立里荒神社。空海よ、我はこれ荒神ヶ岳に住む神也

荒神岳(1260m)の山頂に鎮座する立里荒神社(たてりこうじんじゃ)。
お茶を忘れたので車まで戻って、やり直し。

奥の院近くの熊谷寺の横。「立里荒神まで三里十町三間」。
・・・戻りすぎました。

本殿が見えないので、ドキドキします。たどり着く事が出来るのかなー。

祈祷殿を横目に、いざ

鳥居のトンネルを通って本殿へ。

登りは60kg、下りは200kgが限度です。
乗りたい。

緩やかそうに見えて、実は結構しんどい坂道。
振り返って撮影のフリして、息を整え中。ぜーぜー。

朱塗りの鳥居もきれいですが、こちらの鳥居も味わい深いです。
境内には、『三宝大荒神略縁起(荒神社御宝物写)』が掲示されていました。(以下引用)
『三宝大荒神略縁起(荒神社御宝物写)』
大和国吉野郡池津川の南に当りて海抜四千二百余尺の高峯荒神ヶ岳という所に三宝荒神の御社あり。本地は阿弥陀如来ましまし当所の鎮守なり。
抑も当社の由来を尋ぬるに弘法大師御勧請の霊神と申伝うるなり。
往昔人皇五十二代嵯峨天皇御宇弘仁七年、大師高野山伽藍を開基し給う思召にて初めて御登山これあり。
今の檀場にて地鎮の法を修行し給う時、俄かに天地振動し東の方より黒雲たなびき其中に異類異形の夜叉神顕われて大師の御建立を妨げんと種々の障碍をなしければ、大師暫く修法を止め、汝は何者ぞと問い給う。
夜叉答えて曰く我はこれ荒神ヶ岳に住む神也、我別に神体なし、汝は則一切衆生本有倶生障(しゅじょうほんうぐしょうく)の惑貪瞋痴(わくどんしんち)の三毒にして一切衆生の善根功徳を障うる神なり我に九億九万八千五百七十二神等の眷属ありて、衆生の悪業力に因って、彼の眷属を不信心の家に遣し日々に七難を起し夜々に七福を滅して貧窮無福の人となさしめ、一切の善事を障うるなり。
若し衆生有て、勇猛精進にして種々の供具を備え、一心に我を祭らば速に本に帰し三宝荒神と現じ一切の障碍悉く消滅し一切の諸願立所に満足せしめん、七難即滅七福即生は我第一の誓願なり、汝先我を供祭せば必ず大願成就すべしと云えり。
依て大師無二の信心を凝し一枚の板に三宝荒神の御像を画きて本尊となし、一七日の間荒神供を御修法ありて、伽藍繁栄、密教守護の祈誓をなし給うて、檀上の鬼門に荒神の社を勧請あり。而して後に大伽藍を御建立ありけるに何の障もなかりき、故に大師御一生の間は、毎月当山にご参詣ありしとぞ。
其後第二祖真然僧正を始めとして、代々の高僧各意願ある方々は参詣ありけるに諸願満足せざる事なし。
日々夜々に参詣し願にまかせて求願すなわち、成就すれば神威霊光日々に新たなり。
他の悪疫流行或は水難火難等の消滅を一心に祈願する時は霊験忽ち著わるゝことは世人の能く知る処なれば委しく記さず。近畿各地方より参詣の客四時続々として断ゆることなし、随うて遠方の参詣人は参籠すべき設備あり。
本社祭神 火産霊神ほむすびのかみ、 誉田別命ほんだわけのみこと
摂社(五社神社)祭神 天照皇大御神、大山柢命おおやまづみのみこと、保食命うけもちのみこと、市杵島姫命いちきしまひめのみこと、素盞鳴命すさのおのみこと
例祭 五月八日 新穀感謝祭 十一月二十三日
月次祭 毎月二十八日
(以上、引用終わり)

【立里荒神社】(『高野山』総本山金剛峯寺編集・㈲高野発行、より引用)
816年/弘仁7年。弘法大師は嵯峨天皇より修禅の道場として高野山を賜り、伽藍建立に先立ち、山上の鬼門にあたるこの地(※荒神岳)において、三宝荒神の御像を画き本尊とし、十七日間荒神供を修行、伽藍繁栄、密教守護の祈誓をされ、のち伽藍建立に着手。
何の障りもなく、順調に工事が進められたと伝わる。
現在も三宝荒神の七難即滅、七福即生の御誓願を慕い、特に悪疫、水難、火難の消滅を祈願する参拝者が絶えない。(引用終わり)

「三宝荒神」とは、日本特有の仏教における信仰対象の1つ。
仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する仏神である。
神道・密教・山岳信仰などの要素が混ざって生まれた神で、三面六臂(顔が三つ、手が六本)などの明王像風の像として表されることが多い神様。
不浄を除くために、「火とかまどの神」とされており、調理人や旅館など、火を使う職業の方たちから篤く信仰されています。(wikipediaより)
弘法大師が高野山を開くにあたって、伽藍繁昌密教守護のため、板に三宝荒神を描いて本尊とし、この地に祀るとともに、檀上の鬼門にも荒神を勧請して高野山の大伽藍が成りました。
よって、高野山の奥社となります。
弘法大師は、毎月当山に参詣。
其後第二祖真然僧正を始めとして、代々の高僧各意願ある方々も参詣します。
なんと「諸願満足せざる事なし」ですとー。(『三宝大荒神略縁起(荒神社御宝物写)』)

こんなに奉納の鳥居が立ち並ぶんですもの。
さぞかし本殿は素敵な

まぁ。素敵な工事中ですこと♪
ぎゃーーーーーーーーー。
あ、あ、あいにく、昨今の台風等の風雨により、社殿の傷みが激しく、今年の11月頃まで修復工事とのこと。

ばだぢはだんどだべにえっちらおっちら(私は何の為にえっちらおっちら)・・・。

工事が終わるまで、ご神体はこちら。五社神社に仮住まい。
【本殿祭神】
火産霊神(ほむすびのかみ=カグツチ)、 誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
【摂社祭神】
天照皇大御神、大山柢命、保食命(うけもちのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)

んまっ。失礼なっ。化粧が落ちたのよっ。

引かないでください。

うんうん。かわいいおべべですよ。

かわいいかわいい。

幸せな狛犬ズです。
さて。
弘法大師が高野山を開山した際の経緯により、当社は高野山と結ぶ神仏習合の宮として明治初年まで宝積院と称し、鐘楼堂等も備えていたといいます。
しかし。
明治の廃仏毀釈で宝積院を廃し、仏体など池津川へ移して単に荒神社と称し、今日に至る、とか。
この「廃仏毀釈で宝積院を廃し、仏体など池津川へ移して」の資料が見つからず。すみません。
また、弘法大師の祀ったのは「三宝荒神」であって、現在の祭神とは異なります。
三宝荒神は極めて神仏習合的な存在なので、変更に追い込まれても不思議ではありませんが。
関西には清荒神さんもあることですし、これはまた宿題に。

何はともあれ、こんな展望の立里荒神社は、とても気持ちのいいお社なのでした。

えっへん♪
立里荒神社
《住所》奈良県吉野郡野迫川村池津川荒神岳347
参考文献
『高野山』(総本山金剛峯寺/編集・㈲高野/発行)
いつも応援いただきありがとうございます。昼間の暑さは、暑いというより、痛いですねー。男性も日傘をささないと倒れてしまうんじゃないかと心配です。日影を作り出す日傘は、手放せないですもの。あちー。あちー。



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