『平家物語』平忠度の都落ちと藤原俊成
後鳥羽院の熊野御幸に供奉した定家。

道中、障りにあって

踏んだり蹴ったりな有り様。

疲れ果てて、夜の和歌会では夢うつつ。

「和歌で頑張らなくては、どこで頑張るのだ!」と叱るのは、パパの藤原俊成。
後白河院の院宣により『千載和歌集』を単独で編纂した歌人・俊成。
門下生も多いのです。

熊野御幸で参詣した熊野本宮大社から熊野川を下ることしばし。
今日は熊野育ちの文武両道の人物をご紹介。

清盛の弟の・・・

そう。さつまいもくんです!
・・・(ノ-_-)ノ~┻━┻

平忠度くんです!!
【平忠度~武と歌と~】
平忠盛の六男。
兄弟は上から、清盛、家盛、経盛、教盛、頼盛、忠度、忠重、他。
熊野生まれの熊野育ち。
「薩摩守忠度は入道の舎弟なり。熊野より生立ちて心猛けき者と聞こゆ。」
(『源平盛衰記』巻第二十三「朝敵追討例附駅路鈴の事」)
1180(治承4)年。正四位下・薩摩守。
反平氏勢力追討のために大将軍として各地を転戦。
源頼朝討伐の富士川の戦い(1180・治承4年)、源義仲討伐の倶利伽羅峠の戦い(1183年・寿永2年)等に出陣。
最期は1184(寿永3)年2月7日。
一の谷の合戦で源氏方の岡部忠澄の手により討死。享年41。
忠度は歌にも優れており、藤原俊成に師事しています。
1171(承安元)年 太皇太后宮亮経盛歌合
1178(治承二)年 別雷社歌合
1166(仁安元)年から1178(治承二)年頃の為業(寂念)歌合
他に、守覚法親王の歌会などにも参加し、また自邸で歌合を主催したり。
家集に『忠度集』。
『千載和歌集』に1首・『新勅撰和歌集』等の勅撰和歌集に11首が入集。
【『平家物語』と熊野】

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者も久しからず、たゞ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
皆様ご存じ『平家物語』の冒頭部分。
『平家物語』が語るのは、平家一門の栄枯盛衰。
この時代に政治の中枢にいたのが、後白河上皇。
熊野御幸すること34回。
『平家物語』の熊野は、上皇や貴族たちによる熊野信仰が全盛を迎えた時代なのです。
この『平家物語』に、忠度と俊成の別れの場面があります。
【『平家物語』巻第七「忠度都落」】
薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍五騎、童一人、わが身ともに七騎取つて返し、五条の三位俊成卿の宿所におはして見給へば、門戸を閉ぢて開かず。
「忠度」 と名のり給へば、
「落人帰り来たり」 とて、その内騒ぎ合へり。
薩摩守、馬より下り、みづから高らかにのたまひけるは、
「別の子細候はず。三位殿に申すべきことあつて、忠度が帰り参つて候ふ。門を開かれずとも、このきはまで立ち寄らせ給へ。」 とのたまへば、俊成卿、
「さることあるらん。その人ならば苦しかるまじ。入れ申せ。」 とて、門を開けて対面あり。ことの体、何となうあはれなり。
忠度が五条の三位俊成の門前で「忠度です」と名乗ると、閉じられた門扉の中で「落人がきたー」と騒ぐ声がする。
忠度は開門せずともいいと言ったが、俊成は開門し対面した。
どうしたことか、姿に哀愁が漂っている。

薩摩守のたまひけるは、
「年ごろ申し承つてのち、おろかならぬ御ことに思ひ参らせ候へども、この二、三年は、京都の騒ぎ、国々の乱れ、しかしながら当家の身の上のことに候ふ間、疎略を存ぜずといへども、常に参り寄ることも候はず。
君すでに都を出でさせ給ひぬ。一門の運命はや尽き候ひぬ。 」
忠度は言う。
「先年より歌道に就いて教えを承り、私は決してあなたを粗末にするまいと思っていました。
しかし、ここ二、三年の京都や国々の騒乱は、わが平家の上に覆い被さっていることなので、日頃は参上致しませんでした。
安徳天皇は既に都を出ました。一門の運命ももはや尽きたのです。」

撰集のあるべきよし承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも、御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出で来て、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存ずる候ふ。
世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。
これに候ふ巻き物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩をかうぶつて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ。」とて
「和歌集の勅撰の沙汰があると聞き、生涯の名誉に一首だけでも勅撰集に入れて戴けたら、と思っていたものの、世の中が乱れ、その沙汰もなくなってしまったことは、ただひたすら嘆かわしいことと存じております。
世の中が静まったなら、きっと勅撰集編纂のご沙汰があるでしょう。
この巻物の中にしかるべき和歌があり、もし一首だけでも勅撰集に入れて戴けたら、草葉の陰であっても嬉しく存じ、微力を尽くし貴方を御守り致します」と言って

