狂言版「薩摩守」平忠度

熊野生まれの熊野育ちの忠度。

一ノ谷の合戦時にも、箙に付けた短冊に歌を記していました。

能楽「忠度」では歌人として武人として、とても素敵な男前。
今日は、能と対の「狂言」のお話。
世阿弥の時代の狂言は、滑稽な所作や秀句(洒落)などの言葉遊びを主体とした即興芸で、芸術としては未完成であったようです。
「狂言の役人の事。是又、をかしの手立、あるひはざしきしく(座敷秀句)、又は昔物語 などの一興ある事を本木に取りなして事をする(略)。」 (世阿弥『習道書』)

能楽「忠度」謡本。
狂言の台本は1576(天正6)年の「天正本」が最初。
能に比べ150年以上の遅れです。
ただ、狂言の台本は、筋立ての概略しか記されませんでした。
これは、言葉遊びや民俗芸能を取り入れたり、即興を重視する狂言の特徴でもあります。
実際、現在も、謡曲のお稽古には謡本が必須なのに対して、狂言のお稽古は先生からの口伝なのです。
(それでは無理なので手書きのペーパーが・・・内緒)

何が大変って、言葉のアクセントが関西弁で、ですな。
これは「以呂波」のお稽古。いろはにほへと、すら言えない。
さて。「座敷秀句」、つまり、シャレを楽しむ狂言。

男前の忠度が、狂言では、とんでもないことに。
【天正狂言本『青海苔』】
《あらすじ》
とある茶店。
旅の修行者が来て茶を飲むが茶代を持っていない。
問答の末 亭主はこれを許します。
修行者の行先には大きな川があり、渡し船に乗らなければなりません。
船頭は秀句好きだから何か秀句を言えば大丈夫だと教えます。
さて天橋立、切戸の文殊への参道。舟に乗ろうとすると

(画像は丹後半島、間人の海)
船頭「船賃は?」
修行者「平家侍」

船頭「船賃か、秀句か」
修行者「なかなか」(まあまあ、そんな感じ)

(歌っているのは狂言「千鳥」)
舟の中では歌などを言い交わして、船頭と修行者は仲良く過ごしました。
さて。舟を上がる段になり。

「薩摩守青海苔」とは?

薩摩守→忠度→ただのり→※★◇◎!

船頭「???・・タダノリかよー!」
二人は笑いあい、酒盛りをして能「船弁慶」の謡を謡いましたとさ。
めでたしめでたし。
《曲趣》
1・「船」「別れ」といえば能「船弁慶」のクセの謡(静との別れ)。
2・薩摩守といえば、平忠度。
この二つを誰もが連想して初めて成り立つ、「座敷秀句」のお話。
「船弁慶」の謡が用いられているため、狂言「青海苔」の制作年代が「船弁慶」上演後とわかります。
「船弁慶」の作者は観世小次郎信光(世阿弥の甥の音阿弥の第七子 1450-1516)と判明しているので、狂言「青海苔」の制作はほぼ1500年代前半と推定されています。
【狂言「薩摩守」】
この「青海苔」が半世紀後には「薩摩守」に変容します。
主役/修行者→遠国方の出家
行き先/切戸文殊→住吉・天王寺
渡る川/天橋立からの参道→神崎川
《あらすじ(大蔵流)》
とある茶店。
旅の僧、無一文。
茶屋の亭主は、神崎川の渡しをタダで行けるように知恵を授けます。
船頭はダジャレ問答が好きなので、 船に乗ったら「船賃は薩摩守」と言い、心は?と聞かれれば「忠度(ただのり)」と答えると、船賃をタダにしてくれるだろう、と。

船頭「船賃は?」
修行者「平家の公達」

船頭「船賃か、秀句か」
修行者「秀句」

船頭「その先は?」
修行者「平家の公達、薩摩守」
船頭「あははは」
船が着いて

船頭「そのココロは?」
修行者「・・・(忘れたー!)」

船頭「薩摩守のココロは?」
旅の僧、思い出せません。

修行者「青海苔(あおのり)の引き干し!」

僧は、「薩摩守忠度→ただのり→ただ乗り」を忘れて、唯一覚えていた「ノリ」から、知っている言葉を絞り出したのです。

ひぃぃ。

(いや、舞台が大阪の神崎川なんで、つい)
船頭「やくたいもなし。とっとと行かしめ(怒)。」
修行者「面目ござらん」
となって、おしまい。
《曲趣》
「青海苔」と同様、「ただのり」の秀句が焦点。
本来、僧は無賃乗船が認められていました(能『碇潜』に「無縁の僧に船賃を 取らんと思ふ人こそ 無道心」とある)。
船頭は、無賃乗船を怒ったのではなく、秀句好きなので「言いかけ」の「薩摩守」にワクワクし、そのココロが期待はずれに終わったので、怒り心頭の事態になるのです。
このように、「薩摩守→忠度→ただのり→ただ乗り」の連想は、少なくとも室町時代の終わりには一般に使われていた「シャレ(洒落)」だったんですねー。

こんな決意で一ノ谷の合戦に向かった忠度ですが、

死後数百年経過したらこんなイメージになってしまいましたとさ。
でも、いいんだ。薩摩守といえば忠度、ってのがいつまでも残ったんだもん。
めでたくもあり、めでたくもなし。ちゃんちゃん♪
参考文献
「狂言ハンドブック改訂版」(監修者小林責)
「狂言鑑賞二百一番」(文・金子直樹)
「狂言記 新日本古典文学体系58」(校注 橋本朝生・土井洋一/岩波書店)
いつも応援いただきありがとうございます。「薩摩守」は現在も上演回数の多い曲で、流派やその時の上演する先生によって様々な演出があります。アドリブで台詞を変える時もあります。だからこそ、狂言は面白くて、同じ曲を何度見ても飽きないのです。狂言師では、野村萬斎先生が有名ですね。ドラマや映画で拝見しても、所作がひとつひとつ綺麗でうっとりです。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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