那須野の殺生石と玉藻前と九尾の狐。能「殺生石」

那須野の鹿狩りで、頼朝に命ぜられるも射止めることが出来ず

これを恥じて出家し熊野へたどり着いた下河辺六郎行秀。

彼は補陀洛へと旅立った鎌倉武士なのでした。
この鹿狩りが行われた那須野には「殺生石」という石があります。
はい、殺生石といえば、能「殺生石」ですよー。じゃーん♪

舞台の上に「一畳台」。
本番はきれいな布で覆いますが、この台は様々な物に見立てられます。

能「竹生島」では、この台そのものが竹生島を表し、骨組みの屋形は弁財天の社殿を表しています。
画像は、弁財天が天女舞を舞っているところ。
能「殺生石」ではまず初めに、一畳台上に巨大な石の作り物が乗せられます。これが、実に不気味な印象なのです。
【能「殺生石」】
前シテ:里女
後シテ:野干(=狐)
ワキ:玄翁道人(げんのうどうじん)
場所:下野国(栃木県那須野)
那須野に「殺生石」という巨大な石がありました。

曹洞宗の高僧である玄翁(ワキ)が那須野の「殺生石」の前で、一人の里女から石の謂れを教えられます。
近付く者の命を奪うこの石は、女官に化けて鳥羽上皇を悩ませた「玉藻前」という妖怪の執心が凝り固まったものだというのです。
里女は、我こそこの執心だと告げ、石の陰に姿を消します。(前半)
(中入り後)
ワキ
「木石(ぼくせき)心なしとは申せども。
草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)と聞くときは。
もとより仏体具足せり。況んや衣鉢(いはつ)を授くるならば。
成仏疑いあるべからずと。花を手向け焼香し。
石面に向かって仏事をなす。」
玄翁は、殺生石の石魂を鎮めて成仏させるため、引導を授ける法事を開始。

ワキ
「汝 元来殺生石。問う 石霊(せきれい)。
何れの所より来たり。今生かくの如くなる。急々に去れ去れ。
自今以後 汝を成仏せしめ。仏体真如の善心と成さん。摂取せよ」
シテ(野干)
「石に精あり。水に音あり。風は大虚に渡る。」
地謡
「像(かたち)を今ぞ現す石の。二つに割るれば石魂(せきこん)忽ち現れ出でたり。恐ろしや。」

巨大な石が二つに割れ、中から鬼神の姿の野干(=狐)が出現。
ワキ
「不思議やなこの石二つに割れ。光の中をよく見れば。
野干の姿はありながら。さも不思議なる仁体なり。」

シテ
「今は何をかつつむべき。
天竺にては斑足太子(はんぞくたいし)の塚の神。大唐にては幽王の后褒以(ほうじ。じ、は、おんなへんに以)と現じ。
我が朝にては鳥羽の院の。玉藻の前とはなりたるなり。」
野干(=狐)は、玄翁道人に昔語を始めます。
天竺では斑足太子に大量虐殺を命じた塚の神、大唐では幽王の政治を腐敗させた王妃ほうじとなり、日本では鳥羽院に仕える「玉藻前」に転生したと言うのです。

シテ
「我 王法を傾けんと。仮に優女(ゆうじょ)の形となり。玉体に近づき奉れば御悩(ごのう)となる。
既に御命を取らんと。喜びをなしし所に。
安倍の泰成 調伏の祭を始め。壇に五色の幣帛(へいはく)を立て。
玉藻に御幣を持たせつつ、肝胆を砕き祈りしかば。」
「玉藻前」に転生した野干(=狐)が鳥羽上皇に仕え始めると、上皇は病になり、命の危険が迫ります。
陰陽師・安倍泰成は、「玉藻前」の仕業と見抜きます。
調伏の祭をはじめ、祭壇に五色の幣帛を立て、「玉藻前」に御幣を持たせて懸命に祈り始めます。

扇を御幣に見立てた姿。ここからが、仕舞。
バレエ・ガラのように、一曲の中のいいとこだけを引っ張り出して舞うのが、仕舞や舞囃子。
地謡
「やがて五体を苦しめて。
やがて五体を苦しめて幣帛をおつ取り飛ぶ空の。
雲居を翔り海山を越えてこの野に隠れ棲む」
陰陽師・安倍泰成の祈りによって、玉藻前は変身を解かれ、「白面金毛九尾の狐」の姿で宮中を脱走し、行方を眩ませました。

