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熊野本宮大社と巫女の物狂い。能「巻絹」

こんにちは。


流失前の熊野本宮大社。黄色丸の橋は江戸時代のもの。


なので、上皇の熊野御幸が盛んであった頃は、音無川を渡らなくては参詣出来ませんでした。


明治22年の大水害では本殿はなんとか残ったものの、


今は遷座して高台に鎮座。


かつて熊野本宮大社があった場所は現在「大斎原(おおゆのはら)」と称し神聖な場所。


さわやかな境内です。


洪水対策のため設けられた基壇の上がかつて本殿が存在していた場所です。


かつて社殿があった場所。


中四(第五殿~第八殿)社、下四社(第九殿~第十二殿)が明治22年の大洪水で流出したため、この二基の石祠に祀られています。


この中に、熊野本宮大社の東北にあった地主の神「音無の天神」が合祀されています。


この熊野本宮大社を舞台とした能「巻絹」。


後嵯峨法皇。熊野御幸2回。

ある日、後嵯峨天皇の霊夢により、全国から巻絹を千疋、熊野三山に納めさせますが、都(京都)からの巻絹が遅刻。

使いの男に理由を聞くと、「音無の天神」に手向けの和歌を詠んでいたと答えます。

『音無にかつ咲き初むる梅の花 匂はざりせば誰か知るべき』

勅使は怒り、男を捕縛。


そこへ、「音無の天神」が憑衣した巫女が現れ、私に和歌を捧げたのだから許せと縄を解き


巫女は和歌の功徳を語ります。

ワキ(勅使)
さあらば祝詞を参らせられ候ひて。神を上げ申され候へ

(祝詞を申して、憑いた神を上げなさい)


巫女(シテ)は、幣(ぬさ)を手にして祝詞を上げ始めます。

幣(ぬさ)は、神への供え物であり、神が宿るもの。
また、神が自身の象徴として持ちます。


「祝詞」

(巫女・シテ)

謹上再拜(きんじょうさいはい)。

抑も(そもそも)当山は。法性国の巽。金剛山の霊光。
この地に飛んで霊地となり。今の大峰これなり

(地謡)されば御嶽は金剛界の曼荼羅

(シテ)華蔵世界。熊野は胎蔵界

(地謡)密厳浄土。ありがたや


巫女は「神楽」を舞い始めます。

「神楽」は、5段(洋楽でいう楽章)からなり、1から3は、神社で耳にするようなゆったりとした曲調。


「シズメ(orシズム)」といい、神に礼拝しているような「神楽」独特の型です。

やがて、「神楽」は4段目になると「神舞」というとても早いテンポに急変。

神憑りの有り様を示します。

(地謡)
不思議や祝詞の巫女物狂い。
不思議や祝詞の巫女物狂いのさもあらたなる。飛行を出して。
神語りするこそ。恐ろしけれ。


ここから、熊野本宮大社の各社殿に祀る神と本地仏と、その功徳を唱えます。


本宮。第三殿(證誠殿)。主祭神・家津御子大神。本地仏は阿弥陀如来。

シ『證誠殿は。阿弥陀如来』
地『十悪を導き』 シ『五逆を憐む』



結宮。第二殿(中御前)。祭神・速玉大神。本地仏は薬師如来。

地『中の御前は』 シ『薬師如来』
地『薬となって』 シ『二世を済(たす)く』



下四社。第九殿(一万十万)。
祭神・軻遇突智(カグツチ)。本地仏は文殊菩薩・普賢菩薩。

地『一萬文殊』 シ『三世の覚母たり』
地『十萬普賢』 シ『満山護法(まんさんごおう)』



巫女に様々な神が憑衣し、トランス状態。

数々の神々。かの巫(かんなぎ)に。九十九髪の。
御幣も乱れて。空に飛ぶ鳥の。
翔り翔りて地に又踊り。数珠を揉み袖を振り。
挙足下足(きょそくげそく)の。舞の手を尽くし




これまでなりや。神は上らせ給ふと言ひ捨つる。


(幣を投げることで、神が上がったことを表します。)


(ここで初めて、巫女は我に返ります)

