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白河上皇の熊野御幸。熊野フィーバーの始まり

こんにちは。

熊野那智大社【第5回】

熊野が世間に広まるのは、上皇達による熊野御幸。

熊野を初めて詣でたのは、907年の宇多法皇。


992年の花山法皇。百日滝籠まで成し遂げました。

次に、1090年。白河上皇の熊野御幸。
いよいよ熊野信仰がフィーバーします。


【白河上皇の熊野御幸】

熊野御幸の初回は、1090年。白河上皇、37歳。
1116年から5年連続、25年より3年連続。最後の28年は亡くなる前年。
実に合計9回。

白河上皇といえば、原摂関家から実権を奪い、「院政」を始めた上皇。


《白河上皇の院政》



藤原氏の「摂関政治」は、藤原氏が天皇の外祖父になり、天皇の幼少時は摂政、成人してからは関白として政治の実権を握る形態。

ここへ、宇多天皇以来170年ぶりに、藤原氏と外戚関係のない天皇が即位します。

後三条天皇。

白河天皇の父上様です。

後三条天皇は権力を摂関家から取りあげ、天皇親政を行い、国政の改革に取り組み、4年半の在位後、白河天皇に譲位。


白河天皇。

白河天皇の母は藤原氏出身ですが、摂関政治を許さず、反藤原・天皇親政を貫きます。

1086年、譲位(堀河天皇は8歳)。白河上皇(院)となります。

上皇が政治の実権を握る新しい政治制度「院政」を開始。

白河上皇の院政は堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇の3代、43年間。
天皇在位中と合計すると、57年間、政治の実権を握り続けました。

「意の如くにならざるもの、鴨河の水、双六の賽、山法師の三つ」


《その頃の熊野》

『扶桑略記』永保2年(1082)10月17日条

「十七日甲子。熊野山犯来大衆三百余人。荷負新宮那智御躰御輿。来集粟田山。暫安御輿於其山口。大衆参入公門。訴尾張国館人殺大衆等之状也。」


熊野の大衆が新宮・那智の神輿を奉じて上洛(粟田山)したことが記されています。


(画像:熊野市木本神社の神輿)

これは「那智」の史料上の初見とされ、強訴で神輿を動座した初例ともされる文書。


『熊野本宮別当三綱大衆等解』1083(永保3)年9月4日
 
熊野別当が神領の押領を訴えた記録。

「三所権現の護持」とあって、この頃には、三山が共通して権現を祭る「熊野三所権現」が成立していたと考えられる資料。

「権現」とあることから、永保年間には熊野の地は神仏が習合し、本地垂迹説により神が語られていたことが推測できます。

※熊野権現とは、家都御子神・熊野速玉男神・熊野牟須美神の三柱。
熊野三山はこの三柱を互いに祀っています。


神像。


各々に対する本地仏。


《白河上皇と熊野御幸》

朝から晩まで多忙で自由のない天皇の一日。

それに比べ上皇は、「天皇の父」として権力・財力を持ち、自由の身(「上皇」に法的根拠はない)。


「熊野御幸」はあっても「熊野行幸」がないのは、この差。


1090年。白河上皇の熊野御幸。

これは熊野にとって、実に大きな意味をもつものでした。

1。先達を勤めた園城寺の増誉(ぞうよ)が初代の熊野三山検校に任命された。



「先達」とは、案内人。

園城寺(三井寺)の最高責任者で、当代一の高僧として名高かった増誉(1032~1116)。

「検校(けんぎょう)」とは、社寺の総務部。


(画像:熊野那智大社に残る本願寺跡)

「熊野三山検校」とは、熊野三山を統括する最高位の役職(名誉職)。
現地に赴任することはなく、お仕事は熊野御幸の折に先達をつとめる程度で、実際の統括は熊野別当が行いました。

増誉以降、園城寺か聖護院(増誉が熊野御幸の功により開いた寺)の僧が熊野三山検校に任じられることが慣例となりました。

〈熊野のメリット〉
熊野三山が、都とのつながりを持てたよー。


2。上皇が熊野三山に紀伊国の田畠百余町を寄進

山、すぐ、海!の地形で耕作地に恵まれない熊野三山が、経済的地盤を持つことが出来た。


(画像:熊野古道・波多須の石畳)

不動産が、好き。


3。熊野別当の長快(ちょうかい)に法橋(ほっきょう)という地位を与えた。

「熊野別当」とは、熊野三山の統括者。

「法橋(ほっきょう)」は五位に準じます。
これをもって、「熊野別当」が朝廷から正式に承認を得たことになるのです。

白河上皇にしてみればたわいもない任官であったかもしれませんが、熊野三山からすれば、都、つまり、中央との結び付きを得た上に、財政基盤までも得ることが出来た、大きな意味をもつものでした。


