世俗の姿は男前。滝口入道と桜梅の中将。『平家物語』in高野山

横笛との恋心を捨てて、出家した斎藤時頼こと滝口入道。

横笛から逃げるように高野山へ入ります。
そこへ。

ぴんぽーん。っと、訪ねて来たのは、

間違えました。
こっち↓

・・・誰?
斎藤時頼は、平重盛に仕えておりました。
重盛といえば・・・「桜梅の中将」平維盛のとーちゃんです。

そう。訪ねて来たのは、平維盛なのでした。

滝口入道を頼り高野山へ来た維盛。
何という変貌ぶりでしょう。いったい彼に何があったのか。

家族を都へ残し、平家一門と共に都落ちしたはず。
その平家一門は、一の谷の合戦で源氏に敗退し、屋島等へ移動したところ。

平忠度、敦盛達も討死。
実は維盛。

都へ残してきた愛しい者達。

子供達の事がとにかく頭から離れません。

身は屋島にありながら、心は都へトリップした状態。
『あるにかひなき我が身かな』(生きる甲斐もない我が身だなぁ)な日々。
ついに、寿永3年3月15日の暁。
こっそりと屋島の館を脱走します。

同行するのは、三名。
与三兵衛重景、童子の石童丸、舎人の武里(舟の操舵の心得あり)。

阿波国結城の浦から出航。
和歌、吹上、衣通姫の神と現れ給へる玉津島の明神、日前国懸の御前を過ぎて紀伊の湊にこそ着き給へ。
これより山伝ひに都へ上り、恋しき者共を今一度見もし見えばやとは思はれけれども。
本三位中将殿、生捕にせられて大路を渡され、京鎌倉恥を曝し給ふだにも口惜しきに、この身さへ囚はれて父の屍に血をあやさん事も心憂し。とて千度心は進めども、心に心をからかひて高野の御山に参り給ふ。
紀伊の港から都へ上り、恋しい者達に今一度会えるものなら会いたいと思ったけれど。

叔父の本三位中将重衡は、生け捕りにされて大路を引き回され、京・鎌倉に恥を晒されました。
この事だけでも悔しいのに、維盛まで囚われて、亡き父・重盛の名を辱めるような真似はできません。
心は千度も都へと向かったけれど、葛藤を繰り返した挙げ句、高野山へたどり着いたのでした。
この時の維盛の姿は。
潮風に黒み、尽きせぬ物思ひに痩せ衰へて、その人とは見え給はねども、なほ世の人には勝れ給へり
・・・大変だったのね、維盛。
こうして高野山へ来た維盛は、面識のあった滝口入道を訪ねたのです。
(前述。滝口入道こと斎藤時頼は、平重盛に仕えていた)
維盛の滝口入道評。

三位中将それに尋ね逢ひて見給ふに、都にありし時は、布衣に立烏帽子衣文をかい繕ひ、鬢を撫で、華やかなりし男なり。
出家の後は今日初めて見給ふに、未だ三十にも成らざるが、老僧姿に痩せ黒みて、濃墨染に同じ袈裟香の煙に染み薫り、賢しげに思ひ入りたる道心者羨ましうや思はれけん。
都にいた時は布衣に立烏帽子、衣をきちんと装って鬢を整え、華やかな男でした。
今日初めて会った出家後の姿は、まだ三十歳にならないのに、老僧のように痩せ黒ずんで、濃墨染に同じ色の袈裟をまとい、香の煙に染み薫り、深く仏道を歩んだ者となっているのです。
維盛はこれを、羨ましいなぁーっと思ったのでした。

大丈夫か、維盛・・・(T_T)
参考文献
新日本古典文学大系『平家物語 』(梶原正昭・山下宏明 校注 岩波書店)
※平家物語巻十『横笛』
いつも応援いただきありがとうございます。ロミオ滝口入道は、やはり男前だったようですね。出家しなければ浮いた話がわんさかと出たことでしょうねー。その滝口入道の前に現れた、ヨレヨレの維盛。源氏との合戦での連敗、家族を残して都落ち。維盛、いいとこなしです。ううう。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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