能楽版「忠度最期」花や今宵の主ならまし

こんにちは。

本日は、能楽「忠度」のお話。

忠度に限らず、『平家物語』を題材にした能楽の曲は多数。
大半が、平家方の公達の最期の物語。


熊野生まれで熊野育ちの平忠度。

1183(寿永2)年5月。倶利伽羅峠の戦い。
忠度も大将として参戦しますが、木曽義仲に敗退。

兵力の大半を失った平家。


同年7月に安徳天皇と三種の神器を奉じ、都落ち。

能楽「忠度」の後半(中入後)。
須磨の明石に到着した旅僧(ワキ)の夢に忠度が現れます。


平家の烏帽子は、右折れ。(源氏は左折れ)
肩(片)脱ぎは、武人の鎧を表します。
「忠度」独自のものは、背中の矢。



(忠度《シテ》)
恥かしや亡き跡に。姿を帰す夢のうち。
覚むる心は古(いにしへ)に。
迷ふ雨夜(あまや)の物語。
申さんために魂魄にうつりかわりて来りたり

さなぎだに妄執多き娑婆なるに。
何中々の千載集の。歌の品には入りたれども。
勅勘の身の悲しさは。よみ人知らずと書かれし事。
妄執の中の第一なり



勅撰の「千載集」に入ったものの、朝敵である平家の身の上から「よみ人知らず」と書かれた事が妄執の第一だと告げる忠度。

忠度は武人ですが、古今序「生きとし生けるもの何れか歌をよまざりける」の如く歌人でもあります。

歌人であるが故に、自分の歌が「よみ人知らず」として埋もれてしまう悲しさが、この謡曲「忠度」の主題になっています。


年は寿永の秋の頃。都を出でし時なれば。
さも忙しかりし身の。さも忙しかりし身の。
心の花か蘭菊の。狐川より引き返し。
俊成の家に行き歌の望(のぞみ)を嘆きしに。



平家の都落ちの際、狐川(乙訓郡・長岡京市)からわざわざ引き返し、 歌の師匠である藤原俊成に、自らの秀歌を書き留めた一巻を託します。


望(のぞみ)足りぬれば。
又弓箭(きゆうせん)にたづさはりて。
西海の波の上。暫しと頼む須磨の浦。
源氏の住み所。平家の為はよしなしと知らざりけるぞはかなき。



別れを告げ、忠度は一ノ谷へ向かいます。

しかし、一ノ谷の須磨・明石といえば『源氏物語』で光源氏居住の地。
平家には縁のない土地。



以下、謡の描写が具体的なので、連続で記します。

(引用はじめ→)


さる程に一の谷の合戦。今はかうよと見えし程に。
皆々舟に取り乗って海上に浮ぶ。

(忠度《シテ》)
我も船に乗らんとて。汀(みぎわ)の方(かた)に打ち出でしに。
後(うしろ)を見れば。


武蔵の国の住人に。岡部の六弥太忠澄と名のって。
六、七騎にて追つかけたり。

これこそ望む所よと思ひ。駒の手綱を引つかへせば。


六弥太やがてむづと組み。両馬が間(あい)にどうど落ち。


彼の六弥太を取つておさへ。既に刀に手をかけしに。


六弥太が郎等 御後より立ちまはり。
上にまします忠度の。右の腕(かいな)を打ち落せば。


左の御手にて六弥太を取つて投げのけ今は叶はじと思し召して。


そこのき給へ人々よ。西拝まんと宣ひて。

光明偏照十方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひし。
(こうみょうへんしょうじっぽうせかいねんぶっしゅじょうせっしゅふしゃ)

御声の下よりも。痛はしやあへなくも。
六弥太太刀を抜き持ち。

つひに御首を打ち落す。

(忠度《シテ》)
六弥太。心に思ふやう。

(地謡)
痛はしや彼の人の。御死骸を見奉れば。



其年もまだしき。長月頃の薄曇。降りみ降らずみ定なき。
時雨ぞ通ふ村紅葉の。錦の直垂はたゞ世の常によもあらじ。
いかさまこれは公逹の。御中にこそあるらめと。
御名ゆかしき所に。


