《書写山》本多家廟所⑦ 本多さんちが大騒動で松平様の登場!さあ、書写山へ行こう!
忠政ー(忠刻逝去)ー政朝ー政長(本家だけどちびっこ)
忠勝[
忠朝(忌むべきは酒の人)ー政勝
政勝。忠朝の嫡男でしたが、父が戦死したときわずか2歳。
初代忠勝の遺訓「ちびっこは継いだらいかん」のため、父の跡を継げずにいました。代わりは、夢の人・政朝。(⑥参照)

政朝の辞世「夢の世の夢の内なる夢の身の夢の浮橋今とたえたり」
ところが兄・忠刻逝去のため急遽本家に戻った政朝。
姫路藩を継いでまもなく、大和郡山藩15万石に移動になります。
大多喜藩→移動して龍野藩主、の地位は、本来継ぐはずだった政勝に戻されます。政勝、やっと藩主になれた。
ところが政朝が早逝し、嫡男はちびっこ政長。これでは忠勝系本多家は継げません。
「政長が成長したら本家の家督を譲れ」と遺言を残し、政朝は政勝に家督を譲りました。
しかぁし、自分の子に跡を継がせたくなるのが人情ってもんで。
やらかしまっせ、政勝。
政勝は、実子の政利に継がせようと画策し始めます。
その最中、政勝逝去。おい(ノ-_-)ノ~┻━┻
はい、家督を巡るお家騒動の勃発です!!
大和郡山藩15万石は、本来襲封するはずだった政長に9万石、政勝実子の政利6万石、に分割されます。
これを、九・六騒動、といいます。
大和郡山の他に既に相続していた姫路新田3万石とあわせ12万石持ちとなった政長。
しかし、あほーな政利は、父の所領丸ごと15万石を相続できなかった恨みで、政長を毒殺。
したとかしないとか。
しかし、政長、さすがは夢の人の子(?)、幸いなことに、養嗣子をとっていました。
じゃーん!
松平頼元の次男坊、忠國君でーす!
経歴は…水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・みとこーもん徳川光圀の甥。
まつだいら、だじぇー♪
政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封となり、後、姫路15万石に転封となります。
本多家の姫路藩主の第2期の初めとなります。

お利口さんの忠國は、不遇だった養父・政長の廟所をちゃんと大和郡山から移動させ、自分の横に廟屋を建ててあげました。
(政勝は排除?)

政長、父の政朝と祖父の忠政の前にいて、横には優しい養嗣子忠國。ううう…(T_T)
忠國は、誠意あふれる人だったようで。
赤穂四十七士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいたためか、1703年に吉田兼亮の遺児吉田兼直が連座して伊豆大島へ遠島となると、幕府に許可されている持ち込み上限の金20両・米20俵のぎりぎりに近い、金19両米19俵を伝内に贈って支援しています。
藩主在任中に死去し、家督は三男の忠孝が継ぎました。
ちなみに、政長を毒殺したらしい政利は、忠國に所領の一部を返還させられ、減封・転封を繰返し、侍女殺害や領民への過酷な使役などの不行状で除封、岡崎城に幽閉されました。
そんな、本多家の廟所。

忠勝の横に忠刻とその息子の幸千代の五輪塔。
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ありがとうございます。
忠勝[
忠朝(忌むべきは酒の人)ー政勝
政勝。忠朝の嫡男でしたが、父が戦死したときわずか2歳。
初代忠勝の遺訓「ちびっこは継いだらいかん」のため、父の跡を継げずにいました。代わりは、夢の人・政朝。(⑥参照)

政朝の辞世「夢の世の夢の内なる夢の身の夢の浮橋今とたえたり」
ところが兄・忠刻逝去のため急遽本家に戻った政朝。
姫路藩を継いでまもなく、大和郡山藩15万石に移動になります。
大多喜藩→移動して龍野藩主、の地位は、本来継ぐはずだった政勝に戻されます。政勝、やっと藩主になれた。
ところが政朝が早逝し、嫡男はちびっこ政長。これでは忠勝系本多家は継げません。
「政長が成長したら本家の家督を譲れ」と遺言を残し、政朝は政勝に家督を譲りました。
しかぁし、自分の子に跡を継がせたくなるのが人情ってもんで。
やらかしまっせ、政勝。
政勝は、実子の政利に継がせようと画策し始めます。
その最中、政勝逝去。おい(ノ-_-)ノ~┻━┻
はい、家督を巡るお家騒動の勃発です!!
大和郡山藩15万石は、本来襲封するはずだった政長に9万石、政勝実子の政利6万石、に分割されます。
これを、九・六騒動、といいます。
大和郡山の他に既に相続していた姫路新田3万石とあわせ12万石持ちとなった政長。
しかし、あほーな政利は、父の所領丸ごと15万石を相続できなかった恨みで、政長を毒殺。
したとかしないとか。
しかし、政長、さすがは夢の人の子(?)、幸いなことに、養嗣子をとっていました。
じゃーん!
松平頼元の次男坊、忠國君でーす!
経歴は…水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・みとこーもん徳川光圀の甥。
まつだいら、だじぇー♪
政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封となり、後、姫路15万石に転封となります。
本多家の姫路藩主の第2期の初めとなります。

お利口さんの忠國は、不遇だった養父・政長の廟所をちゃんと大和郡山から移動させ、自分の横に廟屋を建ててあげました。
(政勝は排除?)

政長、父の政朝と祖父の忠政の前にいて、横には優しい養嗣子忠國。ううう…(T_T)
忠國は、誠意あふれる人だったようで。
赤穂四十七士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいたためか、1703年に吉田兼亮の遺児吉田兼直が連座して伊豆大島へ遠島となると、幕府に許可されている持ち込み上限の金20両・米20俵のぎりぎりに近い、金19両米19俵を伝内に贈って支援しています。
藩主在任中に死去し、家督は三男の忠孝が継ぎました。
ちなみに、政長を毒殺したらしい政利は、忠國に所領の一部を返還させられ、減封・転封を繰返し、侍女殺害や領民への過酷な使役などの不行状で除封、岡崎城に幽閉されました。
そんな、本多家の廟所。

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