ぶ。
※古久保氏は40年以上前から慰霊祭の事などを調べ、最初の慰霊祭が戦時中の1945年/昭和20年に営まれた記録を見出だした人物。

墜落現場で死亡したアメリカ兵は、手厚く葬られた。
しかし、現実は、谷川に落ちた23歳のアメリカ兵たちの遺体に「鬼畜米英思想」の下、小学生が「憎らしい」と石を投げつけた事、連行されるアメリカ兵に殴りかかろうとした人がいた事も隠さず映画は伝える。

映画「轟音」の制作にあたり、学生達はアメリカ側の資料から次の事を調べあげた。
◇生存した4名は大阪に連行された後、処刑。
2名は墜落地点の龍神村で捕虜となり、龍神村役場に一晩留置。翌日、御坊憲兵分隊、和歌山憲兵隊を経て、大阪の中部憲兵隊司令部に送られ、中部第22部隊に収容。
他の2名は山中を逃げ、9日に中辺路の小松原の麦畑で土地の主婦に発見され、捕虜となり、大阪の中部憲兵隊司令部へ送られた。
国際法では捕虜は人道的に扱われなくてはならないが、
「日本中の大都市・中小都市を無差別爆撃した『爆撃機B29』の乗員は犯罪者である。」
との理由で隠密に処刑されたのだという。
(大阪では52人、名古屋では38人、福岡では41人が処刑された。)
処刑場所は信太山演習場と真田山陸軍墓地。
◇連行された4名のうち2名は8月15日時点では生存していた。
処刑担当者「もう戦争は終わったのだから、処刑はしない方がよい」
上官「二人を既に処刑していることがばれるとまずいから残りの二人もすぐ処刑せよ」
(生存していた2名は真田山陸軍墓地にて処刑。)
◇その遺体は終戦後アメリカ軍によって掘り起こされた。
終戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の調査は綿密で、各地の墜落現場では遺体の扱いを含め、誰がどう対応したのかを聞き取られた。
※全国の墜落地で同じ調査が行われる。対応次第でGHQに連行されている。
◇処刑に関わった日本軍人の処罰も行われていた。
「二人を既に処刑していることがばれるとまずいから残りの二人もすぐ処刑せよ」と命じた上官は、戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、2年半の刑に処せられた。

「B29慰霊碑」
遺体を葬り弔った龍神村の住民達。
対して、終戦となっても処刑に踏み切った上官。
この時代の縮図であろうか。

戦後70年もの間、地元住民は毎年欠かすことなく、5月5日には石碑の前で仏式とキリスト教式による慰霊祭を営んでいる。
終戦前の6月9日に一回目の慰霊祭を行ったというから、今年は71回目の慰霊祭。
前述の古久保氏は振り返る。
「戦争中でも、人間として当たり前の行動をしたんだと思う。」

旧約聖書「イザヤ書2:4」(新共同訳)
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
これは、宗教や文化を超えて世界平和の理想を表す言葉として(世界では)よく知られ、ニューヨークの国連本部前にも、この句に基づいたモニュメントが置かれている。
旧約聖書には元となった言葉がある。
「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ」(ヨエル書4:10)
預言者イザヤが活躍した紀元前8世紀、かつてソロモン王が壮麗な神殿を築いたエルサレムは、アッシリアに敗戦し、国土も人心も荒廃していた。
この情勢下で預言者イザヤは、いつの日か、このエルサレムを多くの国々が振り仰ぐことになると言う。
敗戦国の目指す道は、再び力をつけて復讐をはかることにではなく、戦いを捨て、武器を捨てて平和を選択する意志、つまり「戦わない」意志、を明確に示す事だとイザヤは告げたのである。

慰霊碑前の桜。
古久保氏の原動力は、自身の父が中国で戦死した事だという。
墜落したB29の遺族も「家族がどんな場所で亡くなったのか、最期を知りたいんじゃないか」と遺族を探し、幾度かのメールを交わし、遂に平成25年10月、渡米し遺族に会う。
最期を伝え、墜落現場で発見したB29の残骸を手渡したが、翌年、遺族は他界。

慰霊碑前の小川。
最後に古久保氏の言葉を記す。
「戦争がなければ、僕はもっと幸せだったかもしれない。」
参考文献
『和歌山新報』「墜落したB29と村人の慰霊 戦争の証言③
8月 17th, 2015 @ 07:00 pm › shimpo」
http://www.wakayamashimpo.co.jp/2015/08/20150817_53457.html
映画「轟音」並びに鑑賞時資料
イザヤ書解説
http://homepage1.nifty.com/sorachik/library/avaco/avaco070805.htm
旧約聖書(新共同訳版)「イザヤ書」
いつも応援いただきありがとうございます。墜落現場で死亡したアメリカ兵を戦前に慰霊した龍神村のお話。事実を歪めず伝える事、本当に伝えたい事がまっすぐ伝わる事の難しさ。自分の体験を残そうとしている方々の葛藤。受け手の側に正すべき所は多いと思います。この映画「轟音」、ぜひ検索してみてください。



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