声のうちより狂ひ覚めてまた本性にぞ。なりにける

おわり。


前半は、後嵯峨法皇の熊野御幸の際の「下々の者でも歌を詠んだよ」というお話(『沙石集 巻五』)の脚色。

主題は後半。巫女が神憑りして狂乱して舞う、その姿。

同じ「神楽」でも、『三輪』や『龍田』の女神が舞う場合はお上品。

これに対し、『巻絹』では初めから神憑りした巫女が舞うのですから、次第に高まっていく狂乱の様をドタバタせずにいかに舞うか、とてもお稽古のしがいがある曲なのです。

そして、この曲からわかるのは、熊野本宮大社の巫女は、神憑りするものだということ。

面白いなー。

また、謡の詞章に、熊野本宮大社の各社殿に祀る神と本地仏の名前がはっきりと記されているのも興味をひきます。


神憑りする巫女のいた熊野本宮大社。

熊野はいいところです。


参考文献
観世流大成版『巻絹』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。実はですね、熊野本宮大社にお詣りするときに、「しょおじょおでんなーあーみだにょーらーいぃー」と、ついつい口ずさんでしまって。現地で説明書を読みながら、謡の詞章がデタラメではないことを実感したのでした。すごく感動して、運転しながらぶつぶつと歌って・・・あああ、恥ずかしいっ。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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No title

こんばんは~

熊野さんはやはり良いところですね(o´ω`o)
お写真からもよくわかりますわ☆

能の説明もわかりやすくて楽しかったです(人*´∀`*)
能の中に神楽が組み込まれていて面白いですね♪

しゃらんらぁ~

つねまる様の巫女脳内イメージはノンだろうかメグだろうか^^
能「巻絹」って面白そうですね^^

建物が引っ越しても、お座りしてる狛ちゃが、健気^^

ぽちぽちぽちーーー☆

七森様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

七森様の熊野古道ツヅラト峠の記事、とても興味深く拝見しております。伊勢路、いいですねー。石積にもうっとりです。

そう。熊野はほんとに、いいところ。
共有していただける七森様がいらして、とても嬉しいです。

能の雰囲気だけでも伝わりましたでしょうか?ほっ。

神楽、お社で耳にする曲調が組み込まれていることと、型にも神楽舞(民俗でない方の神楽)が表されている点で、とても面白いです。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

しゃらんらぁ~♪メグしゃんしゃらんらぁ~♪

「巻絹」は、トランス状態になっていく様も面白い、です。
習った頃は、「しょおじょおでんなー」と謡いながら、「なんでんなー?」と思ってました。

熊野本宮大社へ行って、やーっと謎が解けた感じです。

この残って頑張る狛ちゃん、四年前の大水害では完全に沈みました。
もしかしたら、流されたんではないかと。
新しい社殿の鳥居横にあった二階建の建物が水没しましたのよ。

なので、熊野本宮大社付近の建物はみんな建て替えてます。

平成27年秋、今年の薪能は「巻絹」

私も理事の一員である「NPO法人和歌浦万葉薪能の会」では、本年(27年10月11日)紀州を舞台にした能をということで喜多流「巻絹」を上演することになっています。当地を舞台にした能は他にもありますが、「薪能」には「道成寺」のような大がかりな演目は無理ですので、初回と二回目の新作能「鶴」以来17回目にして如何にも紀州の雰囲気を味わっていただきたく「巻絹」の上演になりました。さて、音無しの天神は何処だろうかと思案しているところでしたので、この記事でよくわかりました。私は若かりし頃、ワキ方「下掛宝生流」でしたので、ほこりをかぶったままの謡本を前に先日この曲を謡ってみたところです。疲れましたね。久し振りは。「能」の史跡巡り、期待しています。詳しくは「万葉薪能」で検索をお願い致します。

原 庄造様

はじめまして。貴重なコメントをいただき恐縮しております。

えーーっと。すみません、ご覧戴いた記事の通り、軽い書き方をしておりまして。真面目に書いたつもりではあるのですが。

貴法人のブログにコメントしていいのかわかりませんので、こちらで失礼致します。

ポスターや公演情報等でお名前は存じておりましたが、詳細を拝見し、とても勉強になりました。

数回開催した後が続かないことの多い能公演を、実に17回目を数えるほど継続されるには並大抵のことではないだろうと拝察しております。

事前のレクチャーやワークショップを組み合わせて、当日に繋げるアイデア。
原様はじめご関係の皆さま方のご尽力に感服致しております。

松井先生は第1回からおシテをおつとめなのですね。
すごいことです。

私は舞囃子「巻絹」のお稽古から入ったので、謡を改めてお稽古したときは何が何やら。
どこが言葉の区切りなのか四苦八苦しました。

ワキ方宝生流をされていたとは、すごいなぁ。すごく難しいのでしょうねぇ。
宝生閑先生は憧れの先生です。一時、先生の舞台を追いかけてましたの。

熊野本宮大社では、謡成立時とは全く違う場所の再建ながら、「巻絹」の謡の通りの社殿と祭神と本地仏の名前を目にして、感動しました。
ついつい嬉しくて、車の中で謡ってしまったのは内緒です。

