長慶天皇陵。なぜ奈良県野迫川村に?

こんにちは。


白木の鳥居が並ぶのは、野迫川村の立里荒神社。


「平」地区には


維盛は那智で死んだのではなく、ここで生きていたと伝わります。

そんな野迫川(のせがわ)村。


ご覧の通り、紀伊山脈は紀伊半島の大半を占める大きさ。

かくれんぼしたり、合戦ごっこしたり、籠城するには最適らしく。
様々な年代の人々がここに足を踏み入れています。

その中の一人。


弓手原地区の、長慶天皇陵です。

まいどおなじみ「入っちゃだめ」の宮内庁の看板がないのは、ここが天皇のご陵とはされていないためです。

そもそも、長慶天皇って誰。



長慶天皇は、南北朝期の南朝側の天皇。

在位期間は、
1368/正平23年3月 - 1383/弘和3年冬。

長く、在位したのかすら不明とされていましたが、宮内省による調査を経て、大正15年(1926年)10月21日皇統加列の詔書が発布され、長慶天皇は正式に第98代天皇として公認されました。

陵は、京都府京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町にある嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ)に治定されています。公式形式は円丘。

長慶天皇は北朝に対して強硬派でした。
そのせいか、天皇の晩年の動向を伝える史料がない。

そのため、宮内省(皇統加列の詔書の発布当時)が近畿各地の寺社旧家や有力な伝説地などの調査を行ったが、陵墓関係の資料は発見に至らず。

しかし、皇子などの近親者が晩年は地方を引き上げて入洛していることから、天皇も晩年は入洛したことが推定されるとして、昭和16年(1941年)慶寿院跡を整備してひとまず陵墓参考地に指定、同19年(1944年)2月11日(旧紀元節)現陵号を定め、同時に陵域内に海門承朝(長慶天皇の子・承朝王)の墓も治定されました。(wikipediaより抜粋)


草ぼーぼーでお気の毒です。

この方、弟の後亀山天皇に譲位後も南朝に味方する武将を訪ね回って南朝の勢力回復を図ったようです。

よって、全国各地に潜幸伝説が残され、墓所の伝承地も各地にあります。

そのひとつが、ここ。

野迫川村との関係は下記をご覧ください。


(クリックで拡大)


野迫川村、面白いなー。


あまごの養殖場や、ホタルが見られる場所もあります。

温泉もあります。


そう、ほこほこです。



いつも応援いただきありがとうございます。今回の目的のひとつは、野迫川村巡りでした。高野山金剛峯寺から24kmほどで野迫川村役場。近いけれど、行ったことがなかったです。道幅、離合不可能な道ばっかりかしらー!?っと不安でしたが、高野龍神スカイラインから村へ入る道は、広くはないけど、予想外に走りやすかったです。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

こんばんは。
長慶天王の御陵は、こんな所にあるんですか。
南朝・・・ 後醍醐天皇はあまり好きになれないんだけど、その御子孫たちの苦労は大変なものだったでしょうね。
龍神温泉に泊まられたんですね。
昔、内田康夫の 「天河伝説殺人事件」 を読んで、初めて知った温泉です。
確か、お能の宗家?だったかの御曹司が絡んでくる物語で、そういうのにとんと疎かった私は夢中になって読みました。
南朝に後南朝に温泉に、本当にその辺りって魅力的な地ですね。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

さすがよくご存じですね。
私は水戸黄門とか重源さんのように全国行脚した人がいるらしいってことしか知らなくて。

十津川から山を挟んで東側のこの辺り一帯は、南朝や後南朝の史跡があちこちに残っていてとても興味深い地域です。
天誅組の足跡もありますのよー。

いつも行ってしまってから、あれれー?これ、なんだろう?っと調べて、肝心なものを見逃したと知って呆然として、再訪問。
その繰り返しです。

関西には珍しく、源泉かけ流しの温泉ですしっ\(^o^)/
湯上がりに塩素の臭いがしない温泉に、ほんとに憧れます。


>昔、内田康夫の 「天河伝説殺人事件」 を読んで、初めて知った温泉です。
>確か、お能の宗家?だったかの御曹司が絡んでくる物語で、そういうのにとんと疎かった私は夢中になって読みました。

おおおー。さすがですー!!
そうそう、これ、映画にもなりましたね。
まだ能にどっぷりと浸かる前だったので、私も夢中になりました。

天河弁財天の側には洞川温泉というとても落ち着いた温泉街がありますし、なんと言っても、大峯山の修験道の本場ですもの。すごく独特の雰囲気のあるところです。

龍神温泉。

鮎釣りの好きな上司に教えてもらって初めて訪問したときは、なんて遠いんだー!っと気絶しそうでしたが、最近は「そこそこお手軽」な距離に。

だって熊野の半分ですもの。おほほほ。

No title

つねまるさん、こんばんわ~

野迫川村なる場所はわからなくて地図で確認してみました。
本当に山深いところで、北関東であれば平家の落人部落がありそうな場所ですね。

「かくれんぼしたり、合戦ごっこしたり、籠城するには最適」
よく表現されていて、判り易いです☆

こんな場所に、天皇の足跡があるとは。
かくれんばに来たのでしょうかねぇ~。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ほんとに山深くて、誰もが隠れに来そうなところでした。
ここから山を越えて東が十津川村。
何だかんだと興味深い史跡がある素敵な村でしたよー。

もっとあちこち行きたいんですが、道が。道がー。
いわゆる「酷道」なんですよねぇ。

表現をおほめいただいて嬉しいです。えへへ。

長慶天皇の足跡は、南北朝のお話になるので、さくっと流してしまいました。
南朝が吉野にいたのは、実は短期間で。
この山の中のあちこちに足跡が残っていますので、とてもわくわくします。

今はまず、維盛くん。おほほ。

No title

南北朝からは完全に逃げてます^^;
もう元号が北朝・南朝の二種類ある時点で思考が停止しちゃう^^;
五代後・・・後醍醐天皇のお孫さんになるのか

こういう地形って(御近所が霊峰で山間のエアポケット)って隠れ里にピッタリです^^
九度山もグーグルアースで見る分には御近所なのね~(←おぃ)

中森明菜の「二人静」がリフレイン~ぽちぽちぽちーーー☆

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

南北朝はー、私も飛んでます~。
この辺りをうろついていると、おお?ってとこに、おおおー、ってものが現れるので、それだけ調べるという。

繋がらないジレンマ。です。こほん。

十津川郷士、頑張ってますよー。

九度山、高野山の真下というか。山裾というか。です。
高野山を開山するとき、した後、共に、ここが基点になってますので、とても重要な場所です。

赤い人が日向ぼっこしてるイメージですねー(o^-^o)

来年に向けて準備は着々です。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