シテ「その後 勅使立って」
地謡
「その後勅使立って。三浦の介上総の介両人に綸旨(りんし)をなされつつ。
那須野の化生の者を。退治せよとの勅を受けて。
野干は犬に似たれば犬にて稽古。あるべしとて百日犬をぞ射たりける。
これ犬追物の始めとかや」
鳥羽上皇は、那須野に現れた化生の者を退治しろと勅命を下します。
三浦介義明、上総介広常を将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、8万余りの軍勢を派遣。
しかし、九尾の狐の前には、歯が立たず失敗。

そこで、三浦介義明、上総介広常達は、野干(=狐)に似ている犬で練習を始めます。

似てる?

そうか?
百日間、犬で練習したこの狩が「犬追物」のはじめだとか。

シテ「両介は狩装束にて」
地謡
「両介は狩装束にて数万騎那須野を取り籠めて草を分つて狩りけるに。
身を何と那須野の原に。現れ出でしを狩人の。
追っつまくっつさくりにつけて。矢の下に射伏せられて。」

三浦介義明、上総介広常達は、再び野干に挑みます。

征伐軍が弓を引く姿を表すシテ。

矢に見立てた扇を腹に突き立てます。
「即時に命を徒ら(いたずら)に。
那須野の原の露と消えてもなほ執心は。この野に残つて。
殺生石となつて。人を取る事多年なれども今逢い難き御法(みのり)を受けて。
この後悪事を致す事。あるべからずと御僧に。
約束堅き石となつて。約束堅き石となつて。
鬼神の姿は失せにけり。』
三浦介義明、上総介広常達に射伏せられて野干は命を落としました。

しかし、尚、野干の執心はこの野に残り、殺生石となり、人の命を奪い続けたのです。

玄翁道人の御法を受けて、今後は悪事はしません、と固く約束して鬼神は姿を消したのでした。
【みどころ】
舞台上の大きな石の作り物が、ぱっくりと二つに割れ、中から鬼神の姿の野干が現れる瞬間は圧巻。
シテの野干が、那須野で滅びる有り様を多くの動きで具体的に表すので、見ていてわかりやすく楽しい曲です。
鳥羽上皇の院政は、1129年。崩御1156年。
三浦介義明は1092-1180年。
上総介広常は生年不明-1184年。
那須野に残る伝承によれば、殺生石を玄翁和尚が破壊したのは1385/至徳2年。
およそ200年以上も、野干の執心は殺生石に宿っていたことになります。
もうやだーって気持ちには・・・ならないかな。もののけさんのお年はよくわからん。
あ、玄翁和尚により破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わっています。おいおい。
【ワキの玄翁道人】
名を源翁心昭(げんのうしんしょう)といい、越後国の出身で南北朝時代の曹洞宗の僧です。
この殺生石を破壊したお話にちなみ、打つ面が平らの金づちを「玄翁」と呼ぶとか。
【犬追物】
鎌倉時代から始まったとされる日本の弓術の作法の一つ。
流鏑馬、笠懸と共に騎射三物の一つに数えられ、武士が平時の武芸の鍛錬のために始めたものといわれる(wikipediaより)もの。
江戸時代まで作法を継承できたのは島津氏と小笠原氏だけといいます。

実際に射抜くわけではないけど、嫌だよねぇ。
《特別出演》九尾の狐役/摩気神社の狛犬さん

やぁかぁんなぁ~犬に似たれば、犬にて稽古ぉ~♪
参考文献
観世流大成版『殺生石』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)
いつも応援いただきありがとうございます。能「殺生石」は、見ると面白い能楽です。じーーーっとしている曲だけではありませんのよ。また、九尾の狐とか、陰陽師とか、上総介広常と三浦介義明まで登場してくれて。さらに、犬追物の始まりが、九尾の狐に備えた稽古であって、狐の代わりにわんこを使ったとか、お腹いっぱいなお話。ね?ね?眠いお話ばかりじゃないんですよー。(ここは、しつこく)



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