謡蹟巡りに絞ると、ものすごく地味でマイナーになってしまうので、いろいろなものを付属させながら苦心惨憺の日々でございます。
拙いながら、続けていくつもりでおります。

貴会の益々のご活躍と薪能のご盛会を心よりお祈り申し上げます。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

No title

楽しい史跡巡り、このスタイル良いですね。                 HPご覧いただき、感謝です。そろそろ私自身疲れ気味なので、後進に薪能の運営を託す時期かとも感じています。                     宝生閑先生の追っかけをされていらっしゃった由、確かに先生には男の色気を感じている女性方が沢山いらっしゃったかもしれません。私が昨年5月上京したときにお目にかかりました。体調を崩された後でしたがお元気そうでした。昨年の薪能「望月」ではシテ片山九郎右衛門先生、ワキにはご子息宝生欣哉先生に出演いただきました。私の謡のお師匠は閑先生のお父上「宝生弥一」先生でして、閑先生には時たまワキツレや立ち衆、輿役にかり出されるときにお稽古をつけていただくことが多かったです。我々素人が舞台に立つなんてのんびりした良き時代ですね。                                さて、紀州に関わりのある能としては「雲雀山」があります。中将姫縁の有田市糸我「得生寺」と雲雀山です。 でも、能では大和の国と紀州の境となっているので、奈良でしょうね。奈良の當麻寺と得生寺、どちらも中将姫伝説や「練供養」が有名ですし、共通しています。でも、私自身は紀州が良いですね。    能「雲雀山」上演したいですけれど、子方やワキ方が重要になることもあるけれど、ちょっと地味かな。機会がございましたらレポートをお願いいたします。 

原 庄造様

こんにちは。ご丁寧なお返事まで賜りありがとうございます。

歴史好きな先輩方がきちんと記録をされてますので、とても勉強になっております。
史跡のいいところは、一年後でもそこにいてくれることですね。

運営はとてもとても神経を遣うことですもの。
長年おつとめになっている原様は裏も表もよくわかっておいでなので、余計に大変なのではありませんか?

継続する大変さを、後進の方々も原様の背中からくみ取られているといいですね。

宝生閑先生の舞台を初めて拝見したのが、「安宅」だったので、んまーんまー!なんて憎たらしい富樫なんでしょう!って思いましたの。

福王流のワキしか見たことがなかったので、衝撃的な出会いでした。

閑先生にも、長生きしていただきたいですね。
重鎮の舞台は、そこにいらっしゃるだけで舞台が引き締まります。

片山九郎右衛門先生はとても端正なお舞台で、やっぱり京都の先生はすごいなーと食い入るように拝見してしまいます。

九郎右衛門先生の「望月」とは、なんと羨ましい番組なのでしょう。

そうかぁ、私から見たら重鎮の閑先生も、原様には若先生なのですね。
一緒に年を重ねることが出来たとは、これまたなんと羨ましい。

あ、「雲雀山」。
ブログの仲良しさんが紀州の方を訪ねていらして、あれれ?中将姫は奈良じゃないの?と、驚きました。

そうそう、紀州にも雲雀山、でした。
きれいな舞台ですし、レクチャー次第では地元の曲として面白そうです。

先生のお許しがあれば、ワークショップでお稽古されているお子さんが子方をされてもいいですよね。
鞍馬天狗よりも大変でしょうし、何かと調整が難しいかもしれませんが。


紀州ですから、「高野物狂」なんていかがでしょう。

地味ですね。ええ、ものすごく地味ですね・・・。
お稽古の先生も、覚えてへん、って冗談を言うぐらいですもの。

それから、曲に直接、紀州は出てきませんが、熊野生まれの熊野育ちと伝わる「忠度」もいます。

あ。つい嬉しくて長々と。失礼致しました。
よろしければまたお話させて戴きたく存じます。

今年の猛暑は本当に辛いですね。お体、ご自愛くださいませ。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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