(画像:熊野本宮大社の参道)

そして、白河上皇の熊野御幸は9回。


【白河上皇の熊野御幸の影響】

白河上皇に続く上皇方の、「ほんと?」と思うほどの回数の熊野御幸。


熊野速玉大社の石碑。

白河上皇 (1053~1129)、9回(速玉大社では12回)
鳥羽上皇 (1103~1156)、21回
崇徳上皇 (1119~1164)、1回
後白河上皇(1127~1192)、35回(速玉大社では33回)
後鳥羽上皇(1180~1239)、29回
土御門上皇(1196~1231)、2回
後嵯峨上皇(1220~1272)、3回(速玉大社では2回)
亀山上皇 (1249~1305)、1回

このように歴代上皇をはじめ貴族の参詣が続きました。


(画像:熊野速玉大社の小太りな狛犬さん)

善行を重ねるほどに熊野三所権現の功徳が増すという「多数作善功徳信仰」が上皇らの熊野詣での回数に表れているのかどうかはわかりませんが、熊野はとんでもなくフィーバーするのです。


熊野三山について、こんな事を書いております。

「熊野三山の発祥地。太古より阿須賀に神はおわします。」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

「熊野本宮大社でキャシャーンに出会った。」参拝記録
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-213.html

「熊野速玉動物園。もとい、熊野速玉大社。」参拝記録
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-196.html

「熊野本宮大社周りをうろついて串本へ。」宮司は九鬼さん。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-207.html


参考文献
『熊野三山信仰事典』(加藤隆久編・神仏信仰事典シリーズ(5) 戎光祥出版)・『和歌山県史』・『神道事典』

「熊野学」(新宮市教育委員会)http://www.city.shingu.lg.jp/div/bunka-1/htm/kumanogaku/index.html


いつも応援いただきありがとうございます。白河上皇は9回に及ぶ熊野御幸で、何を見て、何を得たのでしょう。白河上皇は3回目の熊野御幸に寵妃・祇園女御とその養女・璋子を同行しておりますが、問題はこの璋子。白河上皇は、養女璋子とラブラブ♪なのに、孫の鳥羽天皇の后にさせます。この璋子こそ、待賢門院。白河上皇、熊野に璋子を4回も同行してます。うは?うは?
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No title

某大河のベンジャミンを思い出した(^-^)ニン!
璋子の女優さんも良かったわぁ 川* ̄д ̄*川ポッ 

てか妻妾(養女含む)連れで楽しそうなんだが、これで功徳が増すのだろうか^^;

過去記事も懐かしい~
理屈じゃないの。
つねまる様お絵かき&狛ちゃで記憶してまふ(*´pq`)

不動産~~~原野以外なら大好きよ~~
ぽちぽちぽちーーー☆

No title

つねまるさーん、こんばんわー♪

おー、平清盛のパパ、白川上皇様。
ずいぶんと好色であったようですねー。

「天下三不如意」といわれる程の力もちであったとか。

数多い熊野御幸の目的はなんだったのでしょう。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

>某大河のベンジャミンを思い出した(^-^)ニン!
>璋子の女優さんも良かったわぁ 川* ̄д ̄*川ポッ 

ちょーマイナーな大河になってしまったあれですが。
割と見てたんですよね。

でも、気づいてしまったんです。
記憶にある画像は、タッキー義経の時のもののようで。こほん。

白河上皇の熊野御幸は、物見遊山的なものが多いのかなー。
この時代に女子同行で遠征って、とても珍しいですよね。
よっぽど寂しんぼさんなのねっ(o^-^o)

>過去記事も懐かしい~
>理屈じゃないの。
>つねまる様お絵かき&狛ちゃで記憶してまふ(*´pq`)

いやぁん。ありがとうございますー(。´Д⊂)ホロリ

今後も記憶に残る画面になるよに頑張りまふヽ( ̄▽ ̄)ノ

・・・そちらの原野は、とっても原野な気が~( ̄ー ̄)ムフン
でも、そこがいいんだなぁ。行きたいなー。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ご多忙のようでいて、お暇だったんでしょうかねぇ。

鴨川の濁流はさすがに不如意だろうなーっと、いつぞやの豪雨の映像を思い出します。

白河上皇の熊野御幸、何度も行った理由はなんだ?と思いつつも、後白河院の35回の熊野御幸記事を書いたもので、もはや9回なんて少ない少ない!っと錯覚しております。

都でおとなしくしている人が、熊野へ行ったら、はまった。
そんな感じなのかな。

だって、私が今現在、行きたくて仕方がないもので。
何がいいの?と聞かれたら、わからんけど、なんかいいのよ♪っと答えてしまいます。えへへ。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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