箙(えびら)を見れば不思議やな。
短冊を附けられたり。


見れば旅宿(りょしゅく)の題をすゑ。

行き暮れて 木の下蔭を宿とせば
花や今宵の 主ならまし   忠度

と書かれたり。

さては疑(うたがひ)あらしの音に聞えし
薩摩の守にてますぞ痛はしき。


御身此花の。蔭に立ち寄り給ひしを。
かく物語り申さんとて日を暮らしとどめしなり。


今は疑よもあらじ。花は根に帰るなり。

我が跡弔ひてたび給へ。

木陰を旅の宿とせば。花こそ主なりけれ。(←引用終わり)


【能楽の表現】

矢を入れるもの、箙。


能楽の装束では、簡素化して矢一本で表します。


背中に付けた一本の矢が箙を表現。


「つひに御首を打ち落す」


頭上に上げた扇を、ぱたん、と倒すことで表現。


「忠度の歌の表現」

具体的な詩章で忠度の最期を強く謡った後、「六彌太心に思ふよう」で落ち着きます。

箙の短冊に書かれた和歌は、ゆったりと歌うように。聞かせ処です。

行き暮れて 木の下蔭を宿とせば
花や今宵の 主ならまし
   

舞台ではシテが「ゆぅきーいくれてぇーぇぇーぇーぇー」とゆったりと謡った後で「立廻(たちまわり)」が入ります。
(※立廻:お囃子だけに合わせて舞台を廻る型)

すべてはこの和歌の為にあったのかと思うほど、印象的(私見)。


『平家物語』の「忠度最期」では、忠度は源氏方に紛れて逃亡を図りますが、六彌太に声をかけられた際、お歯黒で「平家だ!」と見破られてしまいます。
忠度を護衛する筈の百人程の者達は臨時雇いであったため、忠度と六彌太が組み合うのを見て、雲散霧消。

残念。




このような気概を持って戦に挑んだ忠度でしたが、和歌への未練は断ちがたく。



旅僧(ワキ)に回向を頼み、「木陰を旅の宿とせば 花こそ主なりけれ」と、花の陰に隠れるように姿を消すのでした。


参考文献
観世流大成版『忠度』(訂正著作/24世観世左近、檜書店発行)


いつも応援いただきありがとうございます。能楽「忠度」の良さは、謡の音階の美しさと忠度自身の歌の響き。この曲は他の修羅物(武人が主役の曲/殺生をした武人の死後は戦いと苦しみに明け暮れる修羅道に堕ちる)と異なり、修羅道に落ちた苦患を一言も述べず、終始、風雅な武将として忠度を描いているのです。
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さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

おはやうございます。いつも楽しく興味深い記事をありがたうございます。

ほんのすこしまへに、ある目的で埼玉の深谷に行つたのですが、深谷の普済寺の隣の公園のやうな所に岡部忠澄のお墓がありました。
岡部は忠度の死を惜しみ、所領の岡部原に五輪の塔を建立したとされてをり、現在、深谷にある淸心寺に五輪塔が移築されてゐるさうです。
ほんのすこし前のことだつたので、つねまるさんの記事を讀み深谷へ行つた時のことが新鮮に思ひ出されました。

平家物語に出て來る武蔵七党の猪俣党は、一の谷では、岡部の郎党助太刀や猪俣範綱と人見四郎の騙し討ちなど、少し卑怯な感じがしました。

No title

平家方の公達の最期って、実に絵になりますね。

>「つひに御首を打ち落す」頭上に上げた扇を、ぱたん、と倒すことで表現。
というところに感動!

能の世界ではそうなのですか。
能に関してはまったく知識がないので、つねまるさんの記事は勉強になります!

いろいろ込み上げて(´;ω;`)ウッ

平家は、言い方が誤解されそうなんだけど、滅び方が美しいですよね。
それまでの華やかさが閉じる「終焉の宴」観るような感覚です。

きっと舞台や芝居や小説と、様々に語り継がれてたので、なんとなく脳内イメージが出来ちゃったのかも^^;

右腕を斬り落とされるって実際に想像したら、すごいシュール(><;)

安徳天皇の画像を見ると、本当に可愛らしくて、ちゃんと迷子にならずに竜宮城に逝けたかなぁとか・・・ (゜-Å) ホロリ
建礼門院徳子が、その後の人生をどんな気持ちで生きたのかと思うと・・・ (゜-Å) ホロリ

