平家に居場所なし。維盛の苦悩と高野山で男前二人旅

こんにちは。


高野山の滝口入道を訪ねて来たのは


平維盛。その姿は、

潮風に黒み、尽きせぬ物思ひに痩せ衰へて、その人とは見え給はねども、なほ世の人には勝れ給へり。

男前は痩せ衰えても一般人よりは、美しいらしい。



さて。平家一門の中で唯一家族を都へ残し、都落ちした維盛。



この時、幼い子供達がすがり付いて別れを惜しんだ為に、維盛と弟達一団は安徳天皇や一門から遅れました。

この時、維盛達の軍勢は1000騎。

残り少ない平家軍には貴重な数です。


当然、宗盛おじさんに叱られました。

都落ちし、西国へ向かい、平家一門と行動を共に・・・


したものの、心ここにあらず。合戦どころではありません。


滝口入道に維盛は語ります。

「さればとよ都をば人並々に出でて西国へ落ち下りたりしかども、故郷に留め置し恋しき者共が、面影の身にひしと立ち添ひて忘るる隙もなかりしかば、その物思ふ心云はぬに著くや見えけん、大臣殿も二位殿も『この人は池大納言のやうに二心あり』など思ひ隔て給ふ間、いとど心も留まらず憧れ出でたんなり。」



背景として、維盛達の父・重盛は、清盛の嫡男ながら既に他界。
有力な後ろ楯のない維盛には、平家一門を率いるに至らず、重盛の弟の宗盛が台頭していました。

また、維盛自身の母と義父が平家の敵方となったこともあり、肩身が狭い立場になります。

また、周りの環境を除いても、維盛自身が源氏との合戦で悉く敗退した総大将でもあり、一門の中で居心地が良くない事は確かです。

そんな中で、都へ残した家族を思い、上の空の維盛。

宗盛や知盛達、清盛の妻の二位尼時子は、「維盛も、池大納言頼盛のように頼朝に通じているのではないか」と疑ったのです。


どっちもどっちです。

この状況に耐えられず屋島を脱け出し、高野山へたどり着いた維盛。


「これにて出家して、火の中水の底へも入りなばやとは思へども、熊野へ参らんと思ふ宿願あり」と宣へば、滝口入道申しけるは「夢幻の世の中はとてもかくても候ひなんず。ただ長き世の闇こそ心憂かるべう候へ」とぞ申しける。


「ここで出家して、火の中・水の底へも入ってしまおうかと思うが、熊野に詣でたい思う宿願がある」という維盛。



滝口入道は「夢幻の現世などどうでもよろしい。ただ長い世の闇こそ、心憂いものとなるでしょう」と言い、維盛を先達して、堂塔を巡礼し奥の院へ進みます。


維盛、しっかりー!


高野山は帝城を去つて二百里郷里を離れて無人声清嵐梢を鳴らし夕日の影閑かなり。
八葉の峰八つの谷まことに心も澄みぬべし。花の色は林霧の底に綻び、鈴の音は尾上の雲に響けり。瓦に松生ひ垣に苔生して星霜久しく覚えたり。


都から二百里離れた高野山は、風が梢を鳴らす音、鈴の音だけが聞こえる静寂の世界。

瓦には松が生え、垣は苔むして、歳月の長さを感じさせる光景でした。


維盛、奥の院を堪能。

維盛が身のいつとなく雪山の鳥の鳴くらんやうに「今日よ明日よ、と思ふものを」とて涙ぐみ給ふぞ哀れなる



御入定は承和二年三月二十一日の寅の一点の事なれば、過ぎにし方は三百余歳、行末もなほ五十六億七千万歳の後慈尊の出世三会の暁を待たせ給ふらんこそ久しけれ。

「平家物語」の時点で、弘法大師の入滅から三百余年。
弥勒菩薩が現れ、出世三会の説法が行われるまであと五十六億七千万年。



来るのか来ないのかというと、来ない、のではなかろうか。



この夜は滝口入道の庵へ帰って、いろいろな話をしました。

維盛の滝口入道評価。

更けゆくままに聖が行儀を見給へば、至極甚深の床の上には真理の玉を磨くらんと見えて、後夜晨朝の鐘の声には生死の眠りを覚ますらんとも覚えたり。遁れぬべくはかくてもあらまほしうや思はれけん。

極めて深遠な中で真理を追い求めているようで、夜明け前と早朝の鐘の音で迷いの夢を覚ますのだろうと思われる滝口入道の姿。

維盛は「この境遇から逃れて滝口くんみたいになりたい」と思ったのでした。

大丈夫か、維盛・・・(T_T)


参考文献
新日本古典文学大系『平家物語 』(梶原正昭・山下宏明 校注 岩波書店)
※平家物語巻十『高野巻』

いつも応援いただきありがとうございます。平家一門内での居心地の悪さに加え、維盛は源氏と戦う中で、平家の将来にも悲観的になったかもしれません。都へ残した子供達のこともあり、維盛の心の中でなにかが、ぷちん、と壊れてしまったのでしょうか。ロミオ滝口入道、これからいい仕事します。
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No title

こんばんは。暑いです・・・。

それはさておき、滝口入道。それにしても、滝口入道さんはつれない人ですね。モテない僕にはとても・・・・、です。ん、モテるとかさういふ事でもないですね、すみません。

祇王寺の隣の滝口寺も横笛と滝口入道の悲愛の遺蹟(往生院)として有名ですね。
このお寺には、新田義貞の首塚もあり、勾当内侍の悲哀と横笛の悲愛の二重奏ですね。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

暑いですか。おおお、たいへん。今年は東西が逆ですね。大丈夫ですか?

大阪は、なーんと、湿度が低くて風が強かったので楽に過ごしてます。
いや、他の地域の方はあぢあぢー!って叫ぶと思いますが、大阪らしくない暑さで。

夜はエアコンなしで、過ごしてますのよ。奇跡でしょ?

さて。清い男女交際。
むふふん。橘右近大夫様ならどうします?

健気に見えて、実は帰り道に血文字を残し、鴬に転生して追っかけてくる彼女。

なんとなーく、そんな気配がするような女性だったのかもしれません、横笛は。

>祇王寺の隣の滝口寺も横笛と滝口入道の悲愛の遺蹟(往生院)として有名ですね。
>このお寺には、新田義貞の首塚もあり、勾当内侍の悲哀と横笛の悲愛の二重奏ですね。

あいーん。ぼけーっと訪問したのが、ものすごく昔で。あの、ネガとか、現像って高いなー、って時代。たまには京都へ行かなくてはー。

往生院に、滝口入道の縁のお寺として行ってないんですよね。
うあー、新田義貞ー!!好きー!

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内緒様

維盛、弱りきってます。今がちゃんすです。

秒換算!きゃー!180年!それでも先ですねー。
いち、にい、さん、たくさん。あとは無限大∞。そんな感じ?

平家物語は、仏教色が濃いのでまともに読むと混乱します。
「平家物語の舞台を訪ねる」風の記事を検索したら、紀行文として楽しめますよ。

特に高野山は、源平各々と江戸期の大名と、面白く繋がってます。

個人的な印象として、平家物語は西日本、吾妻鏡は東日本、を楽しむ本かなと思います。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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