日ごろ詠みおかれたる歌どもの中に、秀歌とおぼしきを百余首書き集められたる巻き物を、今はとてうつ立たれけるとき、これを取つて持たれたりしが、鎧の引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る。
忠度は、今こそ最後と覚悟して出発した時、日頃詠みためた中から秀歌と思われる歌を百余首書き留めた巻物を、持ち出していた。
それを鎧の引き合わせから取り出して俊成に渡した。

三位これを開けて見て、
「かかる忘れ形見を賜はりおき候ひぬる上は、ゆめゆめ疎略を存ずまじう候ふ。御疑ひあるべからず。
さてもただ今の御渡りこそ、情けもすぐれて深う、あはれもことに思ひ知られて、感涙おさへがたう候へ。」 とのたまへば、
俊成はそれを見て
「このような忘れ形見を賜った上は、ゆめゆめ粗末に致しません。
それにしても、今、この時に来てくれたことこそ情け深く、哀れなことと思い知らされ、感涙が抑えられません」と言ったところ、

薩摩守喜んで、
「今は西海の波の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。
浮き世に思ひおくこと候はず。さらばいとま申して。」
とて、馬にうち乗り甲の緒を締め、西をさいてぞ歩ませ給ふ。三位、後ろをはるかに見送つて、立たれたれば、忠度の声とおぼしくて、
「前途ほど遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す。」
と、高らかに口ずさみ給へば、俊成卿、いとど名残惜しうおぼえて、涙をおさへてぞ入り給ふ。
忠度は喜んで、
「今は西海の波の底に沈まば沈め、山野に屍をさらさばさらせ。
浮き世に思い置くことなし。では、これでお別れでございます」
と、馬に乗り、甲の緒を締め、西をさして進んだ。
俊成は立ち尽くして、忠度の後ろ姿をはるか先まで見送っていたが、遠くから忠度とおぼしき高らかな声がして
「前途程遠し、思いを雁山の夕べの雲に馳す」(※朗詠集にある別れの歌)と聞こえた。
俊成は、とても名残惜しくあわれに思え、涙を抑えて門の中に入った。

そののち、世静まつて千載集を撰ぜられけるに、忠度のありしありさま言ひおきし言の葉、今さら思ひ出でてあはれなりければ、かの巻物のうちに、さりぬべき歌いくらもありけれども、勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、「故郷の花」といふ題にて詠まれたりける歌一首ぞ、「詠み人知らず」と入れられける。
さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな
その身、朝敵となりにし上は、子細に及ばずと言ひながら、うらめしかりしことどもなり
その後、世が静まり、千載集の撰集があった。
俊成は、平忠度のあの日の姿、言い置いた言葉が今更思い出されて、哀れだった。
受け取った巻物の中にしかるべき歌はたくさんあったが、忠度はもはや朝敵となった人なので、名前を明かさず、「故郷の花」という題の一首を、「読み人知らず」として載せた。
さざ浪や志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな

天智天皇時代に都であった志賀の都は荒れてしまったが、昔から変わらない長等(ながら)山桜が咲いていることよ。
忠度が朝敵となった上は仕方のないことだが、恨めしいことであったよ。
俊成に歌への心残りを静かに語る姿から一転。

武将・忠度の覚悟の言葉が対照的です。
【忠度の歌】
『千載和歌集』に1首・『新勅撰和歌集』等の勅撰和歌集に11首が入集。
この『千載和歌集』の1首こそ、『平家物語』に語られる「読み人知らず」の歌。
作者が忠度であることは周知の事実であったものの、朝敵の身となったため、撰者の藤原俊成が配慮して名を隠したのです。

『忠度集』より
〈閨冷夢驚といふことを人にかはりて〉
風のおとに秋の夜ぶかく寝覚して 見はてぬ夢のなごりをぞ思ふ

(秋の深夜、寒ざむとした風の音に目が覚めて、途切れてしまった夢のなごりを追想するのだ。)
「閨冷夢驚」とは、「閨(ねや)の冷たさに夢から醒める」の意味。
この歌は鴨長明『無名抄』で「させる事なけれど、ただ詞続きにほひ深くいひなしつれば、よろしく聞こゆ」歌の例として挙げられています。
参考文献
新日本古典文学大系『平家物語 (下)』(梶原正昭・山下宏明 校注 岩波書店)/『平家物語』本文を引用。
いつも応援いただきありがとうございます。熊野生まれの熊野育ち、平忠度です。次の世代では、武将よりも公家と言うべき雅な平家の公達。それに比べ、忠度は歌もたしなむけれど武家の心構えをはっきりと持っていました。はぁー、好きだ、忠度。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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