平氏に比べて源氏が殺伐に感じるのは、同族に滅ぼされるのが多いからなんだと思う^^;
ぽちぽちぽちーーー☆

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

おや。岡部忠澄は埼玉に。どうも関東の地理は不案内でいけませぬ。
お墓もあるのですね。

平家の公達を討った熊谷次郎直実も後悔して出家したようですが、源氏側には、戦う者はクマさんのような者という先入観があったのでしょうか。
忠澄は、忠度のお歯黒と装束の見事さと若さに驚愕しておりますが。

そうかぁ。後ろから複数で、念仏を唱える忠度を討った卑怯者は、ろくな人間じゃないぞー!っと思っておりましたが、五輪塔まで建立したところを見ると、それなりに感じるものはあったのですね。

埼玉の深谷という地名も全く存じませんでした。
橘右近大夫様は全国をよくご存じで、様々なお話を教えていただけて、とてもありがたいです。ありがとうございます。


>平家物語に出て來る武蔵七党の猪俣党は、一の谷では、岡部の郎党助太刀や猪俣範綱と人見四郎の騙し討ちなど、少し卑怯な感じがしました。

そうなんですよ。腹が立つったら。ぶうー。
武蔵国、斎藤実盛という義理人情のじーさまがいらしたのにな。

まぁ、義経からして軍馬を射るとか船を漕ぐ者達を射るとか、やったもん勝ちな人ですからねぇ。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ほんとに、ねぇ。平家の公達の最期は痛々しいけれど、印象的ですね。

>>「つひに御首を打ち落す」頭上に上げた扇を、ぱたん、と倒すことで表現。
>というところに感動!

ありがとうございます(o^-^o)

観世流では具体的な描写は最小限に留められているので、扇を倒す事でしか表現できないのでしょうねー。
忠度では、扇は他に、盾や刀になります。

本当は動画や画像を載せたいところですが、諸事情が多すぎて厳しくて、手書きで失礼しております。

平家物語を題材にした能楽の曲はとても多いので、謡のお稽古をしていると縁の寺社や地名、戦の詳細、仏法世界、お経がいっぱい出てきて、楽しいです。

ただ、お稽古したということは、謡えてしまうということでー。

「このしたかげぇをぉぉぉ、やどとせぇばーぁぁー」

謡曲の説明の駒札を見ながら、ふんふんふーん♪っと謡ってる人がいたら、暖かい目で見て下さいまし。
本人は、すごーく感動しているのです。えへへー。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

平家物語の影響だと思うのですが、平家の公達の最期は、心に迫るものがありますよねー。

これもこれも五平餅の彼が(自主規制)。反っ歯の鞍馬の小僧が(自主規制)。きぃぃぃー!

>右腕を斬り落とされるって実際に想像したら、すごいシュール(><;)

しかも複数で背後からですのよ、奥さん ( ノД`)…
んもー、腹が立つったらありゃしないっ。
これが斎藤実盛と同じ武蔵国の人間のやることかよー!どかーん!です。

建礼門院徳子は、一門を供養しながら、竜宮城へ行ったに違いない安徳天皇のことを思っていたでしょうね。
大原で静かに菩提を弔っていたら、ある日突然、後白河法皇が訪ねてきてびっくりしたりしてますけど(大原御幸)。

頼朝や北条義時は大好きですが、鞍馬の小僧は、好きじゃない。微妙な乙女心なのです。

No title

そうだったんですか。
忠度殿は一ノ谷で最期を遂げられたんですか。
物知らずでスイマセン(汗)
一ノ谷と言えば敦盛しか思い浮かびませんでした。
調べると「青葉の笛」も、敦盛殿と忠度殿のことを歌っているんですね。
勉強になりました。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

きゃー( 〃▽〃)

ありがとうございます、「青葉の笛」!!!

すぽーんっと抜けてしまって書きそびれました。そうそう、そうなんですよー。
母がよく歌ってくれて、経正と忠度はおなじみさんだったんです。

ほんと、昔の歌は教養があって、いい歌がありますよね。
なのに今は歌われないなんて。ぶーぶー。

万見仙千代様、いつも補足いただきまして、ありがとうございます。
皆様のご協力あっての弊記事